ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

〈AC回顧録・20代後半〉入院先で思い通りにならないと「ここから飛び降りて死ぬんだから!」と大騒ぎする母


過去の痛みを成仏させるため、自分の育った環境を客観視する作業をしています。>>>【もくじ】私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったのか 【母への嫌悪感に気づくまでのこと】 )。

母が膝の手術で入院したときのこと。
リハビリ病院への転院を拒否、周囲への迷惑を考えず大騒ぎしました。

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入院先でも大騒ぎ

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母はずっと太っていたので、膝に負担がかかっていたようで、60代のうちに人工骨を入れなければならなくなりました。

手術に至るまでも、毎日「いたいいいたいいいたい」と主張が強くて大変だったのですが(まあ、それは実際痛いのだから大目に見るとしても)。

手術前後も、説明を受けたり付き添いのため、私も遅くに直行したり、有給を使って仕事を休まねばならず、もうほんとにヘトヘトでした(伯母が来てくれたこともありましたが、当時は父はほぼノータッチだったので基本は私がメインで動いていました)。

ただでさえ、私自身が不潔・疾病恐怖皮膚むしり症で悩み、仕事でヘトヘト、日常生活が満足に遅れない状態たったので、勘弁してくれという気分でした。

転院を拒否

手術自体は無事終了したのですが、回復具合が十分でなかったので、リハビリの病院に転院する話で進んでいました。

しかし、これを母が大拒否。
どうやら「リハビリの病院=老人施設(母にとっては”姥捨て山”)」と完全に勘違いしたらしく。

そうとうゴネたのでしょう、看護師さんから私に電話がかかり、呼び出されて、「ご家族で相談してください(=説得してください)」と言われました。

この看護師さん、状況を説明してくださった後、私に向かってものすごい巨大な溜息を「はあ」とついたので、「うわー、よほど母が迷惑をかけたのだな」とわかりました。

こんなにわかりやすいため息ってあるだろうか、と思うようなため息でした。
でも決して私への当てつけではなくて、本心から出てしまったという感じでした。

「いやー、ごめんなさい(汗)」と思うと同時に、「あなたがそんなに巨大な溜息をつかねばならないほどのやばい奴の面倒を私はこの先もずっとみないといけないんですよ……」と心の中で絶望もしました。

病室に向かい、母に「リハビリ病院の話なんだけど……」と切り出した途端、

「リハビリ病院なんか絶対行かないから!!!!!」

と絶叫する母……。
おいおい四人部屋だよ、ここ……。

同室の方々、おそらく看護師さんとのやりとりも見聞きしておられたのでしょう、困ったような顔でうつむいておられました(申し訳ない)。

リハビリのための病院は決して母の思うような「姥捨て山」ではありません(いやむしろ、ずっと預かってくれるなら御の字ですよ、このご時世、すぐ退院させられるのだから)。
それを説明しようにも、本人がもうある種のパニック状態に陥っているので、会話自体が成立しません。

ありていに言って錯乱状態です(昔から怒るとこうなる)。

「あの看護師め!あんたにまた余計なことを言ったんだね!?」
と今度は看護師さんの悪口を言い始めました。

とにかく、こんなに大声で騒がれると、同室の方に迷惑がかかるので、車いすで談話室に連れ出しました。

「ここから飛び降りて死ぬんだから!!!!」

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談話室に連れ出したはいいものの、そこでも騒ぐ騒ぐ。
母は声が高くて大きいので、病院のフロア全体に響きわたっていました。

あまりにも騒ぐので、まるで私が極悪人かのよう。
しかし、「じゃあリハビリ病院はいかなくていい」と言うのは簡単ですが、「おいおい、誰が面倒みるの?」という話。

私は会社の近くに住んでいましたから、毎日2~3時間かけて帰ってくるわけにもいきません(仕事が忙しくてほんとにそんな余裕ない)。
長年家庭内別居状態の父があれこれ世話を焼いてくれるとも思えません。

しかし母にはそういう事情が全く通じないのです。
なんなら、「あんたがちょくちょく帰ってきてくれればいいじゃない」と思っています。

本当におそろしいほど、「他人の立場」というものを慮ることができないのです。

面会終了時間が迫っても、あまりにも埒が明かないので、伯母(母の姉)に電話しました。
伯母は母の親代わりのようなところがあり、伯母の言うことなら母も聞くことがあったためです。

伯母もこのときは説得しようとしてくれました。
しかし、どうにもなりませんでした。

母の怒りは収まるどころかますますヒートアップしていき、
「リハビリ病院行くならここから飛び降りる!!!!」
と絶叫しました(※実行する勇気はさらさらない)。

自分の親でありながら
「まじでなんなん、こいつ……」
と心底思いました。

おそらく母は発達障害か何かを抱えていたのでしょうけど、当時はまだそこまで一般的な概念ではなかったので、私としては本当に理解不能だったのです。

いくら本気でなくとも、「死んでやる!」と叫ぶ人に「はいどうぞ」と言うわけにもいかず(私も当時は優しい人間だったのです)……途方に暮れました。

面会時間終了になってもまだキレ散らかす

面会時間を過ぎていたので、母を連れて病室に戻りました。

この時点ですでに数時間は怒り続けてたと思いますが、まだまだ母の怒りはやみません。

「いやもう、面会の時間終わってるから帰るよ。みんなに迷惑だから」と言っても、母にとってはそんなことどうでもいいのです。

病院から実家まではそこそこ暗い道も通らねばならなかったので、「もう遅くて危ない(※)から帰る」と言おうにも、まだまだ怒っているのです。
(※ 当時20代でしたし、やたら変質者に遭遇することが増えていた時期でした)

あれだけ「夜遅いのは危ない!」と門限を設けたり、「暗い道を歩いたら襲われる!男を見たら狼と思え!」と脅していたくせに、もはやそんなことはどうでもいいようでした。

あれほど私を縛りまくってきた門限は何だったのだろう。

母と同室のおばあちゃんが見かねて助け舟を出してくれた

母はもはや、自らの怒りの火に自ら当たりに行き、「熱い!熱い!死んじゃう!」と騒いでいるいるように見えました。

私は昔から見ているのである程度慣れてはいますが、それでも異様な光景でした。

すると、困り果てる私を見かねた同室のおばあさんがジェスチャーで、「あんた、こっそり帰りなさい。あとはなんとかしておくから」と母に見えないよう私に伝えてくれました。

神かと思いました。

確かに、私がいようがいまいが、母の怒りはもはやどうすることもできませんでした。
私がいたほうが甘えが出て、ヒートアップしている面もあるかもしれませんし。

そこで、母の車いすを壁に向け、壁に向かってキレ散らかす母を置いて、そっと病室を出ました。

あの後、どう収束してくださったのか、詳細は不明ですが、今も忘れられないほど、とても助けられました。

ほかの同室の方々にも、おそらく母が日頃から何かと迷惑をかけていたと思うのですが、私に文句をおっしゃることもなく、優しく接してくださいました。本当にありがたかったです。

皆さん母よりずっと年上(当時すでに80代とか)で、こんなおばあちゃんになりたい、と思わせてくれた人々でした。

 

つづき

ちょっと長くなったので、この後の顛末と反省は別の記事にまとめます。

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【記事一覧】母への嫌悪感に気づいてから絶縁にいたるまでのこと

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