ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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〈AC回顧録・高校時代〉「今妊娠したらあんたの人生終わるんだからね」という脅し


過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。


子どもの頃から「襲われたら舌を噛んで死ね」と言われてきました。
それは高校生くらいになると「今妊娠したらあんたの人生終わるんだからね」に変わっていきました。

望まない妊娠を避けさせようという親心ももちろんあったでしょうけど、それよりも「お母さんに恥をかかせないでちょうだいね」と釘をさされているように感じていました。

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「今妊娠したらあんたの人生終わるんだからね」

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高校生になると、(身近にはいませんでしたが)風の噂で「中学校の同級生が妊娠して高校を中退した」などの話は耳に入るようになりました。

すると母は、嫌悪感に満ちた表情でこう脅してくるようになりました。

「今妊娠したらあんたの人生終わるんだからね」

確かに、高校生での妊娠・出産はリスクがとても高いので、そう言いたくなる気持ち自体はわかります。

でも、心配している類の雰囲気ではなく、完全に「脅し」なのです。

「お母さんに恥かかせないでちょうだいよ」

というのが透けて見えていました。

ちょっとでも太ると「あんた妊娠してるんじゃないでしょうねっ!?」

私はやせ型で、あまり太らない体質なのですが、それでも思春期などは比較的体重変化があったように思います。

少しでも太ると母は「あんた妊娠してるんじゃないでしょうねっ!?」と疑いの目を私に向けてきました。

心配しているというよりは「娘を疑っている・信用していない」のです。

「こんなに日々監視されているんだから、妊娠なんかする暇ないよ……」
と悲しい気持ちでした。

基本的に学校と家の往復、ちょっとでも帰りが遅くなれば平気で学校に電話してしまうような母なので、私も寄り道などできません。
また、友達と遊ぶこと自体をかなり制限されていました。

だから、本当に妊娠する隙なんてなかったのです。

もし誰かとお付き合いするようなことがあれば報告せざるを得ないくらい母に監視されていましたし、ほんとうに真面目に生きていたのです。

それなのに、妊娠を疑われたり、「このアバズレが」みたいな目を向けられるのが本当に堪えました。

母には強迫性障害の症状があった(>>>見捨てられ不安からのしがみつき)ので、私が妊娠していないかどうかもまた「確認行為」の一種であり、異常なしつこさになってしまったのかもしれません。

だとしても、まったくの潔白なのに、身近な人に信用されない・疑われるということは、とても堪えるものでした。

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【親を反面教師に】

人を強く疑っていると、嫌われる

私に対して「妊娠しているのでは?」などと疑っていたのと同様に、母は常に「裏切られるのでは?」と人を疑っていました。

「裏切られる」といっても、相手に騙されるとか酷い目に遭うということではなくて、「母の期待を裏切られる(=思い通りに事が進まない)」ことを恐れているのでした。

つまり、周囲に対して、「思い通りに動いてほしい」というだけのことなんですよね。
娘に対しては、無意識下で所有物と思っているので、より強く働くのです。

こちらにはまったくそんなつもりがなくても、つねに「(期待を)裏切るのでは?」という目線を向けられていると、とても疲れるものです。
逐一、「そんなつもりないよ」と言動で示すのも疲れますし。

それでもなお疑われていると、疑ってくる人のことをだんだん嫌いになっていくのです。

そうやって母は、「期待を裏切られるんじゃないか(=思い通りに事が運ばないのではないか)」という疑念をどんどん現実のものにしていきました。

皮肉なことに、疑えば疑うほど結果が伴ってしまい、加速していくのです。
そして最終的に、娘である私にも見放されました。

「引き寄せの法則」なんていうのをよく耳にしますが、あれはこういうカラクリなんじゃないかとすら思ってしまいます(母が引き寄せていたのは悪いことですが)。

疑いは不安から生じている

なんでもかんでも疑い続けるのは、とても辛いことです。

それでも母が世の中や周囲の人を疑わざるを得なかったのは、不安が強くて防衛的にならざるを得なかったとか、実際にいじめられたことがあるとか、事情があるのだろうと思います。

こうして書いていて改めて気づきましたが、私自身も、母との関係性が不安定でしたので、人を強く疑って生きてきてしまいました。

特に若い頃は(関係性問わず)「どうせいつか私のこと見捨てるんでしょ」という思いを抱えていたのです。

しかし、実際に捨てられてしまったら、そのダメージが計り知れないので、自分のほうから先に離れていってしまうこともよくありました(いまだにある)。

身近な人から信用されないこと・疑われ続けることは、こんなにも堪えることだというのに、私自身もやってしまっていたことを反省します。

上手くいかなかったらそのときに考える

人を疑いながら生きることはつらく、しかも相手に伝わって、実現してしまいがちです。

それはとても損なことだと思うので、人を必要以上に疑うことはやめたいと思います。

まあ、盲目的に人を信じすぎても詐欺にひっかかったりの懸念があるので、同時に人を見る目を養っていくことも大事なのですが。

「あれ?」と思ったときには一旦立ち止まってよし。
そこで冷静に見つめ直して「大丈夫」と思ったなら、当面それを信じる。
次にまた「あれ?」と思ったなら、そのときは疑っていいのかもしれません。

たまに冷静になるのはよいけれど、常に(盲目的に)疑い続けるのをやめる、ということです。

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