ししもとの読書ノート

自分らしく生きるために知識をつける

自分を小馬鹿にしてくるような人とは離れたほうがいい理由

加藤諦三『自分にやさしく生きる心理学 やっとつかんだ私の人生』kindle版
を読んでいます。

 
前回の記事に続き、またも共感しすぎるところや、思うところがあったので、記事にしています。
本書の内容に沿っていますが、私の個人的な体験がメインです。

 

なぜか自分のことを小馬鹿にする人が寄ってくる現象

若い頃、ずっと思っていました。

「なぜ私は人間関係の悩みが尽きないのだろう」と。

とりわけ、「人のことを少し見下すタイプの人」「他人を嘲笑したがる人」がやけに寄ってくるのです。

私のことも、その場にいない誰かのことも、なんだかんだとアラを見つけては小馬鹿にするような人(皮肉も含む)。

もちろんイラっとしますし、「この人、なんかイヤだな」とは思うんです。

「でも、言い返したら場の空気を壊すし……それに、恨みをかったら怖いし……」と思い、表面上は調子を合わせたり、ヘラヘラ笑って凌いだりしてしまう。

当然、一緒にいても、決して楽しくはありません。

なのになぜか、どうしても、そういうタイプの人とばかり、接点が生じてしまうのです。


幼少期の親との関係を踏襲している

今となってはよくわかりますが、私に近づいてくる人は、私の親と似たところのある人が多かったのです(当時は気づいていなかったけれど)。

私の両親にはそれぞれ、「人を見下す(父)」「支配したがる・批難する・隙あらば引きずりおろそうとする(母)」ようなところがありました。

子供だった私は、「うちの親は厳しい人たちなんだ」と勘違いしていましたが、この歳になって冷静に振り返ると「精神的に未成熟な部分がある人たちだったのだ」と感じます。


私は、そのような家庭環境に適応するため、いくつかの技術を身につけました。

ご機嫌取り、無力なフリ、従順などです。

父に対しては不自然にならない範囲で「お父さんは〇〇なところがすごいよね」などとご機嫌取りをしていました。
(あるとき「この人(父)は「すごい」って言ってほしいんだな」と分かったからです。実際、ご機嫌取りはある程度は効果がありました。)

母については思考回路が私と乖離しすぎて理解不能のため、場当たり的な対応しかできませんでした。
具体的には「無力なフリをする(お母さんがいないと私は生きていけません!的な態度)」「ひたすら従順に(そうしないと一晩中怒っているから)」「(他人から褒められると機嫌がよいので)社会的評価を上げる」などです。


これら、家でやっていた「ご機嫌取り、無力なフリ、従順」のクセを、いつのまにか外の人間関係でもやるようになっていました。

そりゃ、「他人を小馬鹿にすることで安心したいタイプの人」が寄ってきますよね……。

だって、言い返してこないんだもの。
「俺様はすごいんだぞ」と言っても「そうだね」と言ってくれるんだもの。
「バッカじゃねぇの!プークスクス」と嘲笑しようがヘラヘラ笑っているだけだもの。
むしろ、ご機嫌取りさえしてくれるんだもの。

相手からしたら、ストレス解消し放題なわけですよね。

相手に笑われることで相手との関係を維持しようとするのは、自分は笑いものになることでしか存在する意味がないという感じ方をベースにしている。

加藤諦三『自分にやさしく生きる心理学 やっとつかんだ私の人生』位置No.626

 

言い返すまでできなくても、ムッとした顔をするなり、「えっ……」とあえて驚いてみせるなり、の意思表示が必要だったのだ、と思いますが。

当時はムッとしたりしちゃいけない、と思っていたんですよね。
うまく受け流してこそ大人なんだ、と。

夫婦喧嘩でいつも怒り狂う両親を見て、傷つくと同時に、「怒ることはあさましいことだ」と私自身が捉えてしまったせいなのですが。

「人をむやみに攻撃するための怒り」は不要でも、「自分を守るための怒り」は必要なんですよね。

そこを明瞭に理解できていなかったのが、反省です。

これまでの人間関係を考え直すことにした

親の機嫌ばかりとって、自分の気持ちを封じ込めた結果、人生全般に行き詰まりまして。

「もうこれ以上耐えられない」という切迫した気持ちで、まずは母と距離をとりました(実質的な絶縁)。

一旦距離をとってみると、その快適さに驚愕したんです。

逐一批難したり文句を言ってくる人が近くにいないと、こんなにも平和なのか!!と。
「あれしてくれこれしてくれ」と依存してくる人がいないと、こんなにも気が楽なのか!と。

(父に対しても思うことは多々あるのですが、「父なりに(適切ではない場合もあるが)私のことを考えてくれている」という実感が成長過程で少しはあったので、父とは連絡をとっています。)


母という足かせから解放されると今度は、これまでの友人関係にも目が向くようになりました。

以前は、「あ、この人、今私のことちょっと小馬鹿にしたよな」と感じ取っても、「まあこんなもんか。うちの親だってやるし」と思ってやり過ごしていたんですが。

いつしか違和感のほうが大きくなってきて、無視できなくなりました。

小馬鹿にしてくるような人とは距離を置いていい

しかし、ですね。
よほど腹が立つようなことがあったなら別ですが、多少小馬鹿にしてくる程度で友人と距離をとってもよいのだろうか、と悩みますよね。

「小馬鹿にしている」のだって、もしかしたらこちらの被害妄想かもしれない、とか。
相手はさほど悪気はないのでは、とか。
私が悪いほうに考えすぎているのでは、とか。

でもですね。
小馬鹿にしてくるような人とは、距離をとっていいんです!
むしろ、距離をとったほうがいいんです!

なぜかというと、小馬鹿にしてくるような人とつきあっている限り、そこで受けたストレスを自分より弱い方向に向けてしまうからです!

私は幼年期から、神経症的人間の犠牲になって生きてきた。そして私の心は歪み、私自身が神経症的になった。やがて被害者から加害者に私は変わっていった。私はどんなことがあっても、旧来の人間関係のいくつかは断ち切らねばならなかった。

加藤諦三『自分にやさしく生きる心理学 やっとつかんだ私の人生』No.717

 
私自身も、「やがて被害者から加害者に変わっていった」という経験があります。

親に否定されてきた分、自分よりもっと弱い人(立場的、あるいは気が優しくて言い返せない人など)に当たってしまったことがあるんです。

知らず知らずのうちに、大嫌いな親と同じことをしてしまっていたんです。

特に学生のうちは結構ひどかったと思います。
でも、やめたいのに、やめられなかったんです。
それがガス抜きになってしまっていたから。
「あの人よりはマシ」と思わないと、自分を保てないんです。

大人になってからは、せめて態度に出ないよう抑えたつもりですが、心の中ではけっこうやっていたと思います。
うっかり不遜な態度をとってしまったこともきっとあると思います。

つまり、「人を小馬鹿にしたり、見下さないようにしよう」とどれだけかたく決意しても、自分が小馬鹿にされ続けていると、その分をどこかで解消してしまうんですね。

毒気を吸い込んだら、毒の含まれた息を吐いてしまうんです。
だから、毒気は吸わなくていいんです。
毒気をを出している人から離れていいんです。


私は10年くらいかけて、違和感のある人間関係から離れるように心がけました(わざわざモメるのは本末転倒なので、自然にフェードアウトの感じです)。

似たようなタイプの人(小馬鹿にする系)とばかり接点があったので、これまでに築いた人間関係はほぼすべて消失しました。

20年以上の付き合いの人もいましたので、「本当にこれでいいんだろうか」とかなり悩んだりもしましたが……。

結果としては、これでよかった、と思っています。
最近になってやっと、自分にも、他人にも、過剰に批判的な目を向けなくて済むようになってきました。

このまま自分が確立(=幼少期からの自己否定感が和らぐ)したら、小馬鹿にしてくる系の人に対しても「ああ、ガス抜きしているんだな」と流せるようになるかもしれない、と思います。

気持ちがわかるだけに、優しい言葉をかけられるかもしれません。

そうしたらまた仲良くすればよいのだ、と思います。


イヤな人と距離を置きたいが罪悪感が強くて……という場合は
「自分が、自分自身にも、他人にも(※)やさしくするために、毒の発生源から離れる」
的に考えると良いと思います。

(※)
このように言うと「(他人のうちの一人である)俺(私)の気持ちはどうなるんだ!」と激昂する人がいますが……。

「俺の気持ちはどうなるんだ!」の時点で自分の気持ちしか考えておらず、暗に「お前の気持ちはどうなってもいいから俺の機嫌を取れ」というのがしみ出ていますよね。

相手こそ己のことしか考えていないので、「自分ってひどいのかも……」などと動揺する必要はないんですよね。

まあ、激昂されるとひどい目に遭う可能性が高いので、自然なフェードアウトが良いのでしょうね。

つづく


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