ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

ブログ整備中につき、一時的に非表示にしている記事がございます。少しずつ再更新してまいりますので、またご訪問いただけますと幸いです

〈AC回顧録・20代後半〉「このままだと母を背中から殴り倒してしまう」と思った

母への嫌悪感に気づいてから絶縁に至るまでの出来事を見つめ直しています>>>まとめ

母は足の手術後、リハビリを拒否したので、当然回復が遅く、むしろますます不自由になっているように見えました。

しかし私自身も仕事などで精一杯、これまでの母との関係性のストレスもあり、もうこれ以上母をフォローする余裕がありませんでした。

「でも、あんなに身体が不自由なのだし、親なのだから、私がフォローしなければならない(でもできない)」と自分を責めるたび、母がわざと大げさに足を引きずっているやっているのではないか(=私へのあてつけ)と感じるようになっていきました。

広告- - - - - - - - - -

 



ほんとうにもう無理だった

もともと母への嫌悪感があったとはいえ、
入院先で思い通りにならないと「ここから飛び降りて死ぬんだから!」と大騒ぎ歩けないまま退院を強行トイレに行かず部屋で排泄する

この一連の流れは、私の心を巨大なハンマーで打つようなものでした。

仕事のストレス、父や伯母にお金を貸していたことなどもあり、そもそも人を信用できず、ネガティブに捉えがちになっていたせいもあると思います。

母が足を引きずって歩く姿や、難病の影響で不自然に体を動かす姿を見ると、わざとやっているように感じるようになっていました。

私から労力を引き出すために、かわいそうぶっているのだ、見せつけているのだ、と。

子どものころから幾度となくかけられた
「あんたを生んだせいでお母さんはこんなに大変になった」
「お母さんはこんなに大変なんだから親切にしてね」
を、足をひきずることで体現しているように思えたのです。

普通の人からしたら、「弱者をフォローするのは当然」と思うでしょう。

でも私としては、「勉強や生活態度など、あれだけ難しい要求に応えてきたのに、まだ私にあれしろこれしろと要求するのか!」という怒りしかありませんでした。

同時に、
「今ですらろくに歩けず、(昔からだけど)ゴミは出さず汚部屋だし、トイレも部屋でするような状態。あと何年かしたら、私が完全につきっきりで介護しないといけないような状態になるだろう」
と予想がつき、まだ20代だけれども、もう、私の人生は母によって完全に拘束されているような、暗澹たる気持ちになるのでした。

それまでの人生も、私からすれば、母に捧げてきたようなものでした。
だから、これ以上の犠牲は許せないという気持ちでした。

やりたいことはすべて我慢し、たいして好きでもない勉強を無理に続け……。
服装や容姿にもあれこれと文句をつけられ、恋愛も実質的に禁止され、友人関係にも干渉されました。

正直「すべて我慢してきた」という認識でした(私の世界では)。

そうやって我慢していれば、どこかで幸せが訪れるか、せめて母が認めてくれるようになるのではないか、と思っていたけれど、その先に見えたのは母の介護でした。

母のために生まれ、母のために老いていくのか……

そう思うと、やりきれなくてやりきれなくて。

でも、親だから、放置したら罪に問われる可能性がある(※)わけで、この先何十年も逃げられない。

そうしてぐるぐると考えこむうちに、
ひょっとすると、母を背中から殴り倒してしまうのではないか
とさえ、思いつめるようになりました。

いえ、正直にいうとあのときすでに、背中から殴り倒してしまいたくて、仕方がありませんでした。
このままだと犯罪者になってしまう、と思っていました。

だから、母が足をひきずって歩く姿を、見ることができませんでした。
視界に入れば目を逸らしました。

(※)法律的には、同居の親の危機を放置(倒れたのに救急車を呼ばないなど)すれば罪になる可能性がありますが、別居の場合は経済的な援助のほうが義務となるようです。ただし経済援助も、子のほうに余裕がなければどうにもならないので、各状況に応じて、というのが実情のようです。
→当時はこれを調べる余裕もなく、「親の面倒を見ない=罪(逮捕)」と思い込んでおりました。

広告- - - - - - - - - -

 

 

今思うこと

そんなに嫌いな人とは会わなくてよかった

今思えば、蹴り倒したいくらい憎い人の様子を、わざわざ見にいかなかくてもよかったのに、と思います。

そもそも母自身が「一人で何でもできるから」とリハビリを拒否して退院したので、「本人がそう言ったのだから」と境界線を引いてもよかったわけです
(「そうはいっても配慮してやれ」と親戚は言うのがまた面倒だったんですけどね……。今なら多少厚かましくなってきたので「そんなに気になるならじゃあおばさんが行ってやってちょうだいよ」くらいは言えるのだけれど)

それに、家庭内別居状態とはいえ、一応父が自宅にはいましたので(何かあったときに救急車を呼ぶくらいのことはしてくれるであろう、なので)「放置」にはなりませんし。

けれど、「親なのだから」「私がやってあげないと、お母さんには他に誰もいないから」と心に鞭を打って実家に帰っていました。

鞭を打ちすぎて心が壊れてしまい、結果的にのちに絶縁に至るわけなので、そうなる前にほどほどに距離を開けておけばよかったのかもしれません。


当時の私は、母のことに限らず、「~しなきゃ」という義務感が異常に強く、やりたくないことばかりやっていました。

日本の学校教育にそういう面があるので、ある程度は仕方ないのかもしれません。

でも、今思うのは、(法律に触れないのであれば)「どうしてもやりたくないことはできるだけやらない」ということが、実は大事だったなと思います。

私の経験上、どうしてもやりたくないことを、心に鞭を打ちながら無理に続けても、決して良い結果にはならなかったのです、何事も。
むしろ事態が悪化する、と身にしみました。

今後は、「やりたくないことはできるだけやらない(※)」をモットーに生きていこうと思います。

(※)もちろん、仕事とか、ある程度は避けられないこともありますが、「できるだけマシなものを選ぶ」ということです。
この記事↓に詳しく書いています。

www.shishimoto-yuima.work

ほかの記事

【記事一覧】母への嫌悪感に気づいてから絶縁にいたるまでのこと

【記事一覧】私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったのか

広告- - - - - - - - - -