ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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〈AC回顧録・リセット編〉合わない仕事を辞める前に ‐ 本質的な理由かどうかを考える

 

「母に認められること・愛されることはこの先も一生ない」とやっとわかり、一旦死んだと思って人生をやり直すことに決めました。

そのためにまず必要だと感じたのが、強いストレス源から離れること。

当時の私にとってそれは
①合わない仕事
②母
でした。

本記事では、①の、当時勤務していた会社を辞めるまでの心境や、考えたことを書いていきます。

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合わない環境を去る前に考えたこと

心身ともに追い詰められているからというって、そう簡単に辞めることもできないのが仕事ですよね。

当時の私もそれは認識していて、「辞めることは逃げではないのか?」ということをずっと考えていました。

具体的に何が苦しいのだろう

1. 周囲に人がいるのが苦しい

子どもの頃から長い時間をかけて強固に形成した、「親の顔色をうかがって忖度する癖」は、他者の顔色を気に病む癖に発展していました。

組織には、気難しい人、無表情な人、寡黙な人、いろんな人がいます。
職業柄、「正しいことこそすべて(=正しければ相手が傷つこうが何を言ってもいい)」のような雰囲気もあり、それも私の気質には向いていませんでした。

仕事自体よりも、「周囲に人がたくさんいる」こと自体が苦しくて苦しくて発狂しそうだったのです。

2. ビクビクしているので軽くみられる→人間関係もストレス

周囲の人を恐れていると、ついご機嫌取りをしてしまうので、人間関係もいびつなものになっていきました。

圧の強い人や支配系の人に都合よく扱われ同僚にも利用され部下にもなめられて指示が通らない状況でした。

逆に、親切にしてくれた人もいたはずですが、私自身が他者に対する不信感を募らせまくっていたので、親切のほうにはあまり気づかなかったりして(野良猫が助けてくれる人にもシャーシャー言ってしまうのと同じ)、ますます自分を追い詰めていたと思います。

3. 過剰適応→心身に不調

人間関係を抜きにしても、仕事自体が容量オーバーの面もありました。

勉強版イップス大学受験全敗浪人して死にかけるを経て、過剰な努力家に転じた私は、「いい会社」に入った段階ですでにヘトヘトになってしまっていたのです。

ヘトヘトな上に、優秀な同僚たちと肩を並べようとすると、いつも焦っていて、力づくで頑張ってしまうことになるわけで。

どうしても長時間労働になってしまい、帰宅は遅く、帰りの駅で「家までたどり着けるだろうか」と心配するほど疲れていました。

4.自分の時間が皆無

平日ヘトヘトなので、休日は泥のように眠って過ごすか実家の用事で呼び出されるかで、本当に自分の時間がありませんでした。

よく「若いんだからもっと楽しみなさいよ」みたいに言われましたが、本当にそんな時間がなかったのです。

好きなことややりたいことを仕事にしているのであれば、忙しくても充実していたかもしれませんが。

でも私の場合は、帰宅後疲れ果てているのに「どうしよう!今日まだ何もやってない!」という強烈な焦燥感に襲われていました(いや、仕事しているんだが)。

「何か息抜きになることをしないと寝れない!」と、さらに寝るのが遅くなる悪循環でした。

5. 働くほどお金が減っていく(お金かしてくれ問題)

仕事が苦行とはいえ、お金がいただけるというメリットはもちろんあります。
ですが、私は父と伯母にお金を貸していたので、そのメリットすらほぼ機能していませんでした。

お給料分をごっそり貸す月もあったので、私は常に過剰な節約をしており「こ、こんなに働いているのに、ジュースを買うのに10分も悩むなんて」というやるせなさでいっぱいでした。

でも、当時の私には「断る」という選択肢がなかった。
親なのだから、育ててもらったのだから、と。

6. 体か心、どちらかを壊しそう

こうしたストレスが重なり、外出がこわい会食恐怖不潔・疾病恐怖でトイレに行けず常に膀胱炎皮膚むしり症の悪化で爪ごと剥がすなど、状況はどんどん悪化していきました。

人を信じていないので、周囲の人にバレないように隠すのに必死でしたし、カウンセラーにも本音が言えず母に保険証を隠されて精神科にも行けないという、完全なる行き止まりでした。

7.転職を検討する気力すらもうなかった

多くの人はこういうとき、まずは転職を検討する場面だと思うのですが、私にはもう転職活動はおろか、何かを調べる気力すら、もう残っていませんでした。

それに「どこか別の会社に入ったとしても、私自身を修正しないと、根本的な苦しみは解決しないだろう」というのも自分でわかっていました。

基本的な生き方がズレてきてしまっている、自分に合わないものを選んできてしまった結果だからです。

また、業界ではかなり待遇のいい会社でしたので、転職したところで、あまり変わらないか、むしろ状況は悪化する可能性が高いだろうというのもありました。

「私が本当に望んでいるものは何か」とか「何だったら苦痛なくできるのか」など。
働き方を含め、生き方を根本的に考え直したかった

でも、新しい職場に入れば、あわただしさで先送りになってしまうでしょう。
休職もしかりで、たった数ヶ月休んだところで、また同じことの繰り返しになるだろうと思いました。

そうして先延ばしにしているうちに、一生苦しいループから抜け出なくなると思ったのです。

結論:やめるしかない

こうして書き出してみると、当時の私にとって、働き続けるメリットがほとんどないように感じられました。
私自身が招いた事態ではありますが、働けば働くほど、搾取される構造に陥ってしまっていたのです。
根本的に見直すしかないと感じていました。

当時はここまで冷静に言語化できていたわけではないのですが、
「このまま働いていたら、心か身体、どちらかを本格的に壊すぞ。しかも一旦ダウンすると取り戻すのにすごく時間がかかる」
ということだけはわかっていました。

これには浪人時代の経験(死にたくて死にたくてたまらなかった(が、死ねなかった)が生きているので、まあ、人生にムダな経験がないといえばないということになるのですが。

なお、こうして決心がついても、実際に辞められるまで半年くらいかかりましたので、次はそのあたりのことを書いていきます。

つづく>>>仕事をやめるときのアレコレ - 経済的不安に対処する編 

 

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