AC回復のきろく

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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〈AC回顧録・20代前半〉就職するのが嫌で嫌でたまらない(が、自分を貫く気力もなくひたすら絶望していた)

過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。

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就職するのが嫌で嫌でたまらなかった

さんけい 1/150 なつかしのジオラマシリーズ ビルA MP03-32

子どものころから、「これを乗り越えればラクになるはずだ」「大人になれば楽になるはずだ」と自分に言い聞かせてきました。

しかし、いつまで経ってもラクにはならず、むしろ年々苦しくなっている……。
気づけば就職活動の時期に入っていました。

「これまでさんざん誰か(親や先生など)に従ってきて、またこれからも誰か(会社)に従うのか……」
視界に暗雲が立ち込めるような陰鬱な気持ちでした。

なんとか就職するのを先延ばしにしたい。

同時に、「優秀で完璧な私になれば親に愛してもらえる」と思い込んでいたこともあり、さらに学生期間を延長(進学)しようかと、いったんは思いました。

しかし、その時点ですでに奨学金を600万以上借りていました。
また、父が早期退職したため、毎月の家計にすら不安がありました。

さらには、当時の指導教官に進学の相談をしたところ、「それは自分で決めることだから私は何も言いません」とぴしゃりと言われました。

言葉では「自分で決めて」ということですが、その態度は明らかに「来ないでくれ」というものでした。
(ものすごくショックでしたが、後々うまくいかなかった場合に人のせいにしないために「自分で決める」のは極めて大事なことですし、生半可な覚悟で選ぶと不幸になることが目に見えていましたので、先生の態度は正しかったとは思います)

ここまで負の条件がそろってしまうと、さすがに進学の道は閉ざされました。

しかし、就職するのもまた、どうしても気が進まないのです。

起業するような気力もアイデアもありません。

「やりたいことがわからないからとりあえず2~3年フリーター」的な生き方も許されません。私の母は「フリーター=恥」と考えるような人ですし、早期退職した父からしても「ここまで養ってやったんだからもう勘弁してくれ」でしょう。

消去法的に就職するしかなくなりました。

「就職する=自分の人生おわり」

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私にとって、「就職する=会社の奴隷になる」というイメージでした。

だからこそ、「あーあ。もう私の人生は終わりなんだ。会社の駒として生きていくんだ。人生の消化試合みたいなものなんだ」と当時は思ってしまいました(悲観的すぎますね……汗)。

早朝に会社に行き、深夜に帰宅する父が、いつもとても疲れていて不機嫌そうに見えたことも影響しているかもしれません。

表面上は真面目に就職活動をしながらも、ほとんど人生に絶望していました。

また、就職するからといっていきなり学問に手を抜くわけにもいきません。卒業できなかったらすべておじゃんですから。

加えて不潔恐怖・疾病恐怖に本格的に悩みはじめてもいたので、エネルギーが四方八方に奪われ、心ここにあらずでした。

やるべきことは山のようにある、しかもそれは難易度の高いことなのに、常に憂鬱さや恐怖心で泣き出しそうで、気が狂いそうでした。

この体験から学ぶこと

走る方向が間違っていた

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就職が迫ってきた当時の私にとって、すべての道が閉ざされたような感覚でした。

「進学しようとも、会社員になろうとも、フリーターになろうとも、ニートになろうとも、どの道に進んでも地獄」
だと思いました。

あんなに頑張ってきたのに、こんなに行き詰まるって、どういうこと!?と。

当時は「この世って不条理なところだ」みたいに、ぼんやりと社会システムのせいにしていましたが、今振り返ると、それまでの「あんなに頑張ってきた」の頑張り方を間違えていたのだな、と思います。

走る方向が違っていたのですね。

本当は温暖な南に行きたかったのに、「親や世間が北がいい」と言うから、それをうのみにして北に爆走してしまった、みたいな感じです。
たどり着いたら猛吹雪で、寒がりの私にとっては、「身体が震えて室内から一歩も出られない」みたいな。
(※寒い地域の良さももちろんありますので、あくまでここは例えとして使っています)

やはり、高校くらいで「もう勉強したくない」と思い始めたとき、それを見て見ぬふりせずに、自分と向き合う必要があったな、と思います。
勉強は続けるにしても、違う分野を選ぶという道もあったはず。

結局、「親の顔色」が優先度第一位すぎて、鏡に映る「自分自身の顔色」をまったく見ていなかったのですね。

「自分の顔色」もうかがうことが大事

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ゾンビのような顔色で生きていたのだから、周囲の人にはおそらく不快な思い(愚痴、不機嫌など)をさせてきたと思います。

親だけでなく、「周囲の顔色」も窺っているつもりでしたが、ゾンビみたいな顔でのぞき込まれても、、、ねえ。
それどころか悪い人に「あいつなんでも言うこと聞くぞ」とカモにされる。

小さな選択の積み重ねの結果、行き止まりにきてしまった。

「そっちじゃないよ」というメッセージ(モヤモヤする感情、ものごとがうまくすすみにくいなど)は幾度となくありました。

でも、私はそれを無視し続けました。

親に愛されたかったから。愛されたくて愛されたくて、どうしようもなかったのです。機嫌をとりたくてたまらなかったのです。

あまりにも親に振り回されすぎたな、と反省しています。
あれはあれで私の精一杯でしたので、仕方がなかったなとも思いますが。

自分が幸せになるには、「だれか(とくに親)に愛されなければならない」と思い込んでいましたが、自分のことは自分で幸せにできるのですよね。

今になってそのことがようやくわかりましたが、若いころは全くそんなふうに思えませんでした。

ほんのささいなことから、たとえば「疲れたから休憩したい」とか「ちょっと高くつけどカフェでおいしいコーヒー飲みたい」とか、そんな小さなことを自分でかなえていくうちに、ものすごく時間はかかりますが、じわじわ幸せになっていくのですよね。

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