足かせは外すことにした

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

【もくじ】私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったのか 【体験談】

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母にとっての私は「母の地位を向上させるための道具(or 作品)」でした。

2012年頃、母と距離をとることに決めました。
2021年現在も連絡を絶っています。

母と離れてから、やっと「本来の自分の人生」が始まりました。
「ただ生きる、それだけのことがなぜか死にそうなほどに苦しい」状態から脱しました。

絶縁はあくまで最終手段であり、決しておすすめできるわけではありません。
それを踏まえてもなお、「親と決別する以外、もう選択肢がない」という方のために、「私はどういう経緯で絶縁に至ったか」「絶縁を決めてからどんな行動をとったか」という実体験をお話ししていこうと思います。

そのために、まずは、「そもそもなぜ私は、絶縁せねばならないほどの不信感を母に抱いてしまったか」ということを自分自身がイチから整理する必要があると感じました。

一旦すべてを出し切らないと、前向きな記事を書くときでさえも、怒りが再燃して筆が止まってしまうからです。

また、人と話しているときなどに、親との記憶がよみがえってきて「ぶつぶつぶつぶつ……うらめしやあ」みたいなモードに入ってしまうことがあるからです。

書ききって、過去の痛みを客観視することによって成仏させたいと思っています。
なので、とても細かいことも含め、小記事に分けながら書いてみることにします。

本シリーズ(私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったのか)は、私自身の「自己治癒」が主目的となりますので、読んでくださる方々にはつまらないものかもしれません(その一方で、「毒親になりたくない」と思っている方には参考になるかも)。

ただ、「毒親の呪いを解きつつある(完全に解けるかはわかりませんが、解こうとはしている)人間もいる」と希望を持ってもらえるといいな、とも思っています。

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アダルトチルドレンができるまで 記事一覧(もくじ)

親への不信感は幼児の頃から(ものごころついた頃から幼稚園頃までの記憶)

父は父でちょっと、、、なところもある

人生最初の記憶 - 体調不良よりも親の機嫌

たとえしつけでも、叩かれたことの記憶は今も暗い影を落としている 

トラブルにつながる、母の困った性質

見栄を張らずには生きていけない

劣等感が強すぎて謝ることができない 

母にとって都合のいい人以外「全員敵」

壊滅的に家事ができない 

 

母による支配

「あれもダメこれもダメ」で生きる力を奪ってくる

母の機嫌を損ねると「あんたを置いて出ていくんだからね」

「手あらいのうた」を歌っていたら突然キレられる(母の被害妄想が爆発)

ひらがなをひたすら書き続けることの虚しさ(教育虐待というほどではないのかもしれないけれど……) 

親の機嫌を損ねるので、体調不良はすさまじい絶望だった

自分の身は自分で守るしかないと悟ったできごと

同居している祖父母との接触禁止命令 

「うちの子は主役がやりたいんです」と幼稚園に乗り込んで行ってしまう 

両親の考えが違いすぎると「生きながら死ぬ」ことになる

 幼児教室に通わせたい母と反対派の父(ダブルバインド)

夫婦喧嘩の後の「お父さんとお母さんどっちについていくのっ!!」がつらかった

 

小学生の頃に辛かったこと

母の悪意が自分のなかでうごめいていることに気づいて戦慄したできごと(暴力の寸止め)

汚部屋がつらい - 目が覚めると素手にゴキブリ 

中学生の頃に辛かったこと

高校生になるとほころびが隠せなくなった

浪人して死にかけるも、地獄の石を拾う

地獄の石を握りしめつつの大学生活

就職する前に疲労困憊、ガス欠

就職試験の最中に「母のことが絶望的に嫌い」と気づいてしまう

組織の中でもなぜか踏み台にされがち

全てのトラブルの大元を探ると、どうしても母との関係性にたどり着いてしまう

私が一人の人間として生きていくには、母と距離を置くしかなかった

距離をとるためにした準備

 

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