ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

ブログ整備中につき、一時的に非表示にしている記事がございます。少しずつ再更新してまいりますので、またご訪問いただけますと幸いです

〈AC回顧録・大学時代〉学歴コンプレックスのはじまり

過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。
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前回の記事>>>頭が働くと苦しすぎるので起きていられなかったで書いたように、入試日までなんとか生き延び、なんとか一校だけ受かりました。

しかし、当時のプライドのねじ曲がった私からすると
「こんなショボいところしか受からなかった」
という劣等感との闘いが始まったのでした。
(今思えば、学力云々の前に、あの精神状態で受かったことが奇跡であり、感謝以外の何物でもないのですが)

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結局、親の顔色を見ていた

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浪人生活に終止符を打てる、とホッとしたのもつかの間。

ねじまがったプライドを持て余していた私はすぐに、「こんな大学じゃ恥ずかしい」と思い始めました(大学や同窓生にも失礼なのですが……本当に未熟者でした)。

なぜそんなにも恥ずかしかったかというと、やはり親や周囲の反応ばかりを気にしていたのです。

・父が国公立至上主義者
 →学費は自分で払えと言われてショック(奨学金借りた)
 →一人暮らしもできないので往復5時間かけて通う
・母の地元ではほぼ知られていない大学
・母方の親戚からの「そんな変なところ行かずに〇大(地方の国立大学)にすりゃよかったのに」等
・高校の同級生の進学先と比較するとたしかに微妙

大学は勉強をしにいくところであり、将来に向けて必要な知識を身につけるところですので、自分のやりたいことや実力に合っているなら、正直レベルは関係ないはずなのです。

むしろ実力以上のところに入ってしまったほうが、ついていけなくなって、本来の目的がおざなりになってしまう可能性もあるわけで。

そう考えると、当時の私の実力に合ったところに進めたはずなのです。

なのに、そういった本質はどうでもよくて、「恥ずかしい」とばかり思っていました。

結局私は、「自分が有能であることを証明したい」という浅はかな目的のためだけに、勉強をしていたのです。

「一番でないと許されない」と、存在の危うさに常に泣き出しそうだった中学生のころと、何も変わっていなかったのです。

けれども、そういった自分の未熟さに気づかず、「ここにいるのが屈辱でたまらないから、力づくで理想の自分に近づけよう」とまた変な方向に力が入っていってしまいました(のちに破綻するのですが)。

【この体験から思うこと】

「失敗した私」を受け入れてほしかった

 

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浪人中、あそこまで心身を消耗してしまったのは、「ダメな私も認めてほしい」という気持ちが心の奥底にあったのではないかと振り返って思います。

おそらく親に「限界の姿」を親に見せたかったのだと思います。

「ここまで苦しんでいるんだから、さすがにやさしくしてよ」と。
「いい子じゃない私のことも、受け止めてよ」と。

けれども、私の親、とくに母親には、「人を受容する」という能力がありませんでした。

おそらく母自身こそが、自己受容できていなかったのでしょう。
自己嫌悪の塊だったのでしょう。

それが見えていなかった若かったころの私にとって、「お母さんは私がここまで瀕死の状態になっても助けてくれないんだ……」ということは、やはりショックでした。

そこで私は、「母がダメなら父に認めてもらおう」と無意識のうちに思っていたようです(当時は意識していなかったけど)。

認めるまでいかなくとも、「まあ、これでよかったじゃない」と父に言ってほしかったのだと思います。

しかし父は、(ある意味フェアなのですが)「社会的基準に基づいて判断する」タイプの人。
だからこその、国公立至上主義(国から多くの補助金が出ている→それくらい優秀、という判断)でした。

単純に学費が高いから気に入らないという事情もあったのでしょうけど、なにか不便が生じるたびに(口にはしませんでしたが)「国公立に受からなかったんだからしょうがない」というメッセージが父から発せられているように感じ、これまた傷ついてしまいました。

こうして私は「微塵の隙もないほどに、努力するしかない」「誰からも疑われずに済むような”結果”を出すしかない」という思いを強めていったのです。

結局は「親に愛されたい」を引きずっていた

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このように私は、大学生になってもなお、「親に認められたい」「ありのままを受け止めてほしい」を引きずっていたのです。

愛されたいという渇望を満たしたくて、そのために生きていました。
パッと見は将来に向けて頑張っている学生に見えたでしょうけど、将来なんてどうでもよかったのです。

とにかく親に愛されたかったのです。
のどが渇いて渇いて仕方がないように、心が渇いて仕方なかったのです。

でも、さすがに大学生でしたから、いい加減気づくべきでした。

だって、それまでの時間も、私は精一杯努力してきたのですから。
親が気に入りそうなことはすべて全力でやってきたのですから。
それでも愛されなかったのです。

なんたって、私の親には、「だれかを受け入れる」という能力や文化がそもそも備わっていなかったのです。
親たちもまた、愛されたくて仕方のない人々だったのですから。

己ののどの渇きで苦しんでいて、それを一瞬でも満たすのに必死で、子どもののどが渇いていることに気づかない人々だったのです。

こうして機能不全家族は連鎖していくんだな、と改めて震えあがっています。

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