過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
本記事は、「娘が味方であるか」を逐一確認されるのがつらかったという話。
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味方かどうかの確認行為がしつこい
夫婦喧嘩のたびに母が私に確認していたこと。
「お父さんとお母さんどっちについていくのっ!?」
(具体例)
・母の機嫌を損ねると「あんたを置いて出ていくんだからね」
・4才で「理不尽」の意味を痛感した話 - 「みんなのうた」で因縁をつけられる
・夫婦喧嘩の後の「お父さんとお母さんどっちについていくのっ!!」がつらかった
私が一瞬でも戸惑ったりすると、「あ! あんた今、お父さんって言おうとしたね!?」と勝手に決めつけられたりします。
即答で「お母さんですっ!」と言わないと許されません。
一瞬たりとも遅れてはいけない、答えを間違ってはいけない、というプレッシャーも半端なかったです。
私としては、「あんた、お母さんのこと裏切るつもりじゃないでしょうねぇっ⁉」と疑われていることがそもそも辛かった。
また同時に、「おかあさんのことを絶対に好ましく思っていなければいけない」というメッセージでもありました。
これがとても息苦しく感じました。
(ということは、当時は意識していなかっただけで、本当は母に対して思うところがすでにあったのだあろうと思います)。
見捨てられ不安からの確認行為
母は劣等感が強かったので、心の底では、常に己の存在価値を疑っていたのだろうと思います。
普段から不安だからこそ、夫婦喧嘩の後などは、余計に揺らいでいたのでしょう。
「娘が自分の味方であるかの執拗な確認」もまた、強迫性障害の確認行為の一つだったのかもしれません。
母は母で気の毒なのかもしれませんが、「あんた、お母さんの味方でしょうねぇ!?」と脅迫まがいに確認されるのはとてもきつかった。
母の持っている不安を、周囲に解決させようとしていたわけですからね。
本人の不安は、本人が解決するしかないのですから、基本的には。
私には解決できないことを、「解決しろ」と要求されていたようなものなのです。
【親を反面教師に】
私自身も、母との関係の不安定さから「見捨てられ不安」の傾向があります。
いまだに、「私のこと、捨てないよね?」と友人などに確認したい気持ちでいっぱいです。
でも、子ども時代の嫌な気持ちを思い出して、できるだけ人様にはしないようになんとか耐えています。
意図せず相手に「信頼していない」というメッセージを送ってしまうことになるから。
でも、耐えようとした結果、なんだか遠回しな、ねじ曲がった聞き方をしてしまったりして、自己嫌悪にも陥ったりしています。
「私には、私がいるから大丈夫」
心からそう思えるように、自分を大切にしていきたいと思っています。
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