過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
高校に入ってから、良い意味で環境の変化がいくつかあり、ようやく息ができたというか、つかの間ですが、学校生活を楽しめた時期がありました(その後ダークサイドに転落するのですけど)。
環境を変えることはとても効果が大きいと感じたので、書き出してみます。
- 「進学校に通っている」という状態そのものが母を安定させる
- 父が配慮してくれた面もある
- 真面目であることを恥じなくてよい環境もありがたかった
- 引越しで母と一緒の汚部屋からも解放された
- 【この経験から学ぶこと】
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「進学校に通っている」という状態そのものが母を安定させる
小学生の頃も、中学生の頃も、母は「あんたがいつ勉強についていけなくなるかわからない」という疑いの目を、常に私に向けていました。
テストや模試で、好成績をおさめた直後は良いのです。
成績表や順位表を何度も見返しては、母は満足げに頬を上げていました。
しかし、それ以外の時期は、常に私のことを疑っていました。
猛烈な期待をかけられているその一方で、全く信用されていない。
これはじわじわと私の気力を削いでいきました。
しかし、進学校に入ると、「偏差値●●の高校に通っている」という状態が継続的に、毎日続くわけです。
これがどうやら母を満足させたようでした。
子ども時代からずっと感じていた「あんたの出来が悪いとお母さんが恥かくじゃない」とでも言いたげな、ねばねばした視線が少し軽くなりました。
父が配慮してくれた面もある
成績表など保護者に見せる系の書類を、母に一切見せなくてよいことになったのも大きかったです。
進学校内での相対評価になるわけですから、当然、これまでに取ったことのないような点数や順位もあり得るわけで。
しかし母は、そういった前提条件を踏まえることのできない人。
点数や順位だけ見たら発狂したでしょう。
父はそれをわかってくれており、成績関係の書類はすべて父対応になりました。
案の定、早々に秀才たちの海に埋もれていきましたから、父が配慮してくれたのは助かりました。
真面目であることを恥じなくてよい環境もありがたかった
私の育った時代、公立中学では、真面目にしているとバカにされたり、からかわれたりするような傾向がなんとなくありました。
別に悪いことしてないのに、なんか恥ずかしい、のです。
かといって、内申点に響くことを恐れていた私には、真面目を貫くことしかできません。
「いい子ぶっている」自覚というか、「先生に媚びている」ような、うっすらした罪悪感みたいなものもありました。
しかし、高校では、始業式の校歌を歌っても、「あいつ歌ってる笑」と言われないし、スカートが長くても「ダサい」と言われない。
行事に本気を出しても、白い目で見られない。
こんなにのびのびとした気持ちは、初めてでした。
引越しで母と一緒の汚部屋からも解放された
また高校に入って、引越しをして、やっと自室を与えられたことも大きかったです。
汚部屋(>>>片付けられない母と一緒の汚部屋がつらい - 目覚めると素手にゴキブリ)から解放されたのは爽快でした。
ふすまで区切られた隣の部屋から母がいつのまにかのぞいたりすることはあっても、「24時間母と一緒」でなくなったのは、とても助かりました。
ボーっとしていると「あんたっ今、何考えてたんねっ!?お母さんのこと裏切ろうとしてるんじゃないだろうねっ?」などと監視されるのがきつかったので、ホッとしました。
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【この経験から学ぶこと】
息がしやすい環境を選ぶことはとても大事
負担の少ない環境を選ぼうとすると、「ラクしてる」「逃げてる」などとよく言われたものです。
でも、自分の長所と思われるところを「長所」として扱ってくれる場所(あるいは、自分では短所だと思っているところが、実はありがたがられる環境)を選ぶことは、本当に大切なことだと思うのです。
安心できてはじめて、人は能力を伸ばせるのだと思います。
すぐ近くに足を引っ張る人がいると、足を引っ張られないように、あるいは足を引っ張られたとしても体勢を保てるように、身体に力が入ってしまったり、自分に制限をかけてしまったりします。
私の場合は、(自分で言うのも変なのですが)アイデアは浮かぶほうなのですが、すぐに「それは●●だからダメ」「無理に決まっている」と否定されつづけ、「批判されたらまた面倒だな」と打ち消す癖があります。
で、なにもやらない。
これは本当にもったいないことだった、と思います。
今はすべて自分で選ぶことができるので、心地よいものだけを選択しています。
全部が全部、思い通りになるわけではありませんが、「なんとか少しでも納得のいく方向に」と心がけています。
そうするとかなり幸せなのです。
>>>「自分自身が納得できるかどうか」を基準に選択したら幸福度が上がった話
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