過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
本記事は、「同級生に負けない」ためだけに、さほど興味もない習い事をしていたこと、遊ぶ時間がなくてつらかった、という話です。
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習い事が疲れる
私の母は、娘が一番を取ってこないと気が済まない人でした。
勉強で特に顕著でしたが、他の分野に関しても「あんたが〇〇ちゃんに負けるなんて許せない」「他人をどんどん蹴落として上に行け」と堂々と言うタイプの人でした。
しだいに私は、「すべての分野において、同級生に負けてはいけない」というプレッシャーを感じるようになっていました。
それゆえ、小学校低学年のころから、平日はほぼ毎日習い事をしていました。
(最近の子では珍しくないようですが、私が育った時代の公立小学校では珍しかったのではと思います)
ピアノ、習字、そろばん、スイミング。
これだけでも週のうち4日は埋まるのですが、ここに母がぶっこんでくるのがKから始まる某学習教室です(>>>【毒母体験記】ひらがなをひたすら書き続けることの虚しさ(教育虐待というほどではないのかもしれないけれど……) )。
母は少しでも私に余裕がありそうだと、すぐに勉強系習い事をぶっこんでくるのです。
学校の勉強は難なくこなせていたので、
「すでにできているのに、なんで学校以外でもやらないといけないんだろう??」と思ってしまって、苦痛で苦痛でたまらなかったのをよく覚えています。
ピアノだけは、私自身がやりたいと父にお願いして始めましたが、それ以外はどちらかというと「同級生に負けないため(=母の機嫌を損ねないため)」が主目的でした。
(ピアノも、同級生で他にうまい人が山ほどいるとわかった途端、「なんだ勝てないなら意味ないじゃん」と思ってしまって、つまらなくなってしまいました。ただただ「辞めたらもっと負けることになる」みたいな意地で続けていました……)
こうして、気づいたときには「同級生に勝つ=良いこと」という、母の思考を完全にインストールしていました。
けれども、この「勝つ=良いこと」という価値観は、のちの私を非常に苦しめました。
人よりも秀でなければ、それすなわち「存在している価値がない」になってしまうからです。
一部の天才でない限り、何をやっても負けの機会はあり、「勝てないなら意味ない」という思考は、自らをどんどん無気力に追いやるのです。
友達と遊びたかった
今思うと、大して興味もない習い事を、よくもまあ毎日従順に頑張ったな、と思います。
どの習い事も、何かしら今の私の役に立っている面はあるのでしょうけれども、それよりも、「あーあ、ほんとはもっと遊びたかったのにな」という気持ちのほうが強いです。
放課後、クラスメイトと遊んでいても、いつも自分だけ切り上げて先に帰らねばならないのがとてもつらかったです。
この時期にきちんと遊ばなかったので、大人になった今でも「遊びたい」欲求が残ってしまい、仕事が手につかず、いまだに困ることがあります。
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親を反面教師に
自分の意志で選んだものでないと、つらい
どうしても子どものうちは、親の意向がかなり反映されます。
子どもが「やりたい」と自ら言ったとしても、それは、親の顔色をうかがっての発言だということも十分にありえます。
それはあくまで弱者が生き残るための術であり、決して本心からの希望ではないケースもあるわけです。
習い事それ自体を楽しめないので、どうしても辛くなってしまうんですよね。
そういう意味では、子どもって大変だよなー、と思います。
私は、子ども時代にまったく自由がなかったので、その反動か、「自分が選んだものでないと納得できない」みたいな、(他者から見たらおそらく融通の利かない)大人になってしまいました。
そのことを「子どもっぽい」と揶揄されたこともあります。
たしかに今、子ども時代を取り戻しているのかもしれません。
だから、(子育てをしたことがない私が言うのはアレかもしれませんが)子どもさんが辛そうだったら、無理をさせないであげてほしいなと思います。
自分で選んだことは「正解」
あまりに選択権がなさすぎたせいで、今の私にとって、自分で選んで始めたことは、「どれも正解」になりました。
自分で選んだということ、それだけでもう、「正解」と感じるのです。
もちろん、結果的に、「これだと思ったけれど、これじゃなかった」ということもあります。
けれど、次の一手につなげるには、必要なプロセスだったということも、よくわかるようになってきました。
そうやって選んでいけば、いつか希望のものに辿りつけるんですよね。
だからこれからも、スルっと、自分の好きなものを選択していきたいなと思っています。
自分を幸せにできるのは自分だけですからね。
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