足かせは外すことにした

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

【体験記】あまり興味がないのに、優秀さを証明するための勉強をつづけた結果【母と絶縁するまでのこと】

過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。

親に認められたいがために、たいして好きでもない勉強を頑張り続けた結果。

「たいして好きでもない」の時点で、いくら努力しても、伸びしろは限られていました。
自分の限界のような感触に触れるのが怖くて目をそらすのですが、その感覚はどこまでも追ってきます。

しだいに、常に能力不足を責められているような、居ても立ってもいられないような心地になってゆきました。

理想の自分に近づくためにした努力のはずなのに、自分のことがさらに嫌いになっていきました。

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興味がないのに、、、優秀さを証明するために勉強をつづけた結果

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死ぬ勇気がないので力づくで「理想の私」に近づけるしかないと思ったで書いたように、大学入学以降、必死で勉強するようになった私。

「これで理想の自分に近づけるなら」と。
どんなに苦しくても「できない自分」に戻るよりはマシでした。

そのようにして普段は抑圧しているものの、たまにふと、こんなことを思うようになりました。

「正直私、この分野の勉強、そこまで興味ないんだよな……。
勉強しているうちに興味がわいてくる、なんてよく聞くけれど。
こんなに勉強しているのに、ピンとこないんだよな……。」

なので、私のことを「熱意がある」と見なしてくれる人がいると、なんとなく罪悪感を覚えるのです。

「ちがうんです、本当は、そんな立派なもんじゃないんです。
正直、この分野の未来とか、どうでもいいんです。
私は私が優秀であることを証明する、ただそれだけのために、死に物狂いで勉強しているんです」
と。

けれども、方針を立て直すとか、方向転換といった柔軟な考えは当時の私には皆無でした。

それどころか、親に認められたい一心で大学院にすら進学してしまいました(奨学金という名の借金も倍増)。

能力不足がバレているような気がして怖くてたまらない

勉強する理由なんて人それぞれで、仮に「自分の有用性を証明するため」だとしても、それはそれで、まあべつにいいじゃないかとも今は思うのですが。

当時の私としては、「不純な動機にまみれている私はなんてあさましいんだろう」みたいな罪悪感につきまとわれていました。

そしてその、「不純な動機」を「頭のいい人たち」見透かされているような気がしていました。

「自分よりあきらかに頭の良い人」がこわい

「私よりあきらかに頭が良いと思われる人(超難関大学出身の人とか)は、きっと「学問が好き」という純粋な気持ちから勉強してきたに違いない。

そういう人から見れば、ただ「自分の価値を証明するため」に勉強している私なんて、軽蔑の対象なのだろうと思っていました。

また、「頭の良さ」は話したり議論したりするうちに、わかってしまう部分もあるので(※能力にはいろんな指標があるので決してすべてではないのですが)、
「私の無能さ、バレてるんだろうな」と常に居ても立ってもいられないような気持ちでした。

でも本当は、優秀な人って、決して馬鹿にしたりせず、親切にいろいろ教えてくれたりするんですよね(※頭が良くても劣等感を抱えている人は馬鹿にしてきます)。

そのことを理解していて、実際に体感しつつあったのに、どうしてもどうしても、「馬鹿にされているかもしれない」「がっかりされているのでは」と恐怖心でいっぱいなのです。

なんだか自分のことが恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がないのです。

沈黙や無表情=「私のことを否定しているに違いない」

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頭のいい人々のうち、私がさらに脅えていたのが「表情の乏しい人」や「寡黙な人」。

彼らは単に「もの静かな人」であったり「考えるとき真顔になってしまう」だけであって、別に悪意も何もないのですが、
劣等感が強すぎる私からすると、

「あれ、表情一つ変えない……そして微妙な間……なんで? 普通ここ、そうですねとかうんとかすんとか言うでしょ?? 何で何も言わないの?
……私が無能だということに気づいて引いているんだ、きっと!
というふうに思ってしまったのでした。


しだいに
「この人も私のこと否定してる!」
「あの人も!」

と他人を見張っては、どんどんネガティブ要素を自ら発見しにいくという……。

自分の思い込みの証拠(に思えること)をじゃんじゃん集めまくっていました。

するとどうなるでしょう。

いついかなるときも常に、無能さを責められているような気持ちになってゆきました。

今振り返ると、、、被害妄想甚だしかった

こうしていま、冷静に振り返ると、ほとんど私の被害妄想だったことに気づきます。

たしかに不愛想な人というのは、コミュニケーションがとりづらいことが多いですし、実際に私のことをよく思っていなくて不愛想だった人もある程度はいるかもしれません。

ですが、愛想のいいひとだってたくさんいました。
私の頑張りを認めてくれたり、親切にしてくれた人もたくさんいました。

なのに私は、不愛想な人の、無表情とか微妙な間ばかり思い出して、
あの人は私の無能さを批判しているに違いない
と自分を痛めつけていました。

どうしてそこまで追い詰められていたのか

大元をたどれば母の影響があることは間違いないのですが(>>>たとえ92点でも「なんであんな大したことない子に負けるのよ」と夜中まで責められる)。

そこを起点にして、どんどん自分でこじらせていってしまった面もあるのだろうと思います。

それほどまでに、親に愛されたかった。
自分を失ってでも、愛されたかった。

結局私は私で、「愛される」ことに執着してしまっていたのでしょう。
まあこればっかりは、子どもの本能ともいえるし、仕方がないのですが。

だいぶ後のことになりますが「うちの親(とくに母)には人を愛する能力自体がないのだ」と気づけたのは幸運でした。

そうでなければ、いまだに親の機嫌を取って、自分を失い続けていたかもしれません。

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