ししもとの読書ノート

生きづらさの軽減をめざして

「味方がいない」と思うときは自分を尊重していない |感想『なぜか「まわりは敵だらけ⁉」と思ったら読む本』

いつも「なんか戦っている人」っていますよね(私の両親や伯母がそうです)。

その「戦い」をたくさん目撃して疲れてしまったせいか「平和主義」になった私。
とはいえその実体は、心からの平和主義というよりは、「抑圧型のことなかれ主義(自分が我慢すればなんとかなる)」でした。

大事なことほど、「争いになるのでは」とおそれて、主張できないだけなのです。

なので、「私のまわりは敵ばかり」とまではいかなくても、「味方がいない」という寂しさにも似た感覚は、子供の頃から幾度となく覚えてきました。

とりわけ、「なんかうまくいかない」とき、「あーあ、私にも味方がいたらなあ」みたいなことをよく思っていました。
今も、たまに不調に陥ると思ってしまいます。

だからこそ、このタイトルを見て、ドキッとしました。

石原加受子『なぜか「まわりは敵だらけ!?」と思ったら読む本』すばる舎(2013)

なぜか「まわりは敵だらけ!?」と思ったら読む本

なぜか「まわりは敵だらけ!?」と思ったら読む本

 

 

 


 

どんな本?

著者は、当ブログでも何度か記事にしている「自分中心心理学(※)」でおなじみの石原加受子さん。

(※)自分さえよければ相手を傷つけてもいい、という意味の「自己中」ではなくて、自分の気持ちを基準にして選択・行動する、というスタンスです。

「敵ばかり」とか「味方がいない」と思ってしまう理由や、そう思ってしまう人がどう対処していったらいいか、ということを解説した本。

戦いから降りること、の大切さが述べられています。

 


よかったところ

他人が怖いのに、怖い人に近づいていく理由

他人が怖いという人ほど、怖い人に自ら近づいていってしまうことを不思議に思っていた、という著者。

私もどちらかというと、他人が怖いのに、怖い人やくせ者っぽい人にこそ近づいていってしまうタイプなので、ギクッとなりました。

たとえば、バイト先の小うるさいおばちゃんにゴマをすったりとか。
学校イチ厳しいことで評判の先生にこそ、機嫌を取りにいったりとか。
くせ者としてみんなから煙たがられている人にあえて親切にしたりとか。


どうしてそんな行動をとってしまうか、というと

相手を「敵」だと認識すれば、やられる前に、「先制攻撃」をかけて相手を屈服させなければなりません。自分より強そうな相手や手強い相手だと、やられてはたまらないので、「ひとまずは、友好関係を築いていたほうが得策だ」とばかりに、怖い相手にも、近づいていくのです。

石原加受子『なぜか「まわりは敵だらけ!?」と思ったら読む本』すばる舎(2013)Kindle版 位置No.565

 


まさに!! まさに、そんな感覚でした。

自分では「クセのある人の機嫌をとる傾向があるな」くらいには自覚していたのですが、事を荒立てたくないからだろう、くらいに考えていました。

ですが、当時の心境をよーく振り返ってみると、「やられたらたまらないから、媚売っとこう」という感じのほうが近かったように思います。

「いざというときは、あなたのほうにつきますからね」という、子分気質な面もあったかもしれません。

なんたって、大ダメージを受けたくなかったんです。
仮に、その「怖い人」に問題があったとしても、です。
私にとっては、「自分のダメージをいかに最小限にするか」が大事だったのです。
(こうして改めて書くと、我ながら器の小ささに愕然とします。でも、大ダメージを受けたら再起不能になるほど、傷ついてもいたのだろうと思います)

この、媚売る作戦、うまくいくときもあれば、うまくいかないこともありました。

恐怖や不安が大きいほど、うまくいかなかったような気がします。
なぜかというと

恐れられている人にとっては、自分に怯えられることほど不快に感じることはありません。
 と同時に、恐れられている人は、怯える人間をいたぶる快感も知っています。脳幹の昨日としても、怯える相手を目の前にすると「いたぶりたい」という欲求が刺激されるのです。

石原加受子『なぜか「まわりは敵だらけ!?」と思ったら読む本』すばる舎(2013)Kindle版 位置No.580 

 

私の媚売る作戦、相手には「ゴマスリ」がバレバレだったんでしょうね……。
(相手がやさしい人の場合「あ、この子、ゴマすってきてる…不安なんだな、かわいそうに」と察して、むしろ逆に気を遣ってくれたこともあったのでしょう。それを私は勝手に「ゴマスリが成功した」と解釈した可能性があります。ああ、浅はかだった)

自分の言動だけでなく、態度や表情、振る舞い、ふとした仕草、立ち方、歩き方、喋り方、その人の内面から醸し出される雰囲気すべてが、相手に情報として伝わっています。

石原加受子『なぜか「まわりは敵だらけ!?」と思ったら読む本』すばる舎(2013)Kindle版 位置No.595 

 

あー、絶対バレてましたね……。
怖い人や苦手な人に接するとき「ううっ、苦しい、こわいよぉ」となりながらでしたから、少なくとも「それとなく」は伝わっていたでしょう。

相手は「こいつおびえてるな」と思うとイラっとするわけですから、余計に辛く当たられたり、いじわるなことをされたり、となるわけですね。


しかし、当時はそんなメカニズムも知らなかった私。
ゴマスリ作戦が失敗して、次はどうしたかというと、「相手のことをよく知ろうとした」のです。
相手にとって何が大事なのか等、把握できれば、もっとうまく媚びを売れると思ったんですよね。

でもでも、この「相手を知ろうとする」は逆効果なのだそうです!
なぜなら、「望む反応でないと満足できない」から。

相手を知ったつもりで分析し、さらに媚びを売ったとします。
しかし、それでも相手には響かなかった。むしろ余計に冷たくなった。
となれば、一生懸命媚を売った側からすれば「キー!」となりますよね。

私も実際に経験があって、そのときは「ここまで歩み寄ってやってるのに!!」と、悔しさというか、もどかしさのような感情がありました。

でも、冷静に考えたらおかしいですよね「歩み寄ってやってる」「~してやってる」って。

どうして「~してやってる」と思うかというと、やっぱり相手を敵だと思っているから。
「この人と仲良くなりたい」という純粋な気持ちからとっている行動であれば「してやってる」には決してならないですよね。
「敵だから本当は冷たくしてもいいところを、あえて、親切にしてやってる」から「~してやってる」となるのですよね。

このように、相手をより知ろうとする、のは意味がない。
だから、自分の感じ方を頼りにすればいいそうです。

たとえば、自分が「なんかかみ合わないな」と思えば、相手もそう思っているということ。

自分の肌や感覚や心で「感じたまま」が、相手の心の中の思いです。

石原加受子『なぜか「まわりは敵だらけ!?」と思ったら読む本』すばる舎(2013)Kindle版 位置No.673 

 

ということは、そもそも相手を「敵」、少なくとも「味方じゃない」と思っている時点で、ギクシャクするのは当然といえそうですね。

では、「敵意識」を持たないようにするには、どうしたらよいのか。

 


自分をないがしろにすると「敵意識」が生じる

人や周囲に対して「敵意識を抱いてしまう」のは、自分の感情や気持ちや欲求を大事にできなかったからです。

石原加受子『なぜか「まわりは敵だらけ!?」と思ったら読む本』すばる舎(2013)Kindle版 位置No.797


今でこそ自由に生きている私ですが、かつては、自分にも他人にも厳しかった、という自覚があります。

たとえば……
大学生の頃、私に「(遅刻しちゃったから or 授業中寝ちゃったから)講義のノート貸して」とよく頼んでくる子がいました。
当時の私はそれが嫌で嫌で、たまりませんでした。

なぜかというと、当時私は長距離通学だったので、1限の授業に間に合わせようと毎朝6時に起き、6時半のバスに飛び乗り、その後二時間以上電車で移動、という生活をしていたからです。
一方で、その「ノート貸して」と言う子は大学の近くに住んでおり、通学という枠でみると、「近くに住んでるくせに何甘えてんの!!!!こっちだって眠いのに遅刻しないよう頑張ってるんだから!!」と私は心のなかで憤ってしまったのでした。

と同時に「同級生にノートも貸さないなんて、私って薄情!!冷たい!」とも思っていたので、「貸したくない、でも貸してあげなければ、でも嫌……」というのを延々と繰り返していました。

そうこうしているうちに、「ノート貸して」と頼んでくる子のことを疎ましく思うようになってしまいました。
私を困らせる、ある種の「敵」と見なしていたわけです。

もし、当時の私が、自分の気持ちを大事にできていれば、「ごめんね、気がすすまないから断るね」と丁重にお断り、だけで済んだのに(実際やろうとするとものすごく難しかったのですが)。

自分のことを大事にできないがゆえ、事態をこじらせてしまった苦い思い出といえそうです。

 


敵という意識をなくすには

敵という意識をなくすには、お互いを尊重しあう、ということになるのですが、それだけだとキレイゴトな感じがしてピンときませんよね。

お互いを尊重する、ということをかみ砕いてみると
・自分の選択の自由を認める
・相手の選択の自由も認める
ということ。

自分の選択の自由を認めることができている人ほど、相手の自由も尊重することができるそうです。

先に挙げた私の過去の例で考えてみますと、当時の私は、相手の自由を認められていません。
相手には「ノートを誰かに借りる」という選択肢があるのに、それ自体を「近くに住んでるくせに何甘えてんの」と認められていません。
相手の領域を侵略してしまっています(反省)。

なぜそうなったかというと、そもそも自分の自由を認められていなかったから。

もし、自分の選択の自由を認められていたならば「私が嫌なら、ノートを貸さなくても良い」と思えるわけで。
そして同時に、「誰にノートを借りようが頼もうが、相手の自由」とも思えるわけですね。

人に優しくできない自分が嫌で嫌でたまらなかったのですが、そもそも自分に優しくしていなかったのが原因だったのですね。

「自分より他人を大事にしなければいけない」という思考ばかりが先走って、それができない自分は「ダメだダメだ」と思って、地に足がついていなかったというか、根本的なことを見逃していました。


どうしてそんなにも断ることが苦手だったかと考えてみると、親や周囲の人間が侵略型の人たちで「おまえごときがノーと言うなんて許さん」スタンスだったことも影響しているかと。
私には実質的な拒否権がありませんでしたので。
その関係性を、他人に対しても投影していたんですね。
みんながみんな、そういう人じゃないですよね。

現在は、侵略型の人や、こちらの拒否権を認めないスタンスの人、とは距離を置くことにしています(一応話し合おうと試みますが、そういう人は自分と相手の境界が曖昧なので、徒労に終わることが多いです)。

自分も、侵略型だった過去があるので、戻らないように気をつけています。

自分の気持ちを無視してまでも相手のために生きたり、相手がすべきことにまで手を出してやってあげるということは、「相手の敷地内を掃除してあげるようなもの」です。

石原加受子『なぜか「まわりは敵だらけ!?」と思ったら読む本』すばる舎(2013)Kindle版 位置No.1426

 

 


おわりに

「まわりは敵ばかり」「味方がいない」と思ってしまうときは、まず、「自分の気持ちを自分自身が尊重できているか」ということを考えてみるとよい、というわけですね。

戦わないで自分を守る方法の基本原理は

・自分の敷地は、安全に保証されている
・お互いの敷地内には、無断で侵入しない
・お互いの敷地を行き来するときは、同意を求めて許可を得る
・それぞれの敷地は自分で管理し、責任を果たす

石原加受子『なぜか「まわりは敵だらけ!?」と思ったら読む本』すばる舎(2013)Kindle版 位置No.1467 

 

すごく参考になる本でした。

自由な選択には「責任」が伴う、というところもポイントで、より深く考えたかったのですが、長くなってしまいそうなので、とりあえず切り上げようと思います。


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