ほかの記事でも書いていますが、子供の頃からしばしば不安にさいなまれてきました。
親に捨てられるのではないか、コミュニティから弾き飛ばされるのではないか、といった漠然としたものから、明日もおなかが痛くなるのではないか、なにか重篤な病なのではないか、といった具体的なものまで。
自分の生き方を見つめ直し、修正したおかげで、現在はかなり軽くなってきましたが、それでも不安が全く無くなったわけではないです。
そのときどきで大きさや形を変えながら、今後も一生つきあっていくのだろう、と思っています。
定期的に関連の本を読んで、不安の強すぎる状態に戻らないようにしています。
今回読んだのは、
加藤諦三『不安のしずめ方40のヒント』PHP研究所 (Kindle版)
Kindle Unlimited(定額読み放題のサービス)には、加藤諦三さんの本が何冊も入っているので、当分継続することになりそうです。
どんな本?
不安を大別すると
① 自分の価値が脅かされるときに感じる不安
② 自分の存在(保護と安全)が脅かされるときに感じる不安
があります。
なぜ不安を抱くのか、その原因と対処法を考える本です。
本書の前半で①を、後半で②を取り扱っていますが、②は①から派生している面もありますので、①がメインかなと思います。
なお、タイトルに「40のヒント」とありますが、各項目が独立しているというよりは、全体を通して読むことで、不安の原因と対策を理解できるような構成になっていると思います。
迎合することのおそろしさ
不安からの逃避3パターンは
・迎合(従順)
・攻撃
・ひきこもり
いずれも、「これ以上傷つきたくない」がゆえにやってしまうのですが、これらをやると、人生に対するコントロール能力を失ってしまう、と著者はいいます。
本書では特に、迎合の危険性を解説しています。
「迎合」を具体的にいうと
(1)従順、何事にも遠慮
(2)仕事熱心、真面目、強く優れていようとする
(3)無理して、明るく振る舞う
加藤諦三『不安のしずめ方40のヒント』Kindle版 位置No.408
私の場合、親に対しては(1)従順というか、従わざるを得ない状況にあり、中学生の頃は(2)熱心・真面目が強く、高校では(3)無理に明るくふるまうをやっていました。
大学・大学院生の頃は(2)熱心・真面目がまた強くなり、会社員の頃はそれに加えて(1)従順が顕著になってなっていました。
しかし、迎合しても、一時的には不安が和らぐかもしれませんが、本質的には解消しないのです。
むしろ長期的にはますます不安になる!!
従順に振る舞うということは、心の底に敵意や憎しみがたまるということで、結果的にエネルギーを落とすことになるわけです。
これは私自身も身をもって体験していて、迎合の結果、十代後半でうつ状態になりましたし(とにかく死にたくて仕方がなかった)、二十代後半では不安神経症が悪化し、日常生活に困難を覚えるほどになりました。
どうしてそこまでして迎合してしまったかというと、私の場合は、「子供時代の見捨てられ不安」を引きずっていたからです。
家族、とりわけ母親がいろいろ問題を抱えていたため、私に対する八つ当たりや支配がありました。
しかしこちらは子供でしたから、ただただ従うしかなく、迎合がいつしか生きる上での「基本姿勢」として身についていました。
最初は親に対する迎合だったのが、いつの間にか、ほかの対人関係にも影響を及ぼしていました。
幸せになろうと思えばなれるのに、子供時代の不安を一生引きずって死ぬまで不幸な人のなんと多いことか。
加藤諦三『不安のしずめ方40のヒント』位置No.474
成長するに従い「もう大人なのだから迎合は必要ない」と気づければよかったのですが、日々の「すべきこと」に追われ、立ち止まって考える余力などなかったです。
だから、いつも(誰か、あるいは何らかのコミュニティから)弾き飛ばされることの恐怖でいっぱいでした。
「どうしてこんなに他人の顔色が怖いのだろう、強気な人に支配されてしまうのだろう」と疑問を持つようになったのは、30歳近くになってからのことでした。
「どうしてこんなに迎合してしまうのだろう」と気づけば、そこから原因を考えることで、人生は開けていく可能性があります。
具体的な方策としては、上で引用したような迎合(1)~(3)をやめること。
ですが、迎合をやめるって、ものすごく怖いです。
私も最初は怖くて怖くて、それこそ本当に身体がふるえそうなほどビクビクしてしまいました。
何度も元の「迎合するわたし」に戻りそうでした(いや、実際にちょこちょこ戻ったりもしました)。
それも無理のないことです。
迎合の回路が脳にできてしまっていて、強化されているのですから。
だからといって、そこでまた迎合スタイルに戻ってしまっては、一生つらいままです。
迎合しそうになったらその都度「迎合しても軽く見られるだけだ」と自分に言い聞かせることが必要だと著者はいいます。
従順になったことで憂うつな気持ちが晴れたことがあるだろうか。むしろ逆で、従順に生きてきた結果、あなたは憂うつな気持ちに苦しんでいるのではないか。
加藤諦三『不安のしずめ方 40のヒント』位置No.603
もう本当におっしゃる通りですよね。
こちらの従順さにつけ込む人って、ずるい人が多いんです。
さんざん利用しておきながら、こちらが困った時は知らん顔して、何もしてくれないのです。
何もしてくれないだけならまだしも、適当に耳障りの良いことだけ言って、なんとなく「良い人」を装いさえするのです。
神経症的な不安を本質的に解決するには、逃げではなく、立ち向かう以外ない、と著者はいいます。
迎合をやめて、ずるい人に利用されることを断つ必要があります。
人生が行き詰まるときというのは、人間関係がおかしいときなのだそうです。
その人に気にいられたら何か幸運が降って湧いてくるのだろうか。
加藤諦三『不安のしずめ方 40のヒント』位置No.1046
それでもなお「ノー」と言えない、という場合は、「どうしてだろう?」と考える必要があります。
すると、そこにはカラッポの自分が……。
中身がカラッポだからこそ、他人に認めてもらわないと生きていけない、というわけです。
く、苦しい…。
しかし、カラッポということは、中身を充実させてやればいいのです。
何か難しい資格をとるとかそういうことではなくて、「自分の本当に好きな食べ物は何か」とか「本当に好きな色は何か」とか、そういった超基本的なことから見つめ直せばよいそうです。
自分が本当に欲していることがわかっていないと、自己実現もしようがないですからね。
まとめますと、自分の存在価値を感じられなくて不安、という場合、まずどうしてそう思うのかを考えてみよう、ということですね。
原因が見つかれば、対処法もわかりますから。
子供時代の見捨てられ不安を引きずって、他人に迎合してしまうという場合は、どんなに怖くても迎合をやめる努力をする、と。
それでもやめられないなら、カラッポな自分の中身を充実(好きなものは何かなど見つめなおす)させる、ということです。
おわりに
本書を読んでいたら、かつて勤めていた会社のことを思い出しました。
良く言えば「人を巻き込むのがうまい」、悪く言えば「人をとことん利用する(というか顎で使う)」先輩がいました。
会社は「利益を出すこと」が前提ですから、会社からすれば、その先輩は(他者を顎で使っているとはいえ)結果は出しているわけですから、評価されているようでした。
迎合スタイルで生きていた私は、その先輩からすればまさに「カモがネギしょってやってきた」存在であり、本当にいいように利用されたなと、今振り返ると思います。
思い出して改めて苦しくなりました。
利益追求という会社の前提をふまえると、「私がこの会社でやっていくには、迎合する以外に道がない」と思い込んでいたのですが、本来ならば、もっとコミュニケーションをとるなり、先輩に交渉してみるなり、というやり方もあったのだろう、と思います。
私が迎合スタイルで生きているのを見抜いたからこそ、先輩も「いいからとにかくやれ! つべこべ言うな!」みたいな強い態度だったのだろうと思います。
冷静に言い返せたり、ほかの提案ができる人にはそこまで強く出ていませんでしたから。
でも、親や強権者にねじ伏せられることが当たり前だった私は、迎合以外のやり方を知らなかったので、仕方がなかったかなぁとも思います。
なるべくしてこうなったというか。
親を選ぶことはできませんから、小さい頃に「迎合」スタイルが身についてしまったこと自体は仕方ないです。
親もいろいろ事情があり、好き好んで未熟だったわけでもありませんしね。
だからせめて、「迎合」のスタイルからなるべく早めに脱していられたらよかったのにな、と思います。
一般的には、反抗期で脱することができるのでしょう。
しかし、反抗期自体を力で押さえ込まれると、その機会を逃し、私のように大人になっても他者に迎合し続け、自分の人生を失ってしまいます。
それでもまだ、途中で気づけてよかったです。
死ぬまで誰かに迎合して苦しむよりは、気づいてよかったです。
従順であることは、一見良いことのように語られますが、ずるい人からすれば単に「利用しやすい」から「都合が良い」というだけのことだと思います。
私にとって、「迎合」は染み着いた習慣であり、今でも気を抜くと、うっかり昔の自分に戻ってしまいそうなときがあります。
本書を読んで、改めて「安易な迎合には気をつけよう」と思いました。
また、自分を充実させることも、忘れずにやっていこう、と思います。
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