過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
通知表の先生からのコメントを過剰に気にしたり、文句をつける母にうんざりしたという話です。
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通知表にある、先生からのひとこと欄
通知表に、通信欄というか、先生からの「ひとことコメント欄」みたいなの、ありましたよね。
よいところにフォーカスする先生もいれば、「ここをこうするといいですね」と指導的スタンスの先生もいらっしゃったかと思います。
とはいえ私は、「いい子」でいることに全力を注いでいたので、通知表には誉め言葉をいただいていました。
「べた褒め」の感じで書いてくださる先生もいらしたので、それを見た母はすこぶる上機嫌になるのでした。
家の中をできるだけ平穏に近づけるには、私が「優秀ないい子」でいるしかなかったのです。
「先輩ぶるな、先輩らしくあれ」という言葉
中学一年生の三学期の最終日、通知表をもらって帰宅した日のこと。
コメント欄には「春からは二年生ですね。先輩ぶるな、先輩らしくあれ」とだけ書かれていました。
おそらく、ほとんど全員にこの文言だったのではないかと思います。
進級にあたってのコメント、という感じでしょうか。
母からすると、誉め言葉を期待していたのにアテが外れたのでしょう、目を三角にして私に言いました。
「あんたっ、先輩風吹かせたんじゃないでしょうねぇっ!?」
いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ。
先輩風も何も、まだ中学一年なんですよ。
春から二年生ではありますけど、通知表もらった時点ではまだ一年生なんですよ。
存在しない後輩に向かって、どうやって先輩風吹かせるんですか??
そもそも当時の担任の先生は、とてつもなく怖い先生(怒鳴り散らすとか当り前だった)でしたから、クラスで偉そうにふるまうとか、絶対に不可能でした。
おそらく全員がこのコメントだと説明しても、「あんたなんかやったんじゃないでしょうねっ」と疑いの目を向けてくるのには腹が立ちました。
私がどれだけ「いい子」でいることに全力を注いでいるのか、学校でどれだけ委縮しているか、母はこれっぽちも知らないのです。
「いい子」でいなければ私は生きていけなかったのです。
なんたって母は、「お宅のお嬢さん優秀ね」と言われないと私に冷たく当たるのですから。
それなりに良好な成績を認めてくれもせず(かといって悪かったら大変な目に遭う)、たった一行の、なんてことないコメントで文句をつけてくるのは、本当に残念な気持ちでした。
今の私からすれば、「そんな親の言うこと、真に受けなくていいのに」なのですが、当時の私は「できるだけお母さんに笑っていたほしかった」のです。
先生に悪気は一切なかったでしょうが、「先輩ぶるな……」のコメントをちょっとうらめしく思ってしまいました。
そして
「こんな些細なことで文句つけられるのだから、コメントに左右されないほどぶっちぎりの成績(オール5とか)をとらねばならない」と思ってしまったのでした。
こうして私の学校生活はますます息苦しいものになっていきました。
(幼稚園のころにも似たようなことがあった)
幼稚園では通知表はありませんでしたが、通園の記録のスタンプ帳?のようなものがありました。
そこに毎月先生が「こんげつはやすまずによくがんばりましたね」的なコメントくれていました。
たしか年中さんから年長さんに上がるタイミングでのこと。
「はるからはねんちょうさんですね。おへんじは、うん、ではなくて、はい、にしましょうね」
ごもっともな指摘ではあるのですが、このコメントで母にグチグチやられたのを思い出します。
いま思えば幼稚園児、それも年中なのですから、別に「うん」でも全然いいと思うのですけどね。
大人になって敬語がきちんと使えればいいだけのことで。
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【親を反面教師に】
人の評価に左右されていると、望まぬ方向に進んでしまう
通知表のコメントは、私をさらに生きづらくさせました。
「先輩ぶるな…」は、まっとうなことなので、問題はなかったですが……足枷の重りが追加されたような気分でした。
もしも悪意のある先生(幸い、いらっしゃいませんでしたが)に、「(間違ったことであっても)こうすべき」と言われたら、母は私にそうさせたでしょう。
ただでさえ、
「先生の機嫌のひとつやふたつ取らないでどうする」
「(他人が傷つこうが構わないから)どんどん人を蹴落として上に行け」
と言うような人でしたから。
しかし、信頼できない人の言うことを聞いていたら、私が望まない方向にどんどん進んでしまうことになります。
過去の私は、母と一緒になって、同級生にマウントをとってしまったことがあります(反省)。
でも、本当の本当の本心では、そんなことやりたくなかったのです。
相手が傷つくくらいのことは想像できましたから。
相手には相手の得意なことや美点があるのですから、「私はごく一面でしかものごとを見られていません」と露呈してしまってもいるのです。
でも、母の機嫌をとるために、母と同化してしまいました。
今は本当に反省していますが、子どもとしては、やっぱり愛されたかったのですよね。
母の要素を取り込んでしまったことで、私自身も人生が破綻し、ある意味罰を受けたと思っています。
大して好きでもない勉強にこだわりすぎて、そのこだわりで最終的に自分を潰してしまいましたから。
何が好きで何が嫌いか、何をやりたいのか、自分の気持ちを信じればよかったのに、と心から思います。
愛情ほしさで、眼がくもっていました。
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