AC回復のきろく

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

ブログ整備中につき、一時的に非表示にしている記事がございます。少しずつ再更新してまいりますので、またご訪問いただけますと幸いです

〈AC回顧録・浪人時代〉死にたくて死にたくてたまらなかった(が、死ねなかった)


過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。


わたしの母が「人の気持ちがわからない人」だということは認識していたつもりでしたが、「嫁に行けなくなるから精神科に行くのは許さない」と保険証を隠されたことはさすがに堪えました。

苦しくて何も手につかない、でも精神科にも行けないとなると、ただひたすら家でじっと耐えるしかありません。

死にたくて死にたくて死にたくてほんとうに死にたかった。
でも、全然死ねませんでした。

こんなにも死にたいのに全く死ねないということに衝撃を受けました。

毎日泣いている私の横で「ふん、大げさな」とケロッとしている母への不信感はどんどん増大していきました。

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「あんたは大げさ。鬱の人は自分で鬱って言わないんだから、あんたは鬱じゃない」

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娘の気持ちよりも、世間体のほうが何千倍も大切な母。

予備校に行けなくなり、毎日苦しくて泣いている私に対して「あんたは鬱なんかじゃない。鬱の人は自分で鬱って認めないんだから。自分から精神科だのなんだの言うのは鬱じゃない証拠!」と言い放ちました。

たしかに、鬱状態なのに気づかない人だっているでしょう。認めたがらない人もいると聞きます。

でも私にとっては「鬱という診断が下るかどうか」が大事なのではなく、「鬱であろうがそうでなかろうが、この苦しみをなんとか和らげて前に進みたい」というのが本質で、その解決の手段として精神科医に行きたいと言っているだけなのです。

「うつだから優遇して」などと言いたいのではなくて、そう言わなくても済むように解決したいだけだったのですが、母にはそれが全く理解できないらしいのでした。

母からすれば「娘が精神病だったら恥ずかしい(から認めさせてはいけない)ただその一点のみなのでした。

死にたくて死にたくてたまらなかった

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ただでさえ、普段の生活が送れないほど、弱っているのです。

そこに「精神科は云々(偏見)」「あんたは鬱じゃない」などと母に言われ、私は本当に追い込まれてゆきました。

「八方ふさがり」とはまさにこのことで、すべての方向の扉が閉じられた感覚。

じっとしていると、忍び寄ってくるのはただただ「死にたい」という気持ち。

別に勉強ができなくても楽しく生きる道は無限にありますので、視野狭窄も甚だしいのですが、当時の私にとっては「勉強ができない私はこの世に生存してはいけない」だったのです。

幼少期からの教育虐待の成果というべきか、洗脳というべきか。

「勉強ができないと母の機嫌を損ねる(=ひどい目に遭う)」という観念がもはや本能レベルでこびりついていて、
「これ以上ひどい目に遭うんだったら死にたい」
「いや、そうでなくても、今すでに息をすることすら苦しいから死にたい」
という気分でした。

死ぬ方法を考えるも、恐怖心が強すぎて全然実行できない

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詳細は控えますが、どうやって死のうか、そのことばかり考えていました。

できるだけ人に迷惑をかけない方法がよかった。

でも、ちょっとだけ練習してみようと思っても、恐怖心が強すぎて、全然実行できないのです。

こんなにも、こんなにも、微塵の疑いもないくらい死にたいのに、死ねない。

実行に至ってしまう人と、私との間には、おそらくまだ相当の差があるのだと思いました。
(はずみで行動に移してしまうパターンもあるようなので一概には言えませんが)

幸か不幸か、私は持ち前の恐怖心、あるいは、「あれはダメこれはダメ」で封じ込まれた、脆弱な行動力のおかげ(?)で、結局なにもできませんでした。

ただ唯一残された道は、「時間が過ぎるのを待つ」ことだけでした。

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【この体験から学ぶこと】

私を不幸にする人は、私の最も近くにいた

母の「人の気持ちがわからない」性質は、生まれつきで仕方のないことだったのかもしれません。
あるいは、母もまた同じような、共感のない環境で生きてきたか。

おそらくは、母にはそこまでの悪気があったわけではないのでしょう。
逆に、私のほうが繊細すぎたのかもしれません。

ただ、ひとつ言えることは、私と母は、一切かみ合わなかったということ。

他人なら「合わない」で済みます。

でも、相手は母親です。
とくに子ども時代は母にすがるしかありません。

子ども側が母に合わせるしかなかったのです。
そしてそのスタイルは、修正の機会を得ないまま、続いてしまいました。

「うちのお母さんなんかおかしいんだよな」と思いつつも、その場を取り繕うしかない。

そのツケが巨大化して、私のもとに戻ってきたのが、この一連の「勉強が手につかない」からの「死にたい」だったのだろうと思います。

そう考えると、死にたいほどつらい気持ちは「生き方が根本的に間違っているよ」という合図なのかもしれません。

「親の言うことは聞くもの」として、まじめに生きてきましたが、「言うことを聞いてはいけない親」というのも、確実に存在するのです。

でもそれは、子供にはわからない。他の家庭を知りませんから。
親が間違っているとわかったとしても、具体的にどうしたらいいかわからない。

暴力であればまだわかりやすいかもしれません(それはそれでとてもとてもつらいことだけれど)。
精神的な虐待は、本当に性質が悪いなと思います。

当時は気づいていませんでしたが、私を不幸にする人は、なんと私の最も近くにいたのです。

そりゃ、人生うまくいかなくて当然だわ、と今では納得です。

合わない環境や嫌いな人から離れるのを「逃げ」だと批判する人もいますが(うちの母もそうだった)、そういう人は「逃げだ」と言うことで、コントロールしようとしているだけなのですよね。

むしろ、母から逃げなかったことこそが、若いころの私の最大の失敗だと思っています。

母との関係を通じて、苦手な人と距離をおくことは自分の人生を生きるために必須のことだと、今とても実感しています。

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