過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
本記事は、模試や資格試験の前に不安になっていると、母がカンニングをすすめてくるのがものすごくイヤだったという話。
私はズルはしたくない性格なので、母からカンニングをすすめられないために、自力で良い成績を取り続けるしかありませんでした。
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娘を使って世の中に復讐をしたかった母
母は、周囲の人から「お宅のお嬢さんお勉強できてすごいわね」と言われないと気が済まない人でした(>>>【体験記】たとえ92点でも「なんであんな大したことない子に負けるのよ」と夜中まで責められる )。
なので私は常に「よい成績をとらねばならない」というプレッシャーと戦っていました。
中学も3年になると、周囲の子も受験を意識し始めて、勉強を頑張りだします。
平均点が上がったり、急に成績が伸びる子がいたりして、私のプレッシャーはどんどん増幅していきました。
このままみんなに追い越されたらどうしよう……
みんなが遊んでいるうちから真面目に勉強してきたのに……
という類の気の重さに支配されるようになっていきました。
だからつい、模試の前などに、「良い点とれなかったらどうしよう」とぼやくようになりました。
私としては、「仮に不出来だったとしても、不出来な私でもお母さんに受け止めてほしい」という気持ちでした。
「出来が悪くても、あなたのこと嫌いにならないよ」という言葉か態度が欲しかったのです。
安心が欲しかったのです。
しかし、母が提案してきたのは、カンニングでした。
カンニングをすすめてくる母
冗談まじりに「カンニングでもしたら?」と言う程度なら、まだ私も「またおかしなこと言ってる……」とげんなりする程度で済ませられたかもしれません。
しかし、あるとき母は、強制的に私にやらせようとしました(書くのもげんなりするので詳細は控えます)。
もちろん、学校の中間・期末テストなどではありません。
さすがに学校でカンニングをしてバレたら、母が気にする「内申点」に響くどころか、高校進学自体が危うくなることは母も理解していたようです。
だから、塾内でのテストや模擬試験など、”任意で受ける系のテスト”で、カンニングを勧めてくるのです。
とはいえ、そんなところでカンニングして良い点をとったからって、何の意味もありません。
入試当日はできるわけがないのですから。
実力で突破するしかないのですから。
そもそも私の性格上、そういう類のズルはできません。
やろうものなら罪悪感で死んでしまいます。
仮に、無理に実行したとしても、罪悪感から挙動不審になりすぎて一瞬でバレてしまうでしょう。
母の感性と、私の感性があまりに違いすぎることに絶望しました。
あの母から生まれたわりに、どうして私はこんなにまともなんだ?と不思議にさえ思いました。
母と同じくらい狂っていたら、こんなに苦しまずに済んだのではないか。
どうして私はこんなにちゃんとしているんだろう。
本来なら、誠実で真面目なことは、美徳とされることです。
でも私は、その性質を、恨まねばなりませんでした。
母とうまくやっていくには、私が狂うしかない。
でも私には、道を外れることはできませんでした。
とても、とてもつらかったです。
カンニングを勧められないように、自分を追い込む以外の道がなかった
「お母さん、それ、やっちゃダメなことだよ」と言ったところで、理解できないのがうちの母です。
「なにいってんの、良い点取ったもん勝ちよ! それくらいしないでどうする! だからあんたはダメなのよ!」と言うような人です。
さらには「せっかくあんたのためにしてやったのに!」と怒り狂う人です。
もはや良心が破壊しているのです(今思うと何かの障害かもしれない)。
父は、私と同じタイプでズルが嫌いなので、相談すれば母に注意してくれたでしょうが、おそらく父が怒りすぎてこれまたとんでもない夫婦喧嘩に発展することはわかっていました。
伯母なども、なんだかんだで最終的には母の味方をします。
となると、解決策は一つ。
カンニングをすすめられなくて済むよう、良い成績を取り続けるしかなかったのです。
中学に入ってから、”いい子”であろうと必死でしたが(>>>内申点の呪い - 「いい子」でいることは想像以上に苦しい)、輪をかけて追い込まねばならなくなりました。
ただ、追い込み方を少し間違ってしまった
「追い込む」といえど、あの時点での目標は志望校に合格することですから、私はただ淡々と、自分のすべきことをすればよかったのです。
具体的にいえば、冷静に自分の弱点を見極め、そこを重点的に勉強すればいいだけのことでした。
でも、当時の私にはそれがわかっていませんでした。
「追い込む=ただひたすら自分に鞭を打つ」ことだと思ってしまいました。
それはいつしか、「ただひたすら自分のことを責める」に形を変えていきました。
自分が完璧な存在でないことを嘆いていれば、少しだけ許されるような気がしていました。
「ねえ、お母さん、私、こんなに自分のこと罰しているよ。だから、お母さんの理想通りの娘じゃないことを、すこしは許してね」
という気持ちが隠れていたと思います。
でもこれは、全く意味のないことでした。
私が自分を罰そうが何をしようが、母はいずれにしても「娘を許す(ありのままを認める)」ような気はないからです。
そもそも、そういう選択肢自体がない人だったのです。
「1から100まで、全て母の思い通り」以外は、能力的に受けつけられない人だったのです。
「1から100まで母の思い通り」になるような人間の娘は、この世に存在しません。
それはもはや機械の類です。
私は、母の希望通りに動く機械になろうとしていたのです。
それがいかに愚かなことであるか、今となってはよくわかります。
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