機能不全家族で育った私が、母と絶縁し、誰にもコントロールされない”自分の人生”を生きるようになるまでの記録をつづっています
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知人の子供に猛烈な怒りを覚えてしまい、「私、産んだらやる人だ」と認識しました。
母にとっての私は「所有物」に過ぎず、母から認められることも愛されることも一生ない、ということをやっと実感できた日のこと。
不本意な私のままで死んだら絶対に後悔する、と思いました。
「お母さんの言うこと、聞く必要、ある?」。その場では反発する気持ちでしたが、今になってみると「あれは本質を突いていたな」と思います。
常に人に迎合してしまう。それがもう癖になっている。一旦すべてを断たないとやり直せないと思いました。でも、なかなかできませんでした。
リハビリ病院を老人施設と勘違いした母が病院で大騒ぎした話。実の親ながら「まじでなんなん、こいつ」と思いました。
この経験によって、「お金を貸すと死ぬほどきつい」ということは身をもって体験したので、今後誰かに頼まれたとしても毅然と断れる自信はできました。
伯母にもお金を貸すのがつらい
自分が使うお金はほとんどないのに、親のために死ぬ思いをして働いている。 これがもう、やるせなくてやるせなくて。