母への嫌悪感に気づいてから絶縁に至るまでの出来事を見つめなおしています。>>>記事一覧)。
苦しみを伴う人間関係をふりかえってみると、その大元には母の影がありました。
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うまくいかない人間関係の大元には”母”がいた
会社員時代、特に苦労した人間関係がこの3つでした。
・支配系の先輩が苦手(過剰適応でヘコヘコしているので圧の強い人や支配系の人に都合よく扱われる)
・図々しい系の同僚が苦手(「代わりに〇〇やっといて」と同僚にも利用される)
・反抗系の部下に手を焼く(部下にもなめられてなかなか指示が通らない)
当時、もがきながら、「どうしてこうなってしまったのだろう」と、日々嘆いていたのですが、いずれの関係性にも「母の影響がある」ことに気づきました。
圧の強い先輩の場合:「母の言うことを聞かないと大変な目に遭った記憶」が反応
圧の強い先輩からの無理めな仕事を頼まれても、うまく交渉できませんでした。
その場の空気が微妙になるのがイヤで安請け合いしたり。
でも実際は負担なので、だんだんちょっと嫌そうなのが態度に出てしまうんですよね。
すると先輩も苛立つので、「いいから言うこと聞け」みたいな支配的雰囲気になってしまったのだと思います。
子どものころから何か主張しようとすると「あんたはワガママ」で封じられてきたので、そういった交渉ごとが全然できなかったんですよね。
今でこそ、こんなにいろいろと文章を書いていますが、瞬時にうまく言語化することもできなかったのです。
言語化しようと考えている間に、「黙ってるのはあんたなんかやましいことがあるんだね!?」と母に意見を決めつけられてしまっていたので、「とにかく瞬時に何か反応しないともっとヤバいことになる」みたいな焦りが常にありました。
不機嫌そうな同僚が苦手:母から植え付けられた「タブー」をことごとく打ち破るから
子どものころ、ただ普通の表情をしているだけなのに「あんたまたふてくされて!感じが悪い!」と母に言われてきました。
時代的なものもあるのかもしれませんが、「女は愛嬌」だったんですよね。
また、母に何か頼み事でもしようものなら「またそうやってお母さんのこと使う! お母さんばっかり、あんたにやってやってる! お母さんかわいそう、まるでのび太に使われるドラえもんみたい! あんたはのび太だからね!」とひどい言われようでした(今思うと子どもなのだから親に頼って当然だと思うのですが&のび太君にも失礼)。
そのようにして、私のなかには大量の「タブー」が形成されました。
そして、私のタブーをことごとく破ってくるのが、苦手な同僚(「代わりに〇〇やっといて」と同僚にも利用される)でした。
その同僚は、常に不機嫌そうで、(悪く言えば)人を利用することに抵抗がなく、毒舌というか……わりと無神経な発言もしてしまう人でした(もしかすると何らかの特性があったのかもしれませんが)。
今なら「ああ、そういう人ね」で適度に距離を置いて済ませることができるのですが、当時は私も未熟でしたし、タブーをあっさり破る同僚のことを「間違っている」と思っていました。
同時に、同僚のことがうらやましかったのだとも思います。
あれだけ私が強く禁止されてきたことを、あっさりとやってしまう、その自由さが。
しかし、当時の私にしてみれば、腹が立って仕方がありませんでした。
考えたくないのに、常にその同僚のことを心の中で批判していました。
でもふと、自分に嫌気がさすのです。
どうして私はこんなに心が狭いのだろう、と。
人のことを批判することは、同時に自分を批判することでもあるんですよね。
反抗系の部下:母からの嫉妬を思い出し、ご機嫌取りをやってしまった
母は太っていることを気にしていたので、よく私に「感謝しなさい、こんなにスタイルよく(※痩せてるだけ)生んでやったんだから」とじめじめした目で私に言いました。
「娘が素敵でうれしい」の喜びではなく、嫉妬でした。
夫婦仲が悪かったこともあり、母自身も愛情不足に苦しんでいたのでしょう。
そのうち私は、だれかに「嫉妬されているな」と感じるとき、あえて自分を貶めて自虐したり、相手のよいところを必死で褒めたりするようになってしまいました。
その行動様式が部下にも発動してしまったと思います。
部下に対し、「こんなペーペーが上司じゃ嫌だろうな」と分かるような気がしつつも、「若い女に上に立たれて、悔しいのだろうな」ということも薄々感じていたからです。
私に嫉妬している状況自体を「かわいそう」と思ってしまいました(これが逆に失礼だということに気づかなかった)。
それで、部下に変な気の使い方をしてしまい、困った事態(>>>部下に花を持たせたつもりが「成果を横取りされた」と噂を流されてしまう)を招いてしまいました。
防衛反応が残っていた
人間関係の悩みにつながってしまうような反応の仕方は、子ども時代の私が、生き延びるためにやってきたことでした。
母のもとで子ども時代を生き延びるには必要なことでした。
それが大人になってもなお抜けず、むしろ固化されてしまったことが問題でした。
子ども時代に身に着けた防衛装置を外すには、できるだけ早い段階で母と距離をとる必要があったな、と今は思いますが……
でも、なかなかできることではありませんよね、相手は親ですもの。
優しい人や真面目な人ほど難しいと思います。
当時の私も、防衛装置を外すには、「一旦全てを捨てる必要がある」と感じてはいたものの、なかなか決心がつきませんでしたから。
母と距離をとって10年近くが経過した現在でさえ、防衛反応は完全には抜けきっていません。
それでも今は、ひどく日常生活に影響しているわけでもないので、まあよしと考えています。
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