足かせは外すことにした

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

自分が自分と喧嘩しているような感覚の正体

特に若い頃、自分が自分と喧嘩しているような感覚を覚えることが多々ありました。

喧嘩の理由としてまず挙げられるのは、
「本来の自分 vs 親や世間の価値観を内面化した自分(=幼少期にインストールした親の価値観)」

これに関しては、「本当はこうしたいのに、親が気に入らないからできない」という自覚もありました。
特に母に関しては、私を支配下に置きたいばかりに「あれもダメこれもダメ」タイプの人でしたから、かなり押さえつけられたのも事実です。

自分と自分が喧嘩する理由はこれがすべてだと思っていたのですが、加藤諦三氏の『自分の心をしっかり守る方法』を読んでいて、「そういうことだったのか!!」と妙に納得したので記事にしています。

 

_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
広告  

 

同じ出来事でも、感じ方は人それぞれ

本書を読んでいて、まず気になったのが、「失恋」という体験をどう捉えるかは人によって異なるということ。

「激しい短い不快」の人もいれば、「長い苦しい疲労困憊」の人もいる。
「内面的不調和」として現れる人や、「悪質の侮辱」と捉える人、「極悪非道の不正」と捉える人もいる、と(本書では、クレッチマーの著書を引用して紹介)。

ここまでは、へえ、そうなんだーくらいにしか思っていなかったのですが、のちに続くく文章で「うわっ」となりました。

敏感性性格者は、そもそも失恋というものは恥ずかしい敗北であると思い込む。そしてすべての人はいま自分をそのように恥ずかしい敗北者と見ていると思い込む。

加藤諦三『自分の心をしっかり守る方法――「くやしさ」「悩み」「モヤモヤ」が消えていく』三笠書房 Kindle版 位置No.454

「あ、これ、私だ」と思いました……(もう、こうして書いていること自体が恥ずかしい)。

冷静に考えれば、恋愛は相性による部分が大きいですから、失恋したからといって”敗北”ではないですよね。
端的にいうと「ただ合わなかっただけ」です。

なのに、とりわけ若い頃の私にとっては「失恋=敗北」でした。

なぜかというと、「私に何らかの問題があるから選んでもらえなかった」という思考だったからです。

でもこれ、既視感バリバリにあるんですよ……。
そう、母との関係です。

「私がとびきり優秀でないからお母さんは私のことが好きじゃない」
「私がとびきり優しい人間ではないから……(以下同)」
「私がお母さんにとっての理想の娘じゃないから……(以下同)」

実際、母が「あんたのせいで揉め事が起こる」「あんたが〇〇だからいけない」とよく言っていたのも事実です。
が、それを鵜呑みにしてしまったのは私の性格も関係していたのか?

ともあれ、この件は一旦置いておいて、著者のいう「敏感性性格」に私はあてはまりそうだということはわかりました。

自分自身が「矛盾する二つの傾向の戦場」になっている

敏感性性格的な人々の苦痛は、優柔不断で勇気がなく、大胆な実行力に欠けるにもかかわらず、強い野心、あるいは名誉欲があるということである。自分の野心を実現する能力を欠いていながらも、その野心を捨てきれない。それゆえに強い自己不完全感に悩まされる。

加藤諦三『自分の心をしっかり守る方法――「くやしさ」「悩み」「モヤモヤ」が消えていく』三笠書房 Kindle版 位置No.510


簡単に言い換えますと「実行力足りないのに、野心捨てきれない」ということ。
これ、むちゃくちゃ身に覚えが……。

具体的にどういうことかというと、「死に物狂いで頑張るのは疲れるからあんまりやりたくない、でも、結果はほしい」みたいな気持ちです。

常に「無気力」と「願望」がせめぎ合っているみたいな感覚。

とはいえ、結果を出すにはある程度の努力も必要ですから、かなり頑張った時期もありましたが、長く続けるうちに心身ともすり減ってしまいました。

そう、願望が大きいわりに、気力も体力も足りないんですよ、私。

内気な野心家というのは、完全に内気にもなれなければ、たくましい野心家にもなれない。この矛盾が本人の中に過度の感情的緊張をもたらす。おそらくそれゆえに、普通の人以上に疲れやすいのであろう。

加藤諦三『自分の心をしっかり守る方法――「くやしさ」「悩み」「モヤモヤ」が消えていく』三笠書房 Kindle版 No.522

わ、、、わかる。

内気な私がしばらく前面に出ていると、内なる野心家が「ねえ、人生、その程度で終わっていいの?」と挑発してくる。
一方で、野心家が出てくると、内気な私が「そんなに必死になって、なんかしんどくない? 私、休みたいんだけど」と憂鬱になる、みたいな。

はたから見ていればなにもしていないようであっても、彼らの存在そのものが二つの矛盾する傾向の戦場になってしまっているのである。はたから見ていればなにもしなくても、内面の闘いにエネルギーを消耗しつくしていく。生きているというそのこと自体が、追撃戦さながらの様相を呈しているのである。

加藤諦三『自分の心をしっかり守る方法――「くやしさ」「悩み」「モヤモヤ」が消えていく』三笠書房 Kindle版 No.522

「はたから見れば何もしていないのに消耗する」
これもまさに!でして。

行動力のある人から見ると、「悩む暇あるならとりあえずやってみればいいのに?」という感じのようなんですが、私としては常に矛盾しているので心がヘトヘトなんですね。

矛盾対立の別の例としては、「わがまま vs 優しい」も挙げられていました。

(引用したいのですけど、ちょっと長くなるので)簡単にいいますと
「自分がわがままにふるまうのは気がひけるけれど、かといって、他人のわがままばかりを通すのは不満足」というやつ。

これも私あてはまるんです……。

私含め、こういうタイプは、疲れること以外に何が困るかというと、

しかもその満ち足りない、おもしろくない気持ちをなかなかな発散できない。いつまでも不愉快で仕方ない。どちらにしても不快になり、しかもその不快感が長びく。
「あーすればよかった、こうすればよかった」と嘆いているうちに、時は過ぎていく。見返そうと思っているうちに、人生が終わる。

加藤諦三『自分の心をしっかり守る方法――「くやしさ」「悩み」「モヤモヤ」が消えていく』三笠書房 Kindle版 No.552 

 

ぎゃー!!
「見返そうと思っているうちに人生が終わる」わかるー!!!!
なんか予想つくー!!

なぜ野心が必要なのか

そもそも内気なのに、なぜ野心が捨てきれないのか、というと不安があるから。
不安だからこそ、何かしらの「力」をつけたい、ということなんですね。

私の場合は「一流でないと母に見捨てられる」という不安が大元に存在している気がします。

「完璧な私」「みんなから称賛されるような素晴らしい私」にさえなれば、「私、生きていていいの?」という不安がなくなると思っていたんですね。

でも人間である以上、「完璧な私」にはなれませんから、そこでギャップが生じて自己嫌悪に陥る→疲れる、わけです。

どうしたらいいの?

詳しくは本書を読んでもらったほうがいいでしょうが、簡単にいいますと、
・まず、そういう性格であることを受け入れる(認める)
・矛盾する傾向のどちらか一方に決めようとしない

これもすごく納得です。
私も若い頃は、どちらか一方の傾向に決めようとしていました。

でも、決めようとすればするほど、
「あーあ、達成したいことがあるのに気力がたりない……」とか「人にやさしくしたいのに、完全には優しくできない。自我(わがまま)が途中ででてきてしまうー」とますます矛盾を抱えてしまって、自分責めのループに入ってしまうのでした。

その後、親との関係に向き合ったことにより、自分自身とも向き合わざるを得なかったので、長い時間をかけて徐々に「まあ、私、こんなもんか」というところに落ち着きはじめました。

するとどうでしょう。
以前ほど、自分内の矛盾が気にならなくなってきたのです。

矛盾対立を自分の中で、単なる並列にしようとする努力こそ大切なのである。
加藤諦三『自分の心をしっかり守る方法――「くやしさ」「悩み」「モヤモヤ」が消えていく』三笠書房 Kindle版No.577

 

「こっちの傾向のほうが正しいのだから、コレにしないと!」と思うのではなく(思うほど矛盾する)、「二つの傾向がある」と並列にする、ということですね。

「あー、私、まだまだ自分勝手だなー」という日もあるし、「まあでもけっこう気遣ってるところもあるよね」という日もある、という感じ。

いきなり理想を目指すのではなくて、「徐々に優しさの分量を増やしていけたらいいなー」くらいの感じで、今は過ごしています。

おわりに

・矛盾する二つの傾向を持っていると疲れやすい(敏感性性格)
・見返そうと思っているうちに人生が終わる可能性あり
・自分が敏感性性格だと気づいたなら、まずは「そういう性格だ」と認める
・二つの傾向が並列に存在するのであって、どちらかに決めなくてよい

参考文献

「自分の心」をしっかり守る方法―――「くやしさ」「悩み」「モヤモヤ」が消えていく (知的生きかた文庫)

_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
広告