母への嫌悪感に気づいてから絶縁に至るまでの出来事を見つめなおしています。>>>記事一覧)。
親の顔色ばかり伺って生きていたら、20代後半で人生が行き詰まり、精神にも異常が出るようになってきました。
「本来の私」から生き方がずれている。
一旦リセットして立て直さなければ。
そう理解していても、積み上げたものを一旦崩すことは難しかった。
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すべてをリセットしたい
状況を良くしようと行動しているのに、ものすごく一生懸命努力しているのに、なぜかこじれてしまう。
どうしてだろう……と考えているうち、苦しい人間関係にはすべて母の影があることに気づきました。
「母の意に沿わないとひどい目に遭う」体験。
それが、顔色をうかがったり、無理に人に合わせるなどの防衛反応となり、大人になってもなお、自動で機能していました。
そのことに気づいても、「でも、もう、どうしようもない」と当時の私は思っていました。
なんたって、20年以上かけて、その行動様式がしみついてしまっているのですから。
ほぼ無意識にそういう反応をしてしまうのです。
この”反射”的なリアクションを変えるには、一旦すべてをリセットしないと立て直すことができないと思いました。
とりわけ人間関係を一旦無にする必要がある。
人と関わる以上、どうしても「反射」のリアクションを続けてしてしまうから。
一旦完全に人を断たないとダメだと思いました。
でも、社会生活をしている以上は難しいですよね。
仕事をやめて山にでもこもるしかありません。
仕事を辞めるだなんて言ったら、母をはじめ親戚一同、ものすごく反対されることはわかっていました(お金もアテにされていますし>>>伯母にお金を貸すのがつらい )。
「周囲の人全員の了承を得なければいけない」と思い込んでいた(※)ので、とても実現不可能と感じていました。
(※これ自体、ある意味洗脳された状態なのですが)
また、いまほど在宅仕事も現実的でなく、「会社員をやめたら露頭に迷う」的観念がまだとても強い時代でしたから……誰に相談しても「えー辞めてどうするの?」と言われるのはわかりきっていました(実際言われました)。
だから、「辞めたい、でも、辞められない」の綱引きを頭の中で一日に千回は繰り返していたと思います。
(そう、これも、高校生の頃からやっている頭の中での綱引きと同じ→〈AC回顧録・高校生〉勉強を手放したいのに、勉強に執着して「イップス」的な状態に)
仕事中にあまりにも辞めたくて発狂しそうになって、会社支給のスケジュール手帳に「やめたい」「しんどい」と書き……でも万が一誰かに見られるとまずいので、あわてて消したりしていました。
仕事を辞めたとしても……
もうひとつ、懸念がありました。
もし、会社を辞めたとしても。
母が私の世界に存在している以上、「私の人生はつぶされたままだ」とも思ったのです。
私のなかにいる母、インナーマザーがことごとく邪魔をするから。
頭のなかで「あれはダメこれはダメ」と言い、目の前の人に憑依して出てくるから。
会社を辞めるにしても、そもそも母を断ち切らないと、私はもうやり直せない、と感じていました。
でも、やっぱり母と絶縁なんて、現実的に考えられませんでした。
だって、親なのだから。
仮にも生んで育ててくれたのだから、と。
あまりにもズレた言動が多いので「まじでなんなんこいつ」と思い続けてきましたが、それでも母を捨てることはできませんでした。
この、どうしようもない鎖につながれている感じとしばらく格闘するのでした。
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