ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

ブログ整備中につき、一時的に非表示にしている記事がございます。少しずつ再更新してまいりますので、またご訪問いただけますと幸いです

〈AC回顧録・大学時代〉死ぬ勇気がないので力づくで「理想の私」に近づけるしかないと思った

死ねないので少しでも「マシな自分」になるしかないと思い、無理な努力を重ねるようになりました。一時的に結果は出ても、日常的に無理しているのでどこかで破綻します。

〈AC回顧録・大学時代〉学歴コンプレックスのはじまり

親に愛されたい、認められたい。それがすべての動機でした。そのためにすきではないことにばかり注力して、結局、自分を失っていきました。

〈AC回顧録・浪人時代〉頭が働くと苦しすぎるので起きていられなかった

死ぬこともできないが、起きていることもつらいので、できるだけ眠って、時がくるのを待ちました。

〈AC回顧録・浪人時代〉死にたくて死にたくてたまらなかった(が、死ねなかった)

当時は気づいていませんでしたが、私を不幸にする人は、なんと私の最も近くにいたのです。 そりゃ、人生うまくいかなくて当然だわ、と今では納得です。

〈AC回顧録・浪人時代〉「嫁に行けなくなるから精神科に行くのは許さない」と母に保険証を隠される

ただ呼吸をすることがとんでもなく苦しく、精神科に行きたいと訴えたら、「嫁に行けなくなるからダメ」と保険証を隠された話。

〈AC回顧録・浪人時代〉着ていく服が選べない→とうとう予備校に行けなくなる

勉強したくない気持ちを抑え込んで予備校に通っていましたが、だんだん着ていく服をえらべなくなり、登校できなくなってしまいました。

〈AC回顧録・浪人時代〉皮膚むしり症が再発 - 模試の間中、鼻の頭の皮をひたすらむいてしまう

無理をして頑張りつづけると、何らかの精神あるいは身体の症状がでます。昔はそれを気合でなんとかしようとしていましたが、今思うと間違っていました。

〈AC回顧録・浪人時代〉成績が悪いことが恥ずかしくて死にそう

勉強版イップスのようになって、大学受験ほぼ全敗。浪人しても自分と向き合うことができず、ただ劣等感で死にそうでした。

〈AC回顧録・高校生〉「超難関大に行くために浪人する」と母が話を盛って言いふらすのが苦しい

イヤなことは「イヤ」と言う必要があったなあ、と今は思います。 相手に伝わらなくても、「自分のために言う」のは結構大事。

〈AC回顧録・高校生〉自分の実力から目を逸らしまくって大学受験全敗

勉強したいのにできない、という状態を放置した結果、大学受験はほぼ全敗。自分の本心に向き合うべきでした。

〈AC回顧録・高校生〉勉強を手放したいのに、勉強に執着して「イップス」的な状態に

私に必要だったのは「ほんとうはもう、勉強したくない」という本音に向き合うことでした。

〈AC回顧録・高校時代〉恋愛を禁じるくせに、告白を断れば「あんたは冷たい」と非難してくる母

恋愛に干渉されるだけでもきついのに、どの選択をしても文句をつけられる。

〈AC回顧録・高校生〉電話は基本的に盗み聞きされ「甘えたような声出して気持ち悪い!」

友人との電話は盗み聞きされるのが基本でした。すぐに恋愛に結びつけられるのがうんざり。

〈AC回顧録・高校時代〉「今妊娠したらあんたの人生終わるんだからね」という脅し

高校生くらいになると「今妊娠したらあんたの人生終わるんだからね」と脅してくるようになった母。常に監視され、疑われることはつらかった。

〈AC回顧録・高校生のころ〉「襲われたら舌を噛んで死ね」が刷り込まれて恋愛自体に罪悪感

子どもの頃から「男を見たら襲われると思え」的に聞かされたため、恋愛をすること自体がすごく悪いことのように思えてしまいました。

〈AC回顧録・高校生〉女性らしい格好やふるまいをすることに罪悪感がありボーイッシュな格好をしていたけれど

母の「他人を引きずり下ろしたい」という願望に、自ら沿ってしまっていました。

〈AC回顧録・高校時代〉不仲な両親の連絡役で貧乏くじ

両親不仲で考え方が違いすぎることによる弊害。高校生になってもなお、苦しみました。

〈AC回顧録・高校時代〉父の愚痴も母の愚痴も、子である私に突き刺さる

親から互いの悪口を聞かされるととても傷つくのは、どちらとも血がつながってしまっている自分を否定することでもあるから。

【気づき】息がしやすい環境を選ぶことはとても大事

自分の長所と思われるところを「長所」として扱ってくれる場所(あるいは、自分では短所だと思っているところが、実はありがたがられる環境)を選ぶことは、本当に大切なことだと実感した話。

〈AC回顧録・高校〉娘が進学校に通っていることを自慢したい母から「制服で来なさい」と呼び出される

「うちの娘は〇〇高校よ」なんてわざわざ言わなくても、学校名がわかる特徴的な制服は、母の大のお気に入りでした。

〈AC回顧録・中学生時代〉同級生や塾の先生に侮辱の言葉を発する母に引いてしまった

母からすれば「娘のため」のつもりだったのでしょうが、同級生や塾の先生に侮辱的な言葉を発するのが嫌でたまらなかったという話

被害感情からの特権意識は、人のことを傷つけるだけでなく、自分にも返ってくる【時事】

「こんなに苦労したんだからちょっとくらい優遇してくれたっていいでしょ」は人のことを傷つけ、最終的には自分のことも傷つける、と実感している話。

【AC回顧録・中学生(反省含む)】自己肯定感の低さから目を逸らして周囲の人を傷つけてしまっていた

自分の存在価値が危うくなり、その結果周囲の人を傷つけてしまっていました。

〈AC回顧録・中学生〉「1位」じゃない私には存在価値がない。誰かに殺されるわけでもないのに、命の危機を感じてしまう

高校受験を控えた中学3年の2学期は生きた心地がしなかった。

〈AC回顧録・中学生〉母がカンニングをさせようとしてくるのが地獄

過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。本記事は、模試や資格試験の前に不安になっていると、母がカ…

〈AC体験記・小中学生時代〉店員さんにクレームをつけて得しようとする母にゾッとする

怒りをかうので言えなかったけれど、イヤなものは「嫌」「やめてほしい」と伝えるべきだったかもしれない。

〈AC回顧録・中学時代〉母の味方をしないと「あんたもいつか絶対ひどい目に遭うんだからね」と呪いをかけてくる

母の味方をしないと「あんたもひどい目に遭うんだから」と呪いをかける母。「あんたのためにこんなにしてやった」と言うわりに、娘が不幸になるのを望んでいるのでは、と思うことがありました。

〈AC回顧録・中学時代〉母が父に嫌がらせをしているのを見るのがつらい - 郵便物を捨て無言電話をかけまくる

母が執拗に父に嫌がらせをしているのが辛かった話。 そんなに嫌なら離婚すればよいのに、離婚はプライドが許さない母なのでした。

〈AC回顧録・中学時代〉両親の不仲がつらい - 母が描いた藁人形みたいな落書きにゾッとした

何か不幸が降りかかったとして、それ自体はコントロールできないけれども、どういう態度をとるかは自分で選べるのだということを忘れないようにしたいと思います。

【気づき】人間関係において「なんとなく感じた」ことは、けっこう当たっているのではないかと思う

「なんとなく感じた」ことはけっこう当たっているので自分の感じ方を信じてよい(ただし被害妄想的にはならないよう注意)という話