過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
ひどい精神状態で、大学に受かったこと自体が奇跡だったのに、いざ通い始めると「こんな(偏差値的に)ショボいところじゃ恥ずかしい(※)」という学歴コンプレックスとの闘いがはじまりました。
(※むしろそう思っていることのほうが恥ずかしいです、今思うと)
「こんなにふがいない私がのうのうと生きていること自体が恥ずかしい。でも勇気がなくて死ねなかった……ということは、生きるしかない。生きる苦しみを少しでも減らすためには、力づくでも理想の自分に近づけるしかない」
と自分をいっそう追い込むようになりました(が、これも間違っていて、のちに破綻します)。
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死ねないので、できるだけ「理想の自分」に近づけるしかないと思ってしまった(のちに破綻)
浪人していたころ、苦しい気持ちの中で、確信したことがあります。
「精神科に行くことすら許されないのだから、精神を病むだけ無駄だ」ということです。
病めば病むほど、私だけが損をするのです。
おぼれている状況で息継ぎをしようと顔を上げても、母が頭を押さえつけてくるのです。
それだったら、「溺れないようにするしかない。なんとしてでも泳ぎがうまくなるしかない」と思いました。
大学入学を機に、これまでの成績はいったんリセット、と捉えることもできます。
幸か不幸か、通っていた高校のレベルからすると、大学は少しランクを下げることになったので、まっとうに勉強すれば上位がとれるはずでした。
そして私は「完璧に勉強して、力づくでいいから、理想の自分に近づける」ことを決意しました。
鬱状態だった人がそんな前向きなことを思えるものなのか?と、感じる方もおられるかもしれません。
でも、私にとっては、「自分が自分のことを嫌いで嫌いで、自分を殺してしまいたいのに、できない」という状態のほうがよっぽどキツかったのです。
そんな大嫌いな自分を持て余しながら、生きることも死ぬこともできない、あの苦しみのほうがよっぽどきつかったのです。
とにかく勇気がなくて死ねないので、少しでも自分を好きになるようにするしかない。
では、好きな自分とは何か。
当時の私にとって、それは「親に認められるような人間になること」でした。
では、親に認められるためにはどうしたらいいかというと……やっぱり「勉強」だと思ってしまったのです(ある意味洗脳されていました)。
異常なほど追い込むようになってしまった
大学に入学してホッとしている同級生も多いなか、私はスタート時点から鬼の形相で勉強していました。
スタートダッシュを切ったこともあり、勉強した分だけ成果は出るようになりました。
けれども、大学生活を楽しむ余裕などは皆無でした。
一瞬でも気を抜いたら、またあの「できない自分」に戻ってしまう、と毎日泣きそうになりながら勉強していました。
周囲からは熱意のある学生に見えたでしょうけど、勉強したくてやっているのではなかったのです。
どうしようもない恐怖心から、勉強せずにはおれなかったのです。
そもそも親の顔色をうかがった上で学部を選んでいるので、正直、興味もないのです。
好きでも無い勉強を必死でするのはとても苦しかった。
のほほんとして見える同級生がうらやましくてたまらなかった。
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【この体験から学ぶこと】
恐怖心から自分を追い込んでも、何もいいことがなかった
「力づくで努力」すればある程度の成果が、でるにはでるんです。
でも、どうしてもどこかで無理がでてくるのです。
私ものちに、社会人になってからですが、「このままだと身体か心を壊すぞ(というかすでに壊していた)」という状態になり、人生をいったん休まざるを得ませんでした。
無理をしてせっかく得た仕事・ポジションなのに、毎日がつらくてつらくてたまらなく、結局手放すことになりました(かなり無理をしないと得られないということは、そもそも向いていないということなんですよね……)。
つまり、「力づくで理想の私に近づける」こともまた、私にとっては誤りだったということです。
まあ、何においてもそうですよね……
だって、他人に対して「力づくで」やらせたら、それこそ暴力とか、人権侵害とかになりますから……。
でも、心か身体が壊れそうになるまで続けてしまうのは、「心を殺して頑張る」ということを幼少のうちからやっていて、ある意味慣れてしまっていたのだろうとも思います。
この点に関しては、教育虐待まがいのことをしてきた母の影響が大きいと思いますし、やっぱり平静ならざる思いがあります。
ともあれ、「無理な我慢をして頑張り続ける」というのは、ある程度の結果は出せても、必ず行き詰まるのだ、ということを体験的に学びました。
この教訓を生かして、生きていくしかないです。
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