母にとっての私は「母の地位を向上させるための道具(or 作品)」でした。
2012年頃、母と距離をとることに決めました。
現在も連絡を絶っています。
母と離れてから、やっと「本来の自分の人生」が始まりました。
「ただ生きる、それだけのことがなぜか死にそうなほどに苦しい」状態から脱しました。
絶縁はあくまで最終手段であり、万人におすすめできるわけではありません。
それを踏まえてもなお、「親と決別する以外、もう選択肢がない」という方のために、「私はどういう経緯で絶縁に至ったか」「絶縁を決めてからどんな行動をとったか」という実体験をお話ししていこうと思います。
そのために、まずは、「そもそもなぜ私は、絶縁せねばならないほどの不信感を母に抱いてしまったか」ということを自分自身がイチから整理する必要があると感じました。
一旦すべてを出し切らないと、前向きな記事を書くときでさえも、怒りが再燃して筆が止まってしまうからです。
また、人と話しているときなどに、親との記憶がよみがえってきて「ぶつぶつぶつぶつ……うらめしやあ」みたいなモードに入ってしまうことがあるからです。
書ききって、過去の痛みを客観視することによって成仏させたいと思っています。
なので、とても細かいことも含め、小記事に分けながら書いてみることにします。
本シリーズ(私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったのか)は、私自身の「自己治癒」が主目的となりますので、読んでくださる方々にはつまらないものかもしれません。
ただ、「毒親の呪いを解きつつある(完全に解けるかはわかりませんが、解こうとはしている)人間もいる」と希望を持ってもらえるといいな、とも思っています。
- アダルトチルドレンができるまで 記事一覧(もくじ)
- 母への嫌悪感に気づいてからのこと
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アダルトチルドレンができるまで 記事一覧(もくじ)
ものごころついた頃~入園前
父に対しても思うところはある(恨んだりはしていないけれど)
・たとえしつけでも、叩かれたことの記憶は今も暗い影を落としている
両親不仲・家庭環境が不穏
・夫婦喧嘩の後に必ず「お父さんとお母さんどっちについていくのっ!!」
・両親の考え方が違いすぎるため何をしても怒られる(ダブルバインド)
母による過干渉・コントロール
・ひらがなをひたすら書き続けることの虚しさ(教育虐待のはじまり)
幼稚園の頃につらかったこと
・「うちの子は主役がやりたいんです」と幼稚園に乗り込んで行ってしまう
・「手あらいのうた」を歌っていたら突然キレられる(母の被害妄想が爆発)
ストレスによる影響がすでに身体に出ていた
・不安が高まると爪を傷つけてしまう(皮膚むしり症のはじまり)
小学生の頃に辛かったこと
知らぬ間に母の要素が埋め込まれてしまっていた
・母の悪意が自分のなかでうごめいていることに気づいて戦慄したできごと(暴力の寸止め)
過干渉なのに生活面は放置ぎみ
・お風呂は2~3か月に一回入れればいいほう(シャワーもなし)
・過干渉なのに娘が本当に悩んでいることはスルー(天パで自己嫌悪強まる)
教育虐待系
・誰にも負けてはいけないというメッセージがつらい(習い事ばかりでヘトヘト)
・何かに夢中になることは許されない 唯一の楽しみ『りぼん』禁止令
・受ける予定もないのに中学受験用の塾に行くのが辛くて辛くて仕方なかった
ナチュラルに「子は所有物」と思っている
・小学生になっても自転車の幼児用座席に座らされるときの無力感
・母の探し物を手伝わされることやマッサージの強要にげんなり(時間泥棒)
・「母の好きなもの=娘の好きなもの」という決めつけが辛い(母のお気に入りの先生に贈り物をした話)
・私が反抗しようとすると家を出て自転車でどこかに行ってしまう母が憎かった
・親戚中に「娘がおかしくなった」と電話をかけまくる”公開処刑”がつらい
自覚していなかっただけですでに母のことが嫌いだった
・小学校の卒業式で一人ずつ「親への感謝」を言わされるときの煩悶
中学生の頃に辛かったこと
教育虐待系
・たとえ92点でも「なんであんな大したことない子に負けるのよ」と夜中まで責められる
・よい成績をとりたすぎて体調が悪いのにプールに入ってしまった話
・「あなたは良いんだけど、お母さんがね……」と先生に言われたのはショックだった
・テスト前に不安そうにしていると母がカンニングをさせようとしてくるのがつらい
・「1位」じゃない私には存在価値がない。誰かに殺されるわけでもないのに、命の危機を感じてしまう
女性として成長することに罪悪感
両親不仲
・両親の不仲が本格化- 母が描いた藁人形的な落書きにゾッとした
・母が父に嫌がらせをしているのを見るのがつらい - 郵便物は捨てるし無言電話をかけまくる
母のモラルが崩壊している
私自身の反省点
・自己肯定感の低さから目を逸らして周囲の人を傷つけてしまっていた
高校生になるとほころびが隠せなくなった
一瞬だけ休む
両親引きつづき不仲
女性としての成長に罪悪感
・女性らしい格好やふるまいをすることに罪悪感がありボーイッシュな格好をしていたけれど
・「襲われたら舌を噛んで死ね」が刷り込まれて恋愛自体に罪悪感
・電話は基本的に盗み聞き「甘えたような声出して気持ち悪い!」
教育虐待の成果がマイナス方向に出始める
・勉強を手放したいのに、勉強に執着して「イップス」的な状態に
浪人して死にかける(でも死ねない)
・皮膚むしり症が再発 - 模試の間中、鼻の頭の皮をひたすらむいてしまう
・「嫁に行けなくなるから精神科に行くのは許さない」と保険証を隠される
劣等感をこじらせすぎて様々な面に問題が出始めた大学生活
・死ぬ勇気がないので力づくで「理想の私」に近づけるしかないと思った
就職する前に疲労困憊、ガス欠
・あまり興味がないのに、優秀さを証明するための勉強をつづけた結果
・就職するのが嫌で嫌でたまらない(が、自分を貫く気力もなくひたすら絶望していた)
就職試験の最中に「母のことが絶望的に嫌い」と気づいてしまう
就職試験の真っ最中に「母のことが絶対的に嫌い」と気づいてしまった
母への嫌悪感に気づいてからのこと
嫌悪感に気づいて以降の5年弱のことはこちらにまとめていきます。
【もくじ】母への嫌悪感に気づいてから、絶縁にいたるまでのこと【体験談】
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記事作成日 2021/3/10