母と離れてから、やっと「本来の自分の人生」が始まりました。
「ただ生きる、それだけのことがなぜか死にそうなほどに苦しい」状態から脱しました。
絶縁はあくまで最終手段であり、万人におすすめできるわけではありません。
それを踏まえてもなお、「親と決別する以外、もう選択肢がない」という方のために、「私はどういう経緯で絶縁に至ったか」「絶縁を決めてからどんな行動をとったか」という実体験をこのブログではお話ししていこうと思います。
そのために、まずは、「そもそもなぜ私は、絶縁せねばならないほどの不信感を母に抱いてしまったか」ということを自分自身がイチから整理する必要があると感じました。
一旦すべてを出し切らないと、前向きな記事を書くときでさえも、怒りが再燃して筆が止まってしまうからです。
また、人と話しているときなどに、親との記憶がよみがえってきて「ぶつぶつぶつぶつ……うらめしやあ」みたいなモードに入ってしまうことがあるからです。
書ききって、過去の痛みを客観視することによって成仏させたいと思っています。
ですので、とても細かいことも含め、小記事に分けながら書いてみることにします。
本シリーズは、私自身の「自己治癒」が主目的となりますので、読んでくださる方々にはつまらないものかもしれません。
ただ、「毒親の呪いを解きつつある(完全に解けるかはわかりませんが、解こうとはしている)人間もいる」と希望を持ってもらえるといいな、とも思っています。
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アダルトチルドレンができるまで 記事一覧(もくじ)
〈3~4才頃〉
父に対しても思うところはある(恨んだりはしていないけれど)
・たとえしつけでも、叩かれたことの記憶は今も暗い影を落としている
両親不仲・家庭環境が不穏
・夫婦喧嘩の後に必ず「お父さんとお母さんどっちについていくのっ!!」
・お腹は痛いわ、母は不機嫌だわ、夫婦喧嘩も勃発するわ、でヘトヘト
・ 夫婦間で意見の統一ができていないと、子は「生きながら同時に死ぬ」ことになる
母による過干渉・コントロール
・ひらがなをひたすら書き続けることの虚しさ(教育虐待のはじまり)
〈幼稚園児の頃の記憶〉
・「うちの子は主役がやりたいんです」と幼稚園に乗り込んで行ってしまう
・母の不機嫌 - 年齢の話になるとこの世の終わりかというほどムクれる
・軽めの軟禁 - トイレ以外は部屋から出てはいけない&玄関使用禁止
ストレスによる影響がすでに身体に出ていた
・不安が高まると爪を傷つけてしまう(皮膚むしり症のはじまり)
〈小学生の頃に辛かったこと〉
知らぬ間に母の要素が埋め込まれてしまっていた
・母の悪意が自分のなかでうごめいていることに気づいて戦慄したできごと(暴力の寸止め)
生活面放置ぎみ
・お風呂は2~3か月に一回入れればいいほう(シャワーもなし)
・そのわりに娘が深刻に悩んでいる天パはスルー
過干渉・子は所有物
・小学生になっても自転車の幼児用座席に座らされるときの無力感
・人間関係への干渉「〇〇ちゃんと遊んじゃダメ」or「〇〇さんと仲良くしなさい」
・母の探し物を手伝わされることやマッサージの強要にげんなり(時間泥棒)
・何かに夢中になると取り上げられる 唯一の楽しみ『りぼん』禁止令
・せっかく外出したのに……母が戸締りを気にしてパニック(確認恐怖)→帰宅
・金銭管理が苦手なことを棚上げし「あんたの学校のものにお金がかかるせい」
・口論になると自転車で逃げる母 - あまりにも受け止めてもらえない
・親戚中に「娘がおかしくなった」と電話をかけまくる”公開処刑”がつらい
教育虐待系
・誰にも負けてはいけないというメッセージがつらい(習い事ばかりでヘトヘト)
・受ける予定もないのに中学受験用の塾に行くのが辛くて辛くて仕方なかった
自覚していなかっただけですでに母のことが嫌いだった
・小学校の卒業式で一人ずつ「親への感謝」を言わされるときの煩悶
〈中学生の頃につらかったこと〉
教育虐待系
・たとえ92点でも「なんであんな大したことない子に負けるのよ」と夜中まで責められる
・よい成績をとりたすぎて体調が悪いのにプールに入ってしまった話
・「あなたは良いんだけど、お母さんがね……」と先生に言われたのはショックだった
⇒気づき1:思っていることは想像以上に伝わるので、自分のことも人のことも否定しない心でありたいと思う
気づき2:人間関係において「なんとなく感じた」ことは、けっこう当たっている
・テスト前に不安そうにしていると母がカンニングをさせようとしてくるのがつらい
・「1位」じゃない私には存在価値がない。誰かに殺されるわけでもないのに、命の危機を感じてしまう
女性として成長することに罪悪感
両親不仲/母のモラルは破壊している
・両親の不仲が本格化- 母が描いた藁人形的な落書きにゾッとした
・母が父に嫌がらせをしているのを見るのがつらい - 郵便物は捨てるし無言電話をかけまくる
・母の味方をしないと「あんたもいつか絶対ひどい目に遭うんだからね」と呪いをかけてくる
・店員さんにクレームをつけて得しようとする母を恥ずかしく思う
私自身の反省点
・自己肯定感の低さから目を逸らして周囲の人を傷つけてしまっていた
〈高校生のころ〉
マウンティングのための道具として利用される
・娘が進学校に通っていることを自慢したい母に「制服で来なさい」と呼び出される
女性としての成長に罪悪感
・女性らしい格好やふるまいをすることに罪悪感がありボーイッシュな格好をしていたけれど
・「襲われたら舌を噛んで死ね」が刷り込まれて恋愛自体に罪悪感
・電話は基本的に盗み聞き「甘えたような声出して気持ち悪い!」
両親引きつづき不仲
教育虐待がマイナス方向に出始める
・勉強を手放したいのに、勉強に執着して「イップス」的な状態に
・「超難関大に行くために浪人する」と母が話を盛って言いふらすのが苦しい
〈浪人して死にかける(でも死ねない)〉
・皮膚むしり症が再発 - 模試の間中、鼻の頭の皮をひたすらむいてしまう
・「嫁に行けなくなるから精神科に行くのは許さない」と保険証を隠される
〈劣等感をこじらせすぎて様々な面に問題が出始めた大学生活〉
・死ぬ勇気がないので力づくで「理想の私」に近づけるしかないと思った
〈就職する前に疲労困憊〉
・あまり興味がないのに、優秀さを証明するための勉強をつづけた結果
・就職するのが嫌で嫌でたまらない(が、自分を貫く気力もなくひたすら絶望していた)
〈就職試験の最中に「母のことが絶望的に嫌い」と気づいてしまう〉
就職試験の真っ最中に「母のことが絶対的に嫌い」と気づいてしまった
母への嫌悪感に気づいてからのこと
嫌悪感に気づいて以降の5年弱のことはこちらにまとめていきます。
【もくじ】母への嫌悪感に気づいてから、絶縁にいたるまでのこと【体験談】
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記事作成日 2021/3/10