足かせは外すことにした

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

愚痴モンスターだった私が、愚痴を言わずに済むようになった理由

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愚痴を減らすには

 

なぜ愚痴を聞くとグッタリしてしまうのか - ほかの誰かの代わりに怒りを受け止めているからで書いたように、該当の相手に向けることができない「怒りや不満」を「嘆き」の形で別の人に向ける「愚痴」。

第三者に向けるわけなので、基本的には解決に結びつかず、愚痴を言うほうも、言われるほうも「スッキリしない」状態になりがち、ということでした。

けれど、「愚痴を言わずにはおれないほどつらい」という状況も、私自身、本当によくわかるのです。

愚痴を言うほうだって「あんまり言いすぎてはいけない」と思って、けっこう小出しにしているつもりなのですよね。

だって、聞いてくれる人に負担をかけすぎたくないですもんね。
嫌われたくもないですしね。

しかし、そうやって相手の顔色をうかがいながら小出しにしていると、「愚痴っているわりには全然スッキリしない」とこれまたモヤモヤが溜まっていくのですよね。

また、解決思考の人にうっかり愚痴ってしまった場合、
「じゃあ〇〇すれば~?」
という反応なので(※)
「いやいや、そんなのは私だってわかっているけど、今の状況ではとてもそれができないから悩んでいるんだよ(怒)」と、ますます「キーッ!」となったりしますよね。

(※聞いてほしいだけの場合は、解決思考の人に話すのは避けたほうが無難ですが、答えが欲しいときには芯を食ったことを言ってくれたりしますので、解決思考自体を否定するつもりはありません)

そのような「愚痴っても愚痴ってもねばい愚痴(種田山頭火風)」だった私ですが、最近はあまり愚痴らなくても済むようになってきました(もちろんゼロではないですけど)。

なぜ愚痴から卒業できつつあるのか、本記事で考えてみたいと思います。
あくまで一個人の思うことですが、参考になれば幸いです。


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結局のところ、根本原因にフォーカスするしかない(と思う)

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いきなり元も子もないことを申し上げてすみません。

でも、何回考えても

(基本的には)根本的に解決するしかない

というところに行きついてしまいます。

具体的に私のケースを申し上げると、人生のすべての足枷になっていたのが、母という存在でした。

子どもの頃から「あれはダメこれはダメ」で行動制限をかけられ、母の言う通りにしないと、無視されたり夜中まで責められたりする、という生活を送っていました。

それは、成人して以降も「生き方の型」として私に染み付いてしまっていました。

自分の気持ちややりたいことよりも、圧倒的に「親や周囲の人々が気に入るかどうか」のほうが大事でした。

自分の気持ちを優先しようとすると、途端に「この世から弾き飛ばされる!!」と、巨大な恐怖が襲ってきてしまい、身動きが全く取れなくなるのです。

これは、幼い子どものころに装備した「生命防衛装置」が発動してしまっているだけで、本当はもう自由にしてよかったのですが、そのことに気づけず、いつもこう思っていました。

ほんとうは〇〇したいけれど、親が気に入らないからできない

あるいは

ほんとうは〇〇したいけれど、周囲の人からの評判が下がるからできない

この記事を読んでくださっている方も、「親」や「周囲の人」のところにあてはまる人がいるのではないでしょうか。
「夫」「妻」「義両親」「親戚」「常識」「世間」「近所」「みんな」……etc


「ほんとうは〇〇したい」を少しずつ叶えていくことが、愚痴を言わずに済むようになる道だと私は思っています。

 

「ほんとうは〇〇したい」を少しずつ叶えていくには

心の準備だけはしておく

「ほんとうは〇〇したい」を叶えていくと言っても、とてもできそうにない、と思いますよね。
私もそうだったので、猛烈にわかります。

そもそも「ほんとうは〇〇したい」ができていたら悩んでいませんものね。

ただ、これまでのことを振り返ってみて思うのは、「おや、今なら周囲の目をかいくぐってこっそりできそう」みたいなチャンスがくることが意外とある、ということです。

チャンスがきたときに「うーん、でも……」と踏みださなかったら、今後も「愚痴コース」が続きます。

ですので、チャンスが来たら踏みだせるよう、「いけたらいくぞ」と普段から心づもり・準備をしておくのが一つポイントになるのではないかなと思います。

具体的に何か準備できるなら準備(調べるなど)すればよいですし、準備できなくても「機会がきたら絶対に乗る」と決心しておくだけでだいぶ動きやすさが変わってくると思います。

嫌なものを選ばない練習をしていく

それでも動けなかった場合、堪忍袋の緒が切れて行動せざるを得なくなる、という事態もありえます(←私はこっちでした)。

これはこれで行動のキッカケになるので悪くはないのですが、いろんな方面への影響が少なからずありますので、優しい人ほど難しいかもしれませんね。

では、おおごとにせずに少しずつ動いていくにはどうしたらいいか、というと、「選択する機会ごとに、嫌なものは選ばない練習をしていく」ということ。

頭で考えてどんなに「良い」ものだったとしても、感覚的に「イヤ」なのであれば、選ばないほうがいいです。

「常識的にはこっちのほうがいい」とか「親はこっちを気に入るだろう」とか「他にやる人がいないから私がやらなくちゃ……」と思ったとしても、それが「気が乗らない」「自分にはピンとこない」のであれば、選ばないようにする、ということです。

ほんとうにちょっとしたことからでいいです。

「あ、みんなケーキセット頼んでる……甘いものの気分じゃないけど、同じものにしといたほうがいいかな」だったのを「いまはコーヒーの気分だから、単品にしよう」というような感じです。

「イヤなもの」「気分が進まないもの」を外す練習を根気よく続けていると、いつのまにか選択肢が絞られてきて、選択しやすくなります。

(この記事でも詳しく書いています>>>「自分自身が納得できるかどうか」を基準に選択したら幸福度が上がった話

 

【注意するポイント】 「特定のだれかに〇〇してもらいたい」は除外

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「ほんとうは〇〇したい」の中には、「他者」を必要としているものがあると思います。

たとえば「愛されたい」「認めてもらいたい」系のことですね。

これに関しては、相手には相手の事情があり、自分にはコントロールできないことなので、残念ですが、除外しておくのがポイントです。

じゃあ自分軸にして、「愛されるために頑張る」「認められるために頑張る」にしたらいいかというと……申し上げにくいですが、経験上、ほぼムダです。

仕事など、評価基準が明確に定まっているのであれば、多少は効果があるかもしれませんが……。

極端な話、「嫌いな人(元々好感をもっていない人)に頑張られても、別に”好き”にまではならない」ことが多いのです、人間。

というのも、認めてもらいたい対象が「他人を受け入れる」という文化自体を持っていないことがあるのです(うちの母がそう)。

「とりあえず否定」という文化を持っている人だと、どんなに完璧な状況でも、何かしら文句をつけてきます(「完璧すぎて愛嬌がない」とかね)。

その言葉を真に受けて真面目に頑張ってしまう人ほど心を壊します。

他人を認める習慣のない人に認めてもらおうとすることは、当たりの入っていないクジを引き続けるようなもので、本当にムダな労力です。

その労力は、他のことに使ったほうがよほど幸せになれます。

とくに、自分が喜ぶことを自分で自分にしてあげれば、(少しずつ、かもしれないけれど)確実に元気になれます。

自分の気持ちがまったく分からない人は一旦「全ての条件を外して」考えてみる

「本当は〇〇したい」すら、まったくわからなくなっている方もいらっしゃるでしょう。

それほどまでに人に気を遣って生きてきたのですよね。
とても、大変でしたよね。

ポイントは「この世に全く制限がないとしたら、どうしたいか」を考えてみるということです。

とはいえ、抑圧が染み付いていますから、「こんなこと思っていいのかな?」など、やっぱり自分に制限をかけてしまうと思います。

そんな方は「この紙はすぐにシュレッダーにかける」と決めて、思いついたものからどんどん書いていくとよいです。

書いているうちに、思いもよらなかった願望がふと出てきたりして、自分に衝撃を受けたりするかもしれません。

もちろん、現実的に不可能なこともあるでしょう。
それは一旦置いておいて、できそうなことから始めればよいのです。

どんな小さなことでも、「自分の願いを叶える」ということは、とても爽快感のあることなので、慣れれば抵抗なくできるようになると思います。

積み重ねていくと、考え方や願望も変わってきます。

「以前の私は、なんであんなことに執着していたのだろう?」と、かつての願望が願望でなくなったりもします。

「人に合わせて生きる自分」と「本来の自分」が統合されたような感じになると、生きるのがとても楽になり、愚痴もほとんど言わずに済むようになると経験上私は感じています。

すると、「イヤだけど、仕方なくこれをやる」という場面でも、「納得はしている」状態なので、以前ほど苦痛ではなくなってくるのです、不思議と。


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おわりに

・愚痴を言わずに済むようになるには、(基本的には)根本原因にフォーカスするしかない(と私は思う)
・何がストッパーになっているのかを見極める
・ストッパーの下にある「ほんとうは〇〇したい」を少しずつ叶えていく
・何かを選択するときに、「頭で考えて良いと思うもの」であっても、イヤなものは選ばない練習をしていく


結局のところ、愚痴は、「自分自身が納得していない」から出るのだと思うのです。
「自分が自分に納得する」ほうを選んでいけばいいのかなと思います(自戒を込めて)。