ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

ブログ整備中につき、一時的に非表示にしている記事がございます。少しずつ再更新してまいりますので、またご訪問いただけますと幸いです

なぜ愚痴を聞くとグッタリしてしまうのか - ほかの誰かの代わりに怒りを受け止めているから

愚痴を言わずにおれなかった

私自身も、かつてはものすごい愚痴りモンスターでした。

自覚もありましたし、はじめは仲良くしてくれた人がなんとなーく離れていく現象も経験しています。

でも、苦しすぎて愚痴らずにはおれなかった。

だから、愚痴を言ってしまう人の気持ちは、非常に非常によくわかっているつもりです。

けれども。
幸運にも、人生をある程度立て直すことができ、あまり愚痴を言わずに済むようになった今現在。

改めて誰かが愚痴っている場面に立ち会うと、「あー、この人も大変なんだなー、気持ちはすごくわかるなぁ」と思うと同時に、お腹に石が溜まっていくような、ちょっとしたダメージも感じるようになりました。

「ああ、愚痴を聞かされる側ってこんな気持ちなんだ……」と身に染みています。

どちらの立場も経験したからこそ、「愚痴ってこういうことなんだなー」と腑に落ちたので、記事にすることにしました。

すでにいろんな本に書かれているような、ありきたりなことかもしれませんが、私の経験に基づいた実感を綴っていきます。


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愚痴る人を見ていて気づいたこと

愚痴の原材料に「怒り」が入っている

愚痴を聞いているとき、「あー、この人も大変だな」「わかるわかる」が大部分なんですが、同時に何か「うぐっ」とした衝撃を受けているのを感じるんです。

しかも、この「うぐっ」は、「嫌な気持ち」というわけでもないないんです。

どちらかというと「衝撃」に近いんです。
軽くお腹をパンチされたような感覚に近いのです。

でも、相手は愚痴を言っているだけで、もちろんパンチなどしていません。

なのに、どうして「衝撃」というか、「攻撃性」を感じるのだろう、と。

それはやっぱり、愚痴の原材料に「怒り」が入っているからだ、と気づきました。

「怒り・不満」の強度と出力先を変えたものが愚痴だと思う

理不尽な扱いを受けたり、ままならぬ状況に不満や怒りが生じたとき。

本来であれば、その不満や怒りは、生み出した相手に向けるのが筋のはずです。

でも、それが現実的にはできないという場面はとても多いですよね。

とくに仕事に関しては
「毎日顔を合わせるのだから誰かと気まずくなるわけにはいかない」とか、
「巨大な会社相手に交渉したってムダだ、代わりはいくらでもいる」とか、
いろんな制約があります。

家族関係もまた、身動きがとりにくい。
親と意見が合わないが、反抗したらもっとひどい目に遭うので、迎合するしかない環境もあるでしょう。

(ちょっと張り切ってパワポで図にしてみました。)

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該当する相手には怒りや不満を言えない


怒りや不満の元となっている相手に、直接言うことができない。
あるいは、言ってみたけど全然相手にされなかった、むしろ余計に傷つけられた、など。

こうなると、「自分が我慢するしかない」状態。

我慢しているうちに、しだいに身体や心を壊したり、どこかでガタがくる。

そうなる前に、この「怒りや不満」をちょっとずつ放出しよう、と無意識のうちに行動してしまうのが人間なんですよね。

おなかにガスが溜まると、どうしてもおならが出てしまうのと似ているかもしれません。

「怒りや不満を生み出した相手」が聞いてくれないのだから、「聞いてくれるほかの誰か」に向けて放出するしかないわけです。

もちろん、愚痴を聞いてくれる人に直接怒りをぶつけるわけにはいきません、相手は何も悪くないのですから。

となると、「自分はこんなに大変なんだ」と嘆いてみせるスタイルしかないですよね。

だから、愚痴は一見「嘆いているふう」なのですけど、その核にあるのは「怒り」なんですよね。

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「怒りや不満」の強さと方向を変える➤愚痴

 

聞いているほうは「怒り」を間接的に向けられていることを無意識のうちに察知して、「うぐっ」という衝撃を受けてしまうのだろうと思います。

まあ、直接ではないけれど、間接的に「怒られている」わけですよね。
だから、愚痴を聞いた後は、異常にグッタリしてしまうんだ、と気づきました。

しかも、「聞いてくれる人」は当事者でもないので、解決に結びつくわけでもありません。
「怒られ損」なわけです。

そう考えると、愚痴を言うときは気をつけないといけないな、と思いますね……。

この記事を書きながら過去の自分を超絶反省しています……。

補足 「会話」と「愚痴」の違い

なお、「今日こんなことあってさ……」「えー、大変だったね」で済む程度であれば、それは「会話」の一種であり、愚痴ではないと私は思います。

長く続いてもなかなかやめられないのが愚痴です。

「これも愚痴かも? あれも愚痴? 言わないほうがいいかな?」などと気にしすぎると、話すことがなくなるので、「長時間に及ばなければOK」くらいのスタンスでよいと思います。

愚痴の対処法は?

長くなりましたので、対処法については、言ってしまう側・聞かされる側、立場ごとに分けて、別の記事に書いていきます。

愚痴を言ってしまう人に参考になるかもしれないこと

>>>愚痴モンスターだった私が、愚痴を言わずに済むようになった理由

愚痴を聞かされる側としての対処法

>>>3月9日更新予定

 

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