「従順=いい子」という教育を受けてきたため、言い返したり、主張することがいまだに苦手です。
従順であるとか、反抗しないとか、それらは確かに場の空気を壊すことはないので、一見良いことのようにも思えたりするんです。
が、あまりにも度が過ぎると、自分ばかりが我慢することになったりして、気づいたときには爆発したり、自分の意志とか感情自体を失っているんですよね。
私は、大人、それも30代になってから「従順であることは決して褒められるものではない」と気づきました。
断れないと、ずるい人に利用される場面も多いですしね。
(過去記事 従順であることの恐ろしさが書いてある本)
今は、ことあるごとに自分の意志や感情を確認して、「どうしても嫌」であれば「断る」という選択肢も検討できるようになりました。
しかし現実的には、「いかなる場面でも自分の意見を押し通す」というわけにはいきませんから、「まあ嫌だけど仕方ないか」と迎合することももちろんあります。
だいぶ「迎合スタイル」からは卒業しつつあるけれど、もう少し(時と場合によっては)「言い返せる」ようにもなりたいな、という思いがあり、
片田珠美『賢く「言い返す」技術』三笠書房(2015)
を読みました。
攻撃されたら抵抗していい
私もそうですが、人によっては「言い返す」をタブーと感じている人もいると思います。
(特に目上の人に対して)言い返したら生意気、非常識、と思われるのではないか、とか。
あるいは言い返したら、人間関係が破綻するのではないか、とか。
しかし、「言い返す」って実は大事なこと。
「攻撃に対して、無抵抗でいてはいけない」
片田珠美『賢く「言い返す」技術』三笠書房(2015)P.2
なぜかというと
相手に土足で心に踏み込まれたのに、何も抵抗せずにいることは、あなた自身を大事にしないのと同じことである。
片田珠美『賢く「言い返す」技術』三笠書房(2015)P.2
私は、一人っ子ということもあり、過干渉な母から踏み込まれまくってきました。
母側の親戚も、踏み込むタイプの人が多かったです(時代や地域にもよるのでしょうね)。
全力で踏み込まれることが当たり前になってしまっているので、アカの他人から土足で踏み込まれても「なんか不快だけど……人間関係ってこういうものなのかな、仕方ないのかな」と思って受け入れてしまっていました。
表面上受け入れているので、支配的な人ばかりが寄ってくるようになります。
しかし、こちらとしては「嫌だな」を繰り返しているわけで、だんだん相手のことが嫌いになっていきます。
そしてあるとき「もう二度と話したくない!!」とまで思い詰めてしまうんです。
しかし、相手からすると「これまで文句の一つも言わなかったのに、なんで???」となり、人間関係が派手にこじれる、というのを繰り返してきました。
今思えば、土足で心に踏み込まれているのに抵抗しなかったのがいけなかったんだな、と納得がいきます。
でも、具体的にどう言い返せばいいのか……難しいところですよね。
言い返すことに慣れていないと余計に。
言い返すことで、火に油を注ぐような状況になるのも恐ろしいですし。
本書によれば、基本的な姿勢としては、同じ土俵には乗らず、「醒めて怒る、醒めて言い返す」だそうです。
相手のタイプを見極めて、有効な返し方ができればなおよし。
ただ、攻撃を受けてショックを抑えられないときはそのまま出したほうがいいこともあるそうで。
その場合も、泣きながらでもいいので、相手を正面から見据えることが大事とのこと。
こんなことくらいでは逃げませんよ、という意思表示ですね。
本書では、職場、友人、家庭など、さまざまなシチュエーションにおける理不尽な攻撃に対し「どう言い返すか」が具体的に記されています。
人によって、参考になる箇所は異なると思うのですが、個人的に「あ、これ、使えそう」と思ったところと、その理由などを記していきます。
よかったところ
陰口には気づいているアピール
どうも、陰口をたたかれているっぽい。
そう思うこと、ありますよね。
トイレに入っていたら、自分のことを悪く言っている会話が聞こえてしまったとか。
そういうときは、気づいているアピールが有効だそうです。
気づいているアピールといっても、「こう言ってたでしょ!聞こえたんだから!」と責めたりするのではなく、あくまでにおわせる。
「まさかあなたが言うわけないよね」
と張本人に伝えるのです。
これ、陰口たたいているほうは「ギクッ」としますよね。
それで陰口をやめるかどうかはわかりませんが、少なくとも言いづらくはなりそうです。
※
ちなみに、「〇〇さんがあなたのこと悪く言ってたよー」とあえて伝達してくる場合はまたちょっと状況が違う可能性も。
「揉めさせたい」という悪意がある場合があります。
(過去記事)
切り札は「あなたを嫌いになりたくない」
家族やパートナーとの関係でいえば、やはり過干渉は避けられない問題。
すべての家庭で起こっている普遍的なこと、だそうです。
「親は考えを押し付けてくるばかりで、自分の気持ちをわかってくれない」
こう思った経験はだれしもあるのかもしれません、程度の差はあれど。
「わかってくれない」と嘆くだけでなく「嫌である」ということをきちんと伝える必要があるそうです。
身内だとどうしても言葉が足りなくなりがちですからね。
お母さんはそのように考えるかもしれない。でも僕は違うんだ。
片田珠美『賢く「言い返す」技術』三笠書房(2015)P.195
これで「はっ」と我に返ってくれるのであれば、だいぶものわかりの良い親御さんかもしれませんね。
現実的には難しいかなあ、とも思います。
私の母などは、「母の意見と同じもの」以外は受け付けられない(受け付けない、ではなくて、能力的に受け付けられない)ので、どれだけ言葉を尽くしても伝わりませんでしたので……。
むしろ言葉を尽くせば尽くすほど、言葉尻をとってきたりして状況が悪化します。
そしてカッカカッカと怒りだし、一日中怒り続けたりするので手がつけられませんでした。
今思えば、精神科に相談してもよい案件だったと思うのですが、当時まだ精神科は障壁の高い場所でしたし、何より母が精神科に偏見を持っていて完全拒否な人。
日々が過ぎ去っていってくれるのをだましだまし待つしかありませんでした。
そんな手ごわい母に対してでも、もしかしたら効いたかもしれない、と思うのが
「あなたを嫌いになりたくない」
という言葉。
たとえば
「お母さんのこと嫌いになりたくないから、もうそういうこと言うのやめて」
とかですかね。
現在私は母と疎遠にしていますし、この言葉を試すつもりもないのですけど、さすがの母も一瞬くらいは「えっ」となったかもしれない、と思います。
まあ、母の場合は発言内容を驚くほど忘れたり、都合よく記憶を書き換えてしまうので、有効だったとしてもあくまで一瞬だと思いますが。
「あなたを嫌いになりたくない」――これは、あらゆる不毛な言い争いやトラブルに終止符を打つ、”ほとけの一言”だ。
片田珠美『賢く「言い返す」技術』三笠書房(2015)P.211
最高の反撃は自分自身が幸福になること
技術的な「言い返し方」を学んでも、実際にやるとなると勇気が要りますよね。
それまで「言い返す」ことをしてこなかった人ほどそうだと思います。
そんなときはこれを思い出してください。
「他者の欲望」を満たし続ければ、「いい子」「いい人」と思われ、好かれるかもしれない。でも、そのためい自分が他人から支配されたり、何かを言われるたびに落ち込んだりしたら、傷つくのは自分自身だということをお忘れなく。
片田珠美『賢く「言い返す」技術』三笠書房(2015)P.211
結局、他人に好かれようと無理すると、自分に嫌われるんですよね。
「自分」は常に自分と一緒に存在しているものですから、「自分が自分を嫌っている」という状態が一番ツライのではないかと思います。
また、言い返したところでうまくいかなかったとしても、大丈夫です。
今すぐに見返す必要はないんです。
たとえ言い返せなかったとしても、言い返したのに思うような結果にならなかったとしても、後で自分が幸福になればいい。
片田珠美『賢く「言い返す」技術』三笠書房(2015)P.237
理不尽に攻撃を仕掛けてくる人って、こちらの邪魔をしたいわけですよね。
こちらが幸せになることを阻止したい。
だったら、幸せになることが最大の反撃、ともいえます。
「今すぐに幸せに」は無理でも、「今とりうる選択肢のなかで、最終的に自分が一番幸せに近づくのはどれだろう」と考えてみるのもよいかもしれません。
おわりに
理不尽な攻撃にも耐え続けてきてしまった人は、人間というものに絶望しているかもしれません。
私も、母との関係を通じて「実の親ですら、私のことをこんなにディスってくるのだから、他人なんてもっと虐げてくるはずだ」と思い込んでいた時期がありました。
しかしむしろ、他人のほうが優しい場合も多いです。
親に似た厄介な人が寄ってきてしまう(慣れているので受け入れてしまう)傾向はあるので、そこの見極めは大事ですが、
「この世は冷たい人ばかり」
と思い込んでいると、優しい人を見逃してしまいます。
それは本当にもったいないです。
たとえ過去に自分を大事にしてくれず、ひどい扱いをした人がいたとしても、これから出会う人がみんなそうだとは限らないのだということを、忘れないでいただきたい。
片田珠美『賢く「言い返す」技術』三笠書房(2015)P.225
(本記事に興味がある方向けの過去記事)
基本的には本書と同じで、無抵抗はよくない、と書かれています。
対処法についても、関連するところがありますので、ご参考まで。
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