ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

ブログ整備中につき、一時的に非表示にしている記事がございます。少しずつ再更新してまいりますので、またご訪問いただけますと幸いです

〈AC回顧録・中学生〉「1位」じゃない私には存在価値がない。誰かに殺されるわけでもないのに、命の危機を感じてしまう


過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。


絶望的だった両親の不仲が加速したため家庭はますます地獄、私自身にも受験などのプレッシャーなどがあり、中学三年の二学期頃は生きているのが苦しくて苦しくて仕方ありませんでした。

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生きていていいのか……常に存在が脅かされているような感覚

高校受験を控え、周囲が勉強し始めたことによって、それまで私を支えていた”成績優秀”というアイデンティティが危うくなり始めました。


今思えば全然心配するレベルではなかったのですが、母の二分思考により、「1番」じゃないとダメと思い込まされてきた(>>>【体験記】たとえ92点でも「なんであんな大したことない子に負けるのよ」と夜中まで責められるので、崖の上のスレスレのところに立っているような気持ちでした。

このままじゃ”できる人”じゃなくなってしまう
→「勉強ができる」ことを除いたら、私には生きる価値がない。周囲、特に母に見捨てられてしまう)

志望校に受からなかったらどうしよう
→これまでやってきたことの全てが「意味がなかった」ことになってしまう。
つまり、私が生まれてきたことの意味がないことになってしまう。
ということは生まれてこなくても何も変わらなかった、「死」と同義だ。

当時の私にとっては、存在価値の喪失(=死)の危機と感じていたわけです。

当時はここまで言語化できなかったので、ひたすらに焦燥感ばかりがひどく、居ても立ってもいられないような気持ちでした。

具体的に誰かに殺されるわけでもないのに、「命が危ない」と感じてしまっていたのです。

おそらくは、幼少期の経験がトラウマ的に残っているのだと思います>>>【体験談】母の機嫌を損ねると「あんたを置いて出ていくんだからね」

 

母が追い打ちをかけてくる

追い込まれているときに余計に追い込んでくるのがうちの母。

「〇〇ちゃんは1学期の成績、すごく上がったって聞いたのに、なんであんたは……」
「△△ちゃんは、日の出を見てから(=朝まで勉強)学校行ってるってよ」

などと、とにかく同級生と比較しまくるのです。

それ以前に「うちの娘は〇点だったわよ(ドヤァ)」と同級生のお母さん方にマウントをとっていたので、やり返されていたのかもしれません。

あんたのせいで、こんなみじめな思いをさせられているじゃない

と言いたげなのが、母の恨みがましい目からありありと伝わってきました。

今思えば、娘を使って優越感を得ようという、実にくだらないことをしているだけなので、「へぇ」とスルーでよかったのですが……

でも、頑張らなきゃと思うほど、頑張れない

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仮に成績が「1位」じゃなくても、希望の高校に入れればいいわけですから、やることは変わらないはずです。

弱点を淡々と強化するとか、一歩一歩進めていけばいいだけのこと。

でも、中学生当時はそれがわからなかった。

ただただ「なんで私はこんなにふがいないのだ」と自分を責めることが「頑張る」に置き換わってしまっていました。

頑張らなくちゃ、と思えば思うほど、自分を責めてしまい、心がダメージを受けていきました。

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【親を反面教師に】

焦っている人に余計に焦らせるようなことを言わない

「あなたがどの高校に行ったって楽しく過ごしてくれればそれでいいよ」と言ってほしかった。

これは理想論であり、実際にはどこの家庭でもそんな甘いものでもないのかもしれません。

でも、焦っている人に、余計焦らせるようなことを言っても、状況は悪化するだけなのだな、と実感しました。

どんなことであれ、焦っている人には「ゆっくりで大丈夫だよ」とか「できなかったらそのときまた考えよう」と言葉をかけてあげられるようになりたいと思います。
(と、こんなことを書いていますが、長年のクセで自分にも他人にもまだまだ厳しい視線を向けてしまうこともある私……反省です)

「頑張る=自分に厳しくすること」とは限らない

「頑張る」を「自分に厳しくすること」と考えていると、「厳しくする」はいつの間にか「なんでこんなこともできないんだ」という自分責めに変わっていったりします。

幼少期、未熟な親に「あんたが悪い」と責められていると、その「型」というか「流路」ができてしまっているので、どうしてもその考え方が強化されているのですよね。

だからこそ、「なんて私はダメなんだ」という自己嫌悪が発動しそうになったら、「いかんいかん、これは”頑張る”から外れているぞ」と軌道修正するようにしたいです。

頑張るということは、「すべきことを、(状況に応じてフィードバックをかけながら)ただ淡々とやり続ける」ことなのだろうと、最近は思います。

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