毒親の呪縛から逃れることを決意した
「母に認められること・愛されることはこの先も一生ない」とやっとわかったのが29歳の頃でした。
ずっと私自身の気持ちよりも、母が好むものばかり選んできたので、「これまでの私の人生って、一体何だったのだろう」と、どうしようもない虚無感に襲われました。
でも、ある意味、「もうどうにでもなれ」というか、ふっきれたのもまた事実です。
一回死んだと思って、人生をやり直そう、と思いました。
「そんなの、こわくないの?」と思われるかもしれません。
でも、すでにこれだけ辛いのだから、これ以上悪くなることはあるまい、という確信がありました。
ある意味、親の期待に応える生き方は「もう限界までやり尽くした」と自分で納得できたんですよね。
人生という迷路で、目の前の道が完全に行き止まりだったので、別の経路を探さざるを得なかった、という感じかもしれません。
別の経路を探すにあたり、まず前段階としてやるべきことがあります。
それは「強いストレス源を排除すること」でした。
傷ついて血が流れているのに、消毒もせず放置していたら、傷が広がるだけだからです。
すでに傷ついているので、ちょっとした刺激も、ものすごく沁みたり痛みが出たりしますから、まずは、傷を広げないことが必須です。
当時の私にとって、強いストレスの2大巨頭は
① 合わない仕事
(それに伴う人間関係も含む)
② 母
でした。
他にも整えていきたいことは多々あるにせよ、まずは悪影響の大きかったこの2つから、距離をとっていくことにしました。
それに伴って準備したことや、今だからわかる「やっておけばよかったこと」なども書いています。
人それぞれ状況が違うので、必ずしもお役に立てるわけではないのですが、何か参考になるところがあれば幸いです。
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① 合わない仕事を辞めた
準備編
合わない仕事を辞める前に考えたこと ‐ 本質的な理由かどうか
(関連)今だからわかる、やめる前にやっておけばよかったこと
有給休暇について思うこと - とりづらくても日頃から適度にとっておくべし
② 母と距離を置いた
心境編
具体的にやったこと編
母と距離をとるために具体的にやったこと - 着信拒否・徹底的に帰省しない・引越し
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