私は加藤諦三氏の本をよく読むのですが、Kindle Unlimited にも何冊か入っていたので、早速読み始めました。
加藤諦三『仕事と生きがい』PHP研究所(2014)
1972年に出版された『生きがいの創造』という本の中から、加藤諦三氏の執筆担当部分を抜き出し、大幅に改修・加筆、再編集したものらしいです。
電子オリジナル版なので、Kindleでしか読めないようです。
(もとの本)
どんな本?
幸せが何であるかは人によって異なるように、生きがいもまた、「こういうもの」と一言ではいえないもの。
そんな「生きがい」について、とりわけ「生きがいのある職業」について考える本です。
生きがいと仕事を関連づけるのは難しい
まず、生きがいのある職業とは
その職業についた時、あるいはその仕事にめぐり会った時、「私はもう何もいらない」と思うような仕事というのが、その人にとって真実である。
それこそが、ほんとうにいきがいのある職業である。
加藤諦三『仕事と生きがい』PHP研究所(2014)kindle 位置No.497
私は「仕事」について結構悩んできたというか、現在も試行錯誤している最中なので「もう何もいらない」と思えるほどの仕事があるって、とてもうらやましいです。
他者を見ていても、「この人はこの仕事、心から好きというか、本当に納得してやっているな」というのはなんとなく伝わりますよね。
そのような人を見ると、こちらまでなんだかいい気分になるものです。
しかし、生きがいのある職業についている人って意外と少ないんじゃないかな、という気もしています。
多くの人に聞いて回ったわけではないので、あくまで感覚ですけど。
著者によれば、どうして仕事と生きがいを関連づけにくいかというと、社会的承認欲求が関係している、とのこと。
我々が仕事に求めるものは
・生きがい
・社会的承認欲求
の二つ。
資本主義社会においては、どうしても職業でその人を評価するような面もありますよね。生産性が高い=偉い、みたいな雰囲気は、肌で感じてしまいます。
本音として職業に貴賤があるからこそ、たてまえとして「職業に貴賤なし」ということが言われているのだろう。
加藤諦三『仕事と生きがい』PHP研究所(2014)kindle 位置No.325
場合によっては(というかほとんどそうなのかな)、職業がその人の自我を支えていることが多々あるわけです。
なので、社会的承認欲求を満たそうという軸で職業を選ぶ場合、それは必ずしも「生きがい」とは一致しない、というわけですね。
私自身も高校生のとき、「親が喜ぶから」「親戚に軽んじられないから」とか「将来潰しがききそうだから」「食いっぱぐれなさそう」等の理由で進路を選択したので、社会的承認欲求に動かされたうちの一人です。
その結果、大学で勉強していたことも「別に楽しくはない」「そんなに興味はない」「将来のため」という感じでした。
真面目に勉強したかいあって、専門性を生かす仕事につけたのですが、「そんなに興味がない」は続き、また、そんなに興味がないわりには負担が大きかったので、「辞めたい」としか思わなくなってしまいました。
つまり、私自身は、社会的承認欲求を満たすことよりも「生きがいのある職業」を求める気持ちのほうが強かったのかもしれません。
一方で、「生きがい」よりも、社会的承認欲求を満たすことが大事な人もいるでしょう。
非常勤雇用のときは不安やら焦りやらでほぼ自暴自棄だった知人が、常勤として雇用されることになって以来、「今の職場に満足している」と別人のような落ち着きぶりに変わったのを、目の当たりにしたことがあります。
同じ職業なのに雇用形態だけでそこまで心の平静度が違うんだ、と私は驚きましたが、やはり雇用形態などが、本人を安心させたり、あるいは不安にさせる、というのはよくあるのだろうなと思います。
生きがいと社会的承認欲求、のほうがウェイトが大きいのかは、人によって違いますし、社会的承認欲求を満たすことで総合的に満足できるのであれば、無理に「生きがい」を求めなくてもよい、のだろうと思います。
先に出した知人の例のように、社会的承認欲求を満たせず、自暴自棄や無気力になってしまったら、元も子もないですからね。
さて、「社会的承認欲求」を満たすことが大事な人はその方向に進むとして、私のような「生きがい」重視派はどうしたらよいのでしょうか。
劣等感が妨害している
著者によれば、生きがいのある職業にめぐりあえないのは、神経症的自尊心が妨害しているせいだといいます。
まず、神経症的自尊心について触れておくと
実績がないのに自信があるふりをするのが神経症的自尊心の持ち主である。
加藤諦三『仕事と生きがい』PHP研究所(2014)kindle 位置No.108
具体例でいうと、他人を軽蔑したり、批判する人。
作家や教授の書いたものを「無内容」と批判したり、有名人をしつこく嘲笑したり。
身近にいる人の夢を笑ったりする人ですね。
一見、そういう人は自信があるように見えますが、批判や嘲笑の一方で、自分に失望している、と著者はいいます。
自分に失望しているからこそ、劣等感が強いからこそ、他人よりも優越したい。だが、実力では優越できない。
となると、人を批判したり嘲笑することでしか、自分を保てない、ということになるわけです。
なお、このタイプは努力せずに、虚栄心を満たそうとする「怠け者タイプ」となります。
一方、誇大な自我イメージを実現しようとする「燃え尽き症候群タイプ」もいます。
無理な努力でなんとかしようとするタイプですね。
理想の自我を実現しようとすればするほど、自分はそのままでは価値がないと感じる。ありのままの自分では価値がないというアイディアをいよいよ強化する。
加藤諦三『仕事と生きがい』PHP研究所(2014)kindle 位置No.606
私自身、「怠け者タイプ」だった時期もあります。
上から目線でものを言ってしまうこともありましたし、口には出さずとも気に入らない人を心の中で批判したりしていました。
でも、そんな自分の姿は、母の姿(暇さえあれば誰かの悪口を言っていました)と重なり、嫌でたまりませんでした。
母のようになりたくない、と悪口や批判を抑えた結果、私はいつしか「燃え尽き症候群タイプ」にシフトしていました。
どっちも経験したからわかるのですが、「怠け者タイプ」も「燃え尽き症候群タイプ」も根本は同じなのです。
とにかく劣等感を埋めたくて必死なのです。
何かで優越しないと「この世に存在してはいけない」と思ってしまうからです。
だからこそ、進路選択の際に、興味のあることよりも、なるべく社会的に認められそうなほう、を選んでしまいました。
思い返すと、興味あることがチラッと顔を出す瞬間もあった気がします。
ですが「いやいや、それじゃ(社会的に)尊敬されないからダメ」と自分で否定していました。
つまり、その興味あることを、ある意味、軽んじていたのです、興味あるくせに。
結果、適正のある(かもしれない)仕事を見損なってしまったのです。
このように、自分自身の中にいる反対者が、生きがいのある職業につくのを邪魔する、と著者はいいます。
誰かをバカにする、見下す、批判する、否定する。
自分がその「誰か」と同じような場所に立った時、あるいはそこに行こうとするとき、それらをバカにしていたかつての自分が、自分を引き留めるのですよね。
現在はそのことの恐ろしさを知っているので、「なるべく誰のことも否定したくない」と思うようになりました。
(とはいえ、現実的に何か被害を被ったりする場合には、どうしても文句やら批判が出てしまいますが……)
誰かを必要以上に軽蔑してしまうのは、それなりの理由があってのことです。
自分にとって必要だからやってしまうんです。
どうしてそんなことが必要になってしまったのか、生育環境などを振り返って、ルーツを探ることも大事。
それを経てようやく、「生きがい」のある職業について考えることが可能となります。
また、だれかを軽蔑せずにはいらないほどの、過酷な環境にいたわりに、よくここまで生きてきたと認めることも大事だと、著者はいいます。
生きがいのある職業についたからといって……
生きがいのある職業に巡り合った人は、自分で「これだ!」と納得しているので、他人に嘲笑されようとも、気にならないという強さを持っています。
じゃあそれで、めでたしめでたし、かというとそうでもないらしい。
というのも、他人の目が気にならないかわりに、今度は自分との闘いになってくるからです。
清濁併せ呑む、的な面もあるだろうな、と思いました。
たとえば、歌が好きで歌手になったという場合、人気が出すぎると、忙しくなって体調やのどのケアなども大変になるでしょう。その結果、思っていたような歌が歌えなくなることもあるかもしれません。
多くの人が関わる分、自分の意志だけでは動きにくくなりますしね。
本書でいわれていたのは「こうありたい」という願望や憧れから生きがいのある職業につくというよりは、「(生きるうえで)そうせざるを得ない」という面があるらしいです。
著者もこのように述べています。
私は、自分の本をながめながら、その本は自分の不幸の歴史であったような気がする。生きがいというのは、ある意味で不幸の代償でしかないのかもしれない。
加藤諦三『仕事と生きがい』PHP研究所(2014)kindle 位置No.856
ちょっとわかるような気もします。
(私の場合は趣味ですが)親子関係の本を読んだり、こうしてブログに自分の考えをまとめたりすることは、決して「理想」とかではなくて、どちらかというと「せずにおれない」ことのような気がします。
生きる上で、「せずにはおれない」という苦しみをも伴うことが、「生きがい」につながっているのかもしれませんね。
となると、「生きがいのある職業」は決して甘美なものでもなく、「生きることの厳しさ」の上に成り立っているのだ、というような感じもしてきました。
「生きがいのある職業」でなくても、「(多少思うところはあるが)おおむね満足している仕事」であれば、それで十分というか、それはそれでけっこう幸せな状態なのでしょうね。
やみくもに「これじゃなきゃダメ!」というような、自分にピッタリくるような仕事を探していたようなふしがありますが、そうでなくても全くかまわないのだ、と少し目が覚めたような気持ちになりました。
おわりに
本書は著者が34歳の時に執筆したものだそうです。
(改修・加筆しているせいもあるとは思いますが)若さを感じるわけでも、近著からかけ離れている感じもなく、素直に「すごいなぁ」と思いました。
私は「生きがいのある仕事」について、いいイメージを持ちすぎていたというか、やや思考停止していた部分があったなぁ、と実感させられました。
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