「あなたは良いんだけど、お母さんがね」という言葉には、そのままの意味とそれ以上の意味を含んでいました。正しいことではありましたが、中学生当時の私にはとてもショックでした。
クラス替えで「1組」や、学年主任の先生のクラスにならないと母の機嫌が悪かった話です。
母の機嫌をとるべく、体育でも良い成績がとりたかった私は、休むべきときにプールに入ってしまい、恥をかいた(&迷惑もかけた)話です。
「娘が女性として成長していくのを喜んでいない」ということ、母は口には出しませんでしたが、私は確実に感じ取っていました。
通知表の先生からのコメントを過剰に気にする母にうんざり。しかしスルーできず、ますます自分を追い込んでしまいました。
くだらないマウントをとるような人間の言いなりになってしまったことはとても愚かなことだった、と反省しています。
「内申点」を気にして、「いい子」でいつづけねばならなかった中学校時代、とてもきつかった。
相手を嫌いにならないためにも、できるだけ疲れずに愚痴を聞くにはどうしたらいいか、考えてみました。
結局のところ、愚痴は、「自分自身が納得していない」から出るのだと思うのです。 「自分が自分に納得する」ほうを選んでいけばいいのかなと思います(自戒を込めて)。
愚痴を言ってしまう立場、聞く立場、両方とも経験したからわかること。