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アダルトチルドレン回復の記録

〈AC回顧録・20代後半〉伯母にお金を貸すのがつらい - 貸した30000円が500円になったときのむなしさ

母への嫌悪感に気づいてから絶縁に至るまでの出来事を見つめなおしています。>>>記事一覧)。

会社員をしていたころ、父だけでなく、伯母にもお金を貸していました(毎月というほどの頻度ではないですが)。
貸すだけならまだしも、貸したお金で要らないものを買って送ってくるのが辛かった。

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お金貸してくれ問題(伯母バージョン)

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時代的な背景もあったのだと思いますが、母方の親戚は、「身内でのお金の貸し借り」にあまり抵抗のない人々でした。

戦争経験世代なので、「苦しいときは助け合い」の精神であり、実際に「食べるものがないとき、おばあさん(私からすると祖母)はよくどこかにお米もらいに行ってた」などと聞いたことがあります。

昔はお米でしたが、それがのちに「お金」になっていったのでしょうね。

私が伯母のところに遊びに行っていたときも、別の年長の伯母が訪ねてきて、「あんたお金貸してちょうだい」と無心しているのを幾度となく見たことがあります。

(貸す側の)伯母は嫌そうでしたが、それでも「姉妹だから、貸さないわけにもいかん」と都度貸していました。

相当な額になったようですが、結局ほとんど返さずじまいだったようです。
私から見ても嫌な気持ちになる構図でした。

しかし、いつしか伯母は「私だって人に貸してやったんだから、困ったら人から貸してもらうのは当たり前」という考えになってしまったようです。


伯母は働きものでしたので、「よく稼ぎよく使う」スタイル。
仕事があるうちはよかったのですが、さすがに高齢者になると、なかなか仕事はありません(あるにはあるが身体がきついものばかりで続かない)。

けれども、老化のせいなのか、これまでの生活レベルを落とすこともできないのでした。
予算がないのに、高額なものを買ってしまうのです。

そして「仕事がないんだから仕方ない」とか「年金が少ないのが悪い」と開き直るようになりました。

カード類の引き落としの日になると、必死の声色で、「あんた大変なことになった! 引き落としが足らん!」と電話してきて、「悪いんだけどお金貸して」と言うようになりました。

伯母には世話になった自覚がとてもあり(母が諸々の能力が足りない人だったので)、私もはじめは「貸さないわけにはいかない」という気持ちでした。

ですが、一旦返してはくれるものの。
根本的には、伯母の収入と支出のバランスが狂っているので、またすぐ「貸して」となります。

支出が多いのが原因なので
「食料品はデパートじゃなくてスーパーで買ってほしい」
と電話で伝えても

「あんな変なもん食べられるかね!」と怒ります。
遠方なので具体的にどうこうすることもできませんでした。

貸したお金でいらないものを買って送ってくる

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伯母なりに、私に対して申し訳ないような気持ちはあったのでしょう。

それを解消するべく、(私の貸したお金で)高級な服やカバンを買って送ってくるようになりました。
私あての品物ではありましたが、買い物をすること自体が伯母にとってのストレス解消でもあったのだろうと思います。

伯母からすれば「若い子はこれ!」だったのでしょうけども……残念ながら私の趣味にはどうしても、どうしても合わず。

「自分のものは自分で買いたいから」と断っても、
「あんたが買うと変なデザインの選ぶでしょう!」と無駄にディスられるのです。

伯母はピンクばかり選ぶのですが、私は寒色系が好きなので、「じゃあもうちょっと落ち着いた色にしてほしい」と伝えても「その若さでピンクが好きじゃないなんておかしい!」とこれまた怒られるのです。

仕方なく、3万円のタグがついたままのショッキングピンク色のバッグをリサイクルショップに持っていったところ、500円でした(※当時はまだメルカリがなかった)。

その3万も私の貸した3万です……それが500円になるなんて……。

3万円あったら、ほかにいくらでも買いたいものがありました。

父にお金を貸していたので、私自身はものすごく節約していましたから。

「父にお金を貸すのがしんどい」と話したときには「そりゃそうよね」と伯母も共感してくれたはずなのですが……。

服の趣味がどうのこうのと干渉されるだけでもストレスなのに、私のお金でいらないものを買われ、送りつけてくる。
30000円が500円になる。

これがもう、やるせなくてやるせなくて……。

今思うこと:嫌がっていることがいまいち伝わっていなかったのだと思う

私は、「怒ること」を自分に禁じていました。
見聞きするだけで心が死にそうになりますから。
周囲へのダメージは計り知れないですから(親の夫婦喧嘩を見ていてそう感じるようになった)。

でもその結果、「それやめてほしい」と言っても、さほど嫌がっていないように見えてしまったのかもしれません。
少なくとも、本気度が伝わっていなかったんでしょう。

なぜなら私の周囲の人たちは、イヤなときは怒鳴ったり叫んだりする人々だから。

私はほとんど声を荒らげたりしないので、「強く主張しないってことは特に不満がないのだろう」と認定されていたのだと思います。

しかし、声を荒げずとも、何度も「それはやめてほしい」と伝える努力は必要だったかなと思います。
私のほうも「ダメだ、この人たちには伝わらない」とあきらめてしまっていた部分がありますので、そこは反省かもしれません。

ただ、諦めるに至ったのはやはり「どれだけ言っても伝わらない」という経験を重ねてもいるからなんですよね……。

でも、それにとらわれすぎず、「こないだも言ったけど、これはやめて」と何度でも伝えてみるのも大事だったかもしれません。

とここまで書いておきながら、「まあでも話が通じる人々だったらこんなに苦労しなかったよな」ともやっぱり思うので、仕方なかったとも思います。

せいぜい、今後の別の人間関係などに教訓として生かそうと思います。

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