ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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〈AC回顧録・20代後半〉地味な部署に配属され……伯母に小馬鹿にされるのがつらい

母への嫌悪感に気づいてから絶縁に至るまでの出来事を見つめなおしています。>>>記事一覧)。

嫌々会社員になり、研修を終えたものの。
花形部署への配属を希望していましたが、実際に所属になったのは地味な部署でした。

今思えば、比較的私の気質に合った部署だろうと思うのですが、当時はそれが受け入れられませんでした。

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ねじまがったプライドのせいで配属先が気に入らない

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いわゆる花形の部署(社内でも目立つし、外部の人に言っても「すごい」と言われがち)への希望を出していましたが、叶いませんでした。

私が配属されたのは、とても地味な部署でした。

縁の下の力持ち系といえば聞こえはいいですが、当時の私にとっては「花形部署に都合よく使われる下請けみたいなもの」という認識だったんですね。

「あーあ、同期のA君やBさんに使われる立場なのか」と。
※私の認識の話で、実際に上下があるわけではないのです。むしろ仕事のできる同部署の先輩は、社内でも有名で、頼られていましたし。

今思うと、私の性格的には比較的向いている仕事内容だったと思う(人事部の人ってよく見ているなと思う)のですが、当時は変なプライドが邪魔して受け入れられませんでした。

親戚からの微妙なディスりを気にしてしまう

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私自身が「下請けみたいなもの」と思ってしまっているので、周囲の人からの評価も気にしてしまいました。

とくにこたえたのは伯母のコメント。

「ああなんだ、パートのおばちゃんがやるような仕事だね」
「それ、もう下火なのよ、もうダメなんでしょ」

わかりやすく説明したつもりが、かえって軽んじられる結果となってしまいました。

伯母からすればただただ「なんとなくのイメージ」「知っているニュース総動員」という感じの発言で、悪意はなかったのでしょう。

ですので「全然伝わってないわ。まあでもマイナーな分野だし、一般の人にはわからないよねー」と私も軽くスルーすればよかったのです。

でも、私自身が「下請け」と思ってしまっていたので、「そ……そんなに簡単そうに見えるんだ……頭を使う仕事なのに」とショックを受けてしまいました。

また、伯母からほかの親戚にも変な風に伝わってしまったようで、「結局はパートのおばちゃんと変わらない感じなんでしょ……あんなに勉強勉強言ってたのに」的に同情されてしまい、それもまたひどくショックを受けてしまいました。
(母がさんざん「うちの子はできる」とマウンティングをとってきたため、やり返されたのかもしれません)

ますます仕事が嫌になる

ただでさえ、嫌々会社員になったわけですから、せめて「すごい!よかったね」と誰かに言ってほしかったのだと思います。
そういった支えがないと、やりたくないことをやり続けるのは苦しかったのです。

やりたくないことを「なんだそんなこと」と軽んじられながら続ける。
これはものすごくキツイことでした(親戚のコメントを気にしてしまった私も悪いのですが)。

今思うこと

とにかく人に評価されることが第一優先だった

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書いていて改めて思いますが、結局のところ私は「人(とくに親や親戚)に良い評価をされたい」というので頭がいっぱいだったのだなと思います。

それを第一優先にすべてを選んできてしまったのでした。

自分の気持ちを犠牲にしているわけなので、せめて評価くらいされないと、耐えられなかったのです。

「え、ほめられると思ってこの生き方を選んできたのに!」と。


いい学校に入れば、いい会社に入れば、ほめられると思ってきたのに。
いざいい会社に入ったら、「なんだ、そんな仕事か」と言われる。

報酬をもらえると思っていてがんばってきたのに、もらえなかった。
それがショックだったんですね。

「ほめられること」よりも自分の本心を優先すべきだった

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何度もこの結論に至ってしまって恐縮なのですが、結局のところ、自分の本心よりも「ほめられること」を優先してしまった私自身の責任なのだなと、今になっては思います。

高校生のころに思った「もう勉強したくない」をきちんと見つめるべきでした。

自分自身が納得している状況であれば、親戚にどうこう言われても、(多少は気になるかもしれませんが)一日一日はもっと楽に過ごせたはずなのです。

しかし、幼少のころに「周囲の大人に気に入られないと死ぬ」という防衛装置が設置され、しかも起動し続けてしまったため、私にとって自分の気持ちを大事にすることはタブーでした。

健全な方からすれば理解できないらしいのですが、本当に命が危ないと思ってしまうほどの恐怖感だったのです。

だから、「人に評価されるように生きる」ことも、当時の私にとっては「命を守るため」であり、仕方がないことだったのだろうと思います。

その生き方が想定よりも長引いてしまったことが問題であり。
でもまあ、死ぬまでに気づけてよかった。

歩む道を間違えつつもよく生き延びたな、と思うことにします。
そして、これからの軌道修正に生かしていくのみです。

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