過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
私の母は、「お宅のお嬢さん、お勉強できてすごいわね」と言われないと気が済まない人でした。
たとえ高得点であっても「誰かに負ける」ということは許されませんでした。
その結果、私は完璧主義者にならざるを得ませんでした。
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92点でも夜中まで責められる
中学に入って最初の定期テストのこと。
私はどの教科も無事にそこそこの点数(90点以上)を取り、一応まあまあな結果で帰宅しました。
まんべんなく90点台を取るというのは、当時の公立中学では優秀とされることでした。
それでいい気になった母は、「うちの子は〇〇点だったわよ」的に、同級生のお母さんに自慢したようでした。
すると、同級生のお母さんに、「あら、でも、理科に関しては、A子ちゃんは99点だったみたいよ」と言い返されたらしいです(私は理科はたしか92点くらいだった)。
(まあ、同級生のお母さんも、自分の娘の点数ならまだしも、A子ちゃん(他人)の点数で競ってくるなよ、という面はありますけれども……とはいえ、最初にマウントをとろうとしたうちの母が悪いです)
そして、優越感に浸れると意気込んで出かけたのにそうもいかなかった母のプライドはズタズタになったようでした。
帰宅するなり母は、「あんた! 〇〇さん(同級生のお母さん)に、A子ちゃんは99点だったわよって言われたじゃないっ!」と不満をぶつけました。
「苦虫を嚙み潰したような顔というのはこういう顔のことか」と、思わずにいられないほどの不機嫌さでした。
そこから何時間もグチグチネチネチとやられました。
何度舌打ちされたかわかりません。
追い打ちをかけるように、ねばねばした視線を私に向け、こう言いました。
「はぁーあ、なんであんな、大したことない子に負けるのよ」と。
いろんな意味ですごくショックでした。
まずは、私のクラスメイトのことを、「あんな大したことない子」呼ばわりしたこと。
もう一つは、「完璧」「一番」であり続けない限り、母を満足させることはできないということ。
92点はそんなに悲観するような点数じゃないですし、しかもケアレスミスでの失点だったので、内容的には悪くないものでした。
なのに、母の顔にはものすごい「落胆」の色が漂っていました。
そのとき思いました。
「この人(母)は、私の理解度とかじゃなくて、ただ単に自慢して自分が威張れればいいだけなんだな」と。
この浅ましさに呆れると同時に、そんな人が自分の実母であるということがとてもショックでした。
今の私なら「なーんだ、アホらし」と思って適度にスルーできるかもしれませんが、当時は素直で真面目な中学生でしたので、「(母がとても未熟ではあるけれども)私が完璧な人間ならこんな思いはしなくていいはず。もっとがんばらなくちゃ!!」と追い込むようになってしまいました。
子どもの頃から「ここがダメ、あそこがダメ」と言われ続けたため、母の未熟さに絶望しながらも認められたい気持ちがとても強かったせいもあると思います。
この体験が、「100点以外は悪い点数」「一番でないと意味がない」などのいわゆる完璧主義思考を私にもたらし、何年にもわたって私を苦しめました。
中学はなんとか好成績で乗り切ることができましたが、常にプレッシャーとの闘いで、学校生活を楽しむ余裕など皆無でした。
本当に本当に苦しかったです。
【親を反面教師に】
力量以上のものを期待されるのはつらい
親が子どもにやりがちな「期待」。
親としてはポジティブな意味で期待しているつもりだと思いますが、子どもにとってはそれは「プレッシャー」にすぎないのかもしれません(子の性格にもよるでしょうけど)。
期待するだけならまだしも、その期待から外れたときに落胆されるのはとても堪えます。
もしも期待するならば、思うような結果が得られなかったときでも「受け止めてほしい」と思います。
事実を捻じ曲げてほめてくれとか認めてくれと言いたいのではなくて、「期待に応えられなかったとしてもあなたの価値は変わらない」という姿勢でいてもらいたいです。
私の場合は母に夜中まで責められたりしたので、「人の期待に応えられない=自分の価値が下がる」という公式を自分の中に形成してしまい、人生がとてもつらくなりました。
期待してしまうことは、親子関係に限らず、親しい人間関係でもあり得ると思うので、私自身、改めて気をつけていこうと思います。
母に惑わされた自分を反省する
「この人(母)は、ただ単に自慢して自分が威張れればいいだけなんだな」とわかっていたのにも関わらず、「もっと頑張らなきゃ」という方向に進んでしまったことは、私自身が反省するところです。
日常的に「アンタが悪い」とある種の洗脳状態にあったので、仕方がないことではあったのですが、もう少し冷静に、ドライに考えられたらよかったな、と思います。
本当は、本を読んだりして、自分の頭で考える習慣を育成すべき時期だったのかもしれませんが、成績のことで頭がいっぱいで(またしても塾に通わされていたので物理的な時間もなかった)、全くそんな余裕がなかったのです。
今にして思えば、あんなくだらないマウントをとって喜んでいる人間の言いなりになってしまったことは、とても愚かでした。
たとえ犯罪者でも親の言うことは聞くべき……ではありませんよね。
それと同じで、未熟な親の言動に支配される必要は、ほんとうに愚かだったと思います。
(未成年であり、そもそも自己肯定感を潰されてきているので、現実的には母に迎合することだけが唯一生き延びる術だったのですが……)
ともあれ、今後は、どんな間柄の人であれ、「相手をよく見る」ということを忘れないようにします。
未熟な人や悪意のある人に迎合すること(=都合よく利用されること)は悲劇でしかないということが、母を通してよくわかりました。
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