ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

ブログ整備中につき、一時的に非表示にしている記事がございます。少しずつ再更新してまいりますので、またご訪問いただけますと幸いです

〈AC回顧録・20代後半〉父にお金を貸すのがつらい(月15~25万)


自己治癒のため、自分の育った環境を客観視する作業をしています。
母への嫌悪感に気づくまでのこと
気づいてから、絶縁にいたるまでの約5年のこと 


一時期、実家の家計がまわらなくなった時期があり、そのときは私が月に15~25万程度を父に貸していました。

自分が使うお金はほとんどないのに、私を傷つけてきた親のために死ぬ思いをして働いている。
これがもう、やるせなくてやるせなくて。
本当につらかったです。

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お金貸すことが、こんなに苦しいものだとは

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家庭内は常に不穏ではありましたが、基本的に父がきちんと働いてくれたため、食べ物に困るほどの困窮はありませんでした(まあ、父はかなりの吝嗇ですが)。

その点は非常にありがたく、父に感謝している部分ではあります。

ただ、一時期、リーマンショックの影響などもあり、実家の家計が回らなくなった時期がありました。

まだ私が働き始めて数か月程度だったと思いますが、父が毎月電話してくるようになりました、「お金貸してくれ」と。

私も最初は「まあ、しょうがないよね」と思っていました。
それまでは父がずっと働いてきてくれたわけですから。

ですが、1年が経ち……2年が過ぎ……。
貸す金額もどんどん大きくなっていきました。

ひどいときは月25万円も貸していました。
もちろん、お給料だけでは賄えませんから、ボーナスなどを切り崩して、です。

自分のお給料なのに、自分が使う分はほとんど手元に残らないので、私自身の生活はものすごく切り詰めていました。

冬は厚手のコートを買えずにぺらぺらのトレンチコートで震えながら過ごし、夏はのどが渇いてジュース一本買うのさえも、自販機の前で10分悩むような有様でした。

さすがにまる3年が経つと、
もう、お金貸すの、嫌で嫌で嫌で嫌でしょうがない
という気持ちになっていました。

でも、断れないんです。
子どものころに父に叩かれていますので(【体験談】たとえしつけでも、叩かれた記憶はいまも心に影を落としている)、恐怖心が強かった。

もう大人なのでたたかれることもないのですけど、強い恐怖というのは防衛的な性格を形成してしまって、自己主張できずに「とにかくその場をしのぐ」みたいな反応になってしまうんですよね。

それまで、父には母ほどの嫌悪感はなくて、「まあ、ちょっとアレなところはあるけれど、まあ父も人間だし……」みたいな気持ちでしたが、さすがにこのころは
もうほんとに嫌
になっていました。

でも同時に、
父はこの苦痛を20年以上やってくれたのか
というのもちょっとだけありました。

父の性格上、あまり人とうまくやれる感じではないですから、結構苦痛だっただろうな、と。

私や母の生活費を出すのがすごく嫌そうだったのは、こういう感じの気持ちだったんだな
と、わかるような気もしたんです。

でも、そういった共感の気持ちもわからなくはない、と思ってしまうと、余計に断れなくなり……。
自分で自分の首を絞めたように思います。

共感性が高いことは決して悪くはないと思うのですが、どうしても他者の都合に迎合してしまい、自分がひたすら我慢することになるので……いいんだか、悪いんだか、わからないですね……。

共感性云々の前に、親との間に境界線が引けていなかったのが問題なのだろうとは思いますが……。

子どものころ、「言うことを聞かないとひどい目に遭う」を重ねていると、どうしても、自動モードで従ってしまうのですよね。

今思うこと:あのときどうすればよかったのか

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たぶん、父的には、私がそんなに仕事でストレスを溜めていることに気づいていなかっただろうと思うんですよね。

まあ、昭和の働き方をしてきた人なので、「つらいのが普通」でしょうし。

一度、「私はいまこうこうこういう状況で、お金を貸すのはとてもつらい」と正直に正面から伝えてみればよかったのかもしれません。
父は、母ほどのわからず屋ではないので、理屈が通る話し方をすれば、ある程度は理解してくれるはずなので。

でも当時は「話したってわかってもらえるわけがない」と思いました。
「これまで育ててもらったんだから断ってはいけない」みたいなタブーもありましたし、父に対しても。

今思えば、父は母に(比べればまだ)話が通じるのに、母と同化して見てしまっていたんですよね。
たぶん、父だけではなく、他人のこともです。

母との関係性によって築いてしまった「機嫌を損ねると大変な目に遭う」が人間関係の基本になってしまっていたのです。

だから、どこに行っても、だれと仲良くなっても、「だんだんしんどくなる」だったんですよね。

常に相手に迎合し続けているわけですからね。
ずるい人からすれば格好のカモで、搾取されていますし。

今後に生かす:理解してもらえないこと覚悟で「正直に話してみる」という選択肢があってもいい

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当時、誰に対しても、「どうせ理解してもらえないから言っても無駄だ」と思っていました。

やはり子供のころから、どれだけ訴えても、母にスルーされたり、とんちんかんな答えが返ってきたことががつらすぎて。
学習性無気力みたいな状態だったんですよね。

でも、世の中、全員が私の母みたいな人ではないんですよ。
「言っても無駄」と決めつけてしまったのは、私が反省すべきところだと今は思います。

今後は「理解してもらえなくてもいいから、自分のために伝える」ことにします。

理解するかしないかは相手の状況によるのでコントロールできませんが、「私は私のために、やれることはやった」と思える、それがけっこう大事なのかなとも思うのです。

※まったく話にならない人もいますので、相手によりけりな部分もあります。
危害を加えてくるような人であればそっと離れたほうが安全です。

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