親の呪いを解いて自分の人生を生きる

アダルトチルドレン回復の記録

【AC回顧録・20代後半】親にお金を貸していることがバレて振られる

母への嫌悪感に気づいてから絶縁に至るまでの出来事を見つめなおしています。>>>記事一覧)。

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親にお金を貸すのは「いいこと」だと思っていた

会社員時代、父や伯母にお金を貸していました(父にお金を貸すのがつらい伯母にお金を貸すのがつらい)。

親孝行のようなものだと思っていました。
というか、育ててもらった以上、断る権限はないと思っていました。

もし断ったら、「じゃあこれまでにおまえを育てるために使った費用、返せ」と言われたら、そうせざるを得ないというか、むしろもっと多額になってしまうので、さっさと貸しておいたほうが得策だと、そのときは思ってしまったのです。

今思えば、子の養育は親の義務なので、「かかったお金を返さなきゃ」などと考えること自体がおかしいのですが(父に関してはそこまでの毒親ではなかったし)。

でも……まあ、「育てるために使った金返せ」は毒親あるあるですよね。

実際私の母は、(お金ではないですが)「あんたを育てるためにお母さんはこんなにやってやったのに、あんたはお母さんに何もしてくれない」と日々文句を言う人でしたから。

伯母(母の姉)も同類で、「〇〇ちゃん(私のいとこなど)の親にあれだけしてやったのに、何もしてくれない」と私にぼやいていたので、私にも対価を求めているのだろうなと常々感じていました。

だから、口にしないだけで、父もきっとそう思っているだろうと思っていました(父は別にそこまで恩着せがましい人ではなかった、と今はわかる)。

また、万が一、お金の関係で自ら……みたいなことがあっても困る、と思っていました。

だから、頭では「育ててもらったのだから仕方ない」と思ってお金を貸していたわけですが、心情的には納得できていなかったんですよね。

同僚が、旅行に行ったり、好きなものを買ったり、自分のためにお金を使って楽しんでいるのを見ると、うらやましくて仕方がなくて、くやしいようなやるせないような、発狂しそうな気持ちでした。

同じだけ仕事をしているのに、どうして私ばかり苦しまないといけないの、と。

けれど、お金のことなので、そうやすやすと人に話せる内容でもない。

だから、「買い物でもして気分転換しなよー」とか言われると、もう、やるせなくて。

今ならあっけらかんと、「家庭の事情で家にお金入れてて自分で使えるお金ないんだよね~」くらい言えると思うのですが、当時は「家の恥をさらしてはいけない」みたいな呪いにかかっていたんですよね。

子供のころ、家のことを友達に話すと母がすごく嫌がったので(これもある意味孤立させる手段で、コントロールするにはちょうどよかったんだなと、今はわかる)。

「俺たちのお金がなくなるってことなんだからな(怒)」

トイボックス 銭別銀行とりだし君(ブラウン) TC-1047C

とはいえ、私も未熟でしたから、お金を貸していることがイヤで嫌でたまらず、当時お付き合いしていた人にはうっかり愚痴を言ってしまいました。

私としては「それは大変だね」と共感してもらいたかっただけなのですが、共感どころかむしろ、ケンカというか、不穏な空気に。
まあ、そもそも共感性のあるタイプの人ではなかったのですが……。

最終的に「俺らのお金がなくなるってことなんだからな(怒)」と責められてしまいました。

今振り返ると、彼の言わんとするところもわかります。
そういう無心をしてくる親族がいると、実被害が及ぶのは間違いないですから(だから私自身も親戚とほとんど縁を切ったわけだし)。

また、お金の価値観も、育った家庭で違いますからね。
私の父は「奨学金の利息は異常に低いからどんどん借りろ」みたいなタイプでしたが、「奨学金=借金」と忌み嫌うご家庭もありますしね。

この件以外だけじゃなくて、私が仕事の愚痴ばかり言っていたり、精神的に病んでいたりしたことなど、いろいろ含めての結果だとは思いますが、のちに
「俺の人生の邪魔しないでほしい」
と言われてしまいました。

今思うこと

付き合う人を間違えていた

そもそも父や伯母にお金を貸さないという選択肢もあれど、その件はこちらで書いているので、一旦置いておくとして。

常に「わかってほしい」という切迫感を抱えていたのだから、友人にしろ恋愛にしろ、共感力のある優しい人とつき合うべきでした。

なのに、なぜかどうしても共感力に乏しいタイプの人とばかり接点があったのです。

そもそもの家庭環境が共感力ゼロなので、そちらに慣れてしまっていて、「共感力の高い人」や「優しい人」がどんな人か、いまいちわかっていなかったんですよね。

たとえば、優しい言葉をかけてもらったとしても、「この人、何か裏があるのでは?」と疑ってしまったりするのです(母が都合のいいときだけおだててコントロールしてくるタイプの人だったので)。

また、優しい人に対して「どうしてこんな素敵な人が私なんかと仲良くしてくれるのだろう」と気が引けて申し訳ない気がしてきてなんとなく距離をとってしまうという事情もありました。

だから、理想を言えば、ある程度いろんな人と接して、人間を理解する、みたいなプロセスが必要だったのかもしれません。人それぞれ、本当に違いますもんね。

とはいえ母が人間関係に干渉してくるのは毎度のことですし、恋愛においては「今妊娠したらあんたの人生終わる」の呪いをかけられているので、なおさら難しかったのです。

また、他者を信頼できず(親ですら信頼できないので)、あまり本心を出せなかったので、人と仲良くなりづらいという面もあったと思います。

結果として、親に似たような、共感力のない人とつるむことになってしまったわけです。

まだちょっと危ういけれど

いまだに、うっかりすると、親に似たようなタイプの人に好かれがち(もめたくなくて迎合しがちだから)なので、ちょっと気をつけないといけない面はまだあります。

でも、「ちょっとあの人のペース、モヤっとするな。巻き込まれそうだぞ」と思うと、適度に距離を取れるようにはなってきました。

そして、本当に優しい人というか、少なくとも私のことをディスらない人や、いい面に目を向けてくれる人など、数は少ないですが、少しずつ関係を築けるようになってきたと思います。

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