ししもとの読書ノート

生きづらさの軽減をめざして

自分の手を汚さないトラブルメーカーに注意 |感想『人とモメない心理学』

子供のころ、私の周囲には常にモメごとがありました。
父と母、母と祖父母、母と親戚……どこかの関係性において、何かしらモメていました。

それぞれに言い分があるのでしょうし、仕方なかったのだろうと思います。
しかし、呼吸の仕方がわからなくなるほどひりひりした空気の中で、心身ともに縮こめて生きていたことは、いまだに辛い思い出です。

そんな経験が影響してか、私はモメごとが大の苦手。
とりわけ、怒鳴るとか、声を荒げるといった行為に対して恐怖症レベルの嫌悪を感じてしまいます。
ですので「できる限り穏便に」を心がけて生きてきました。

しかし、「穏便に」を意識しすぎても、それはそれで弊害が生じることもあるのですよね。
抑圧していると、別の形で噴き出すのですよね。

私の場合は、嫌なことを嫌と言えずにストレスをためすぎて爆発してしまったり(言い争うなんてこともできないので、突然無視するという強硬手段をとってしまいがち。相手からすればそれまで文句も聞かされていないわけなので余計に「?????」となって、大いにこじれます)。
逆に、口には出さずとも「場の平穏を保つのが大事なんだから(自己主張しないで)」といった態度を知らず知らずのうちにとっていて、相手に我慢を強いていたり……。

穏便にしたいのに、それを意識しすぎた結果、モメごとを招いてしまう、なんて、本末転倒ですよね。

幸い、現在は身内以外の人間関係で悩むことはほぼないですが、今後、モメるタイプの人に巻き込まれないようにするために、また、自分も誰かをむやみに傷つけることのないように、この本を手に取りました。

加藤諦三『人とモメない心理学 -トラブルの多い人、少ない人は何が違うか-』青春出版社(2013)

人とモメない心理学

人とモメない心理学

 

 

どんな本?

生きていれば誰にでもトラブルはつきもの。
天気をコントロールできないのと同じで、トラブルをゼロにするのは不可能ですよね。
でも、無用なトラブルを減らすことはできそうです。

トラブルには
・相手に問題がある場合
・こちらに問題がある場合
があります。

どちらか一方にだけに問題がある場合ももちろんありますが、現実的には、相手にもこちらにも問題があるというケースが意外と多いのかもしれません。

本書前半では、トラブルメーカーと呼ばれる人たちの心理や、彼らに巻き込まれがちがちな人たちの心理を解説し、後半では解決の仕方、考え方、発想について書かれています。

自分自身の体験を含めつつ、本書を読んで考えたことなどを記していきます。

よかったところ

トラブルメーカーの正体

いつもあからさまに誰かを攻撃している人だったら、まだ避けようがあります。
でも、一見トラブルメーカーとは分かりにくいトラブルメーカーが存在すると著者はいいます。

たとえばこんな人。
「Aさんがあなたのこと悪く言ってたよ」とBさんに言う。
その一方でBさんには「Aさんがあなたのこと悪く言ってたよ」と言う。
すると、AさんとBさんはぎくしゃくし始める。

このように、自分の手を直接汚さずに、モメごとを起こすのが、分かりづらい「トラブルメーカー」だそうです。

私自身、中学生のころ、上記の例とまったく同じことを経験しました。

ある日、Xさんという子が「Aさんはあなたのこと、あんまり好きじゃないみたいよ」的なことを私に言ってきました。

Aさんとは仲良しだと思っていたので、とてもショックを受けてしまった私。
次第に、Aさんとの仲がぎくしゃくするようになってしまいました(今思うと、XさんはAさんにもよからぬことを吹き込んでいたかもしれません)。

しばらくすると、Xさんが「友達同士がモメているのが耐えられない」と言って、仲裁しようとしてきました。

学校という狭い世界で、だれかとぎくしゃくしているというのは確かに居心地が悪く、仲裁に入ったXさんについて「意外と友達思いなのかも」なんて当時は思ってしまいました。

が、本書を読んでよくわかりましたが、こういう人は「友達思い」なのでは決してありません。要注意!!

Xさんは単に自分の周りにモメごとを起こしたかっただけなのです。

なぜかというと、周囲にいざこざを起こすことによって、自分の居場所作りをしているから。
自分の役割が重要になるから。

ずるい人が、自分を優しい人と感じさせる方法は、相手を困らせておいて、恩を売ることである。

加藤諦三『人とモメない心理学 -トラブルの多い人、少ない人は何が違うか-』青春出版社(2013)P.60

 
私が経験したケースでも、まさにXさんは、間接的に火をつけて→揉め事を起こさせ、困らせ→仲裁に入る(恩を売る)という行動をとっています。

中学生時代に経験したトラブルを思い出してみると、その過程のどこかに、必ずXさんの存在がありました。

ただ、Xさんは直接手を汚していないですし、親切そうなふるまいをするので、ことの発端が彼女であるとは当時は全く気付きませんでした。

Xさんも心の闇を抱えていたのでしょうが、巻き込まれて疲弊しきったのは、私やAさんでした。

Xさんの行動には問題があります。
しかし、巻き込まれた私自身には問題がなかったのかというと、問題はあったと思うのです。


巻き込まれやすさを反省した

本来なら私も、Xさんの言葉をうのみにせず、(Aさんに直接確認するのは難しくても)少し様子を見るとか、ほかの友達の意見を聞くとか、やり方はあったと思います。

しかし、Xさんの言葉をうのみにしてしまったのは、「嫌われていたらどうしよう」という不安を日常的に抱えていたせいだと思います。
当時はそこまで言語化できていませんでしたが、「嫌われる≒死」と心の底で思っていたようです(幼少期に体感した「(親に)嫌われる=死」を引きずっていたのだと思います)。

実の親ですら、私を好きではないのだから、他人が私のことを嫌ってもおかしくない、と思っていました。

だからこそ「あの人があなたのこと嫌っているみたい」的なささやきに、打ちのめされてしまったのです。


今では、人間関係には相性などもありますし、自分にとって苦手な人がいるのと同様に、私のことを嫌いな人がいるのも当然だし仕方ない、と素直に思えるのですが、当時はそんなことを思う余裕もありませんでした。

母の機嫌をとるべく「何事においても高評価を受けること」がとにかく第一優先だったので、Xさんがどんな人かまで考えが及ばなかったのです。

要するに人を見る目がなかった。
そもそも、相手をよく見ていなかった、いえ、見ようとしてすらいなかった。
つまり、自分しか見ていなかった、というわけです。

相手が自分をどう見ているかを正しく把握していないとトラブルになる。

加藤諦三『人とモメない心理学 -トラブルの多い人、少ない人は何が違うか-』青春出版社(2013)P.143



モメごとを起こしたいだけのXさんに利用されているのかも、と冷静になっていれば、私ももう少しうまく立ち回れたでしょう。



ではなぜ、Xさんをはじめ、トラブルメーカーと呼ばれる人たちのことを冷静に見られなかったのか。

これはあくまで私の場合ですが、自分の親の本質を見抜きたくなかった、という気持ちにたどり着きました。

子供のころの私にとって「うちの親ってちょっとおかしいのかな?」と考えることは、とても怖くてできませんでした。
(怖かったということは、薄々気づいていたのでしょうけど……)

周りの人の本質を観ようとすると、どうしても親の本質をも観てしまうことになる。
だから私は無意識のうちに、他者を疑うということを禁忌にしていたのだろうと思います。

最近は、(なるべく人を疑いたくないし、信じたいけれども)自動的に人を信じてしまうのは、「ある種の思考停止でもある」と思うようになりました。
ですので、「人を信じつつも、冷静な目も持っておこう」と気をつけています。



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対処法

トラブル自体をなくすことはできないけれど、巻き込まれないようにしたり、事が大きくならないように対処することは可能。

では具体的にどうしたらよいのか、ということが本書後半で述べられています。

すぐにでも取り組めること(短期的な視点)と、時間をかけて新しい自分を作っていくこと(長期的な視点)の両方からアプローチされています。


今すぐ解決しようとしなくても

すぐに取り入れられる考え方として、私がいいなと思ったのは、「解決にはタイミングがある」ということ。

トラブルをどうしても今処理しようとするからストレスになる。

加藤諦三『人とモメない心理学 -トラブルの多い人、少ない人は何が違うか-』青春出版社(2013)P.159

 

今、説得しようとするから相手も「イヤなやつ」になる。今はただ相手の話を聞いていればいいということもある。

加藤諦三『人とモメない心理学 -トラブルの多い人、少ない人は何が違うか-』青春出版社(2013)P.160


確かに、今すぐ解決しようとすると、焦るがあまり、怒ったり、声を荒げてしまったり、とコトが大きくなるだけの気がします。
どうしても力づくで相手をコントロールしたい感じになる人も結構いますよね(私の親戚にはこのタイプが多いです)。

力づくで言うことを聞かせようとしたって、その場はなんとかなったとしても、コントロールされた側には恨みつらみが残るもの。
長い目で見れば、良い結果になるわけがありません。

今すぐに解決しなければいけないのかどうか、それ自体を冷静に考えてみてもいいのかもしれません。

その場で言い争いをせず、そっと距離をとるという選択肢だってあるわけです。

お互い冷静になって落ち着いた感情になってみると「ごめんね」くらいで済む可能性だってあります。

まぁ、トラブルの渦中にいるときにそこまで冷静になれるかちょっと自信がありませんが……。
でも、頭の片隅に置いておこうと思います。


コンストラクト(解釈の仕方)を増やす

続いて、長期的に取り組む対処法としていいなと思ったことを。

トラブルの巻き込まれやすさには劣等感が関わっているわけですから、その劣等感を癒すことができれば、大元の原因を断つことになります。

その手段の一つとして「コンストラクト」を増やす、ということが本書で挙げられていました。
「コンストラクト」とは解釈の仕方、価値観の軸、といった感じでしょうか。

例えば、「親切か残忍か」「優しいか冷たいか」「活発か恥ずかしがりか」といったような、二つの比較によって構成されるものです。
評価軸といってもいいかもしれません。

この解釈の仕方がたくさんあるほうがよいのだそうです。
確かに「仕事ができるかできないか」という軸しか持っていなかったとしたら、仕事がうまくいかなくなったときに「自分はもうダメだ」と簡単に挫折してしまいます。

一方で、仕事以外にも「優しいか冷たいか」とか「誠実かずるいか」とか、いくつもコンストラクトを持っていれば、どれかダメになったとしても、ほかにも評価できることはあるわけですから、抑うつ的になりにくいそうです。
要するに、ものごとを多面的に見よう、ということですね。

しかしながら、コンストラクトはそう簡単に増やせるものでもないのが難しいところ。
コンストラクトが少ないのは、その人なりの理由がある、と著者はいいます。
満たされなければ満たされないほど、自分の価値を守ろうとするので、そのためのコンストラクトにしがみつくことになるのだそうです。

私もしがみついた覚えが……。
有能でないと親に受け入れられなかったので、「勉強ができる、できない」は私にとってすごく大事なコンストラクトでした。
生に直結しているといってもいいほどの切実さでした。

「できる自分」を感じられているうちはさほど問題にならなかったのですが、世界は広いですから、「そこまででもない」という事実が濃厚になり始めたとき、完全にアイデンティティが崩壊しました。

「とにかく一番でないと母に見捨てられてしまう」と思い込んでいた私は、生きるか死ぬかといったところまで思いつめました。
今思えば視野狭窄も甚だしいですが、当時は本当に「私には生きている価値がない」と思いこんでいたのです。

自分の人生は失敗の連続であったと劣等感を持ち不幸な人は、失敗の連続によって不幸なのではない。コンストラクトの数が少ないから不幸なのである。

加藤諦三『人とモメない心理学 -トラブルの多い人、少ない人は何が違うか-』青春出版社(2013)P.190

 

では、どうやってコンストラクト、解釈の仕方を増やしていこうか。

詳細や具体的な方法は本書をご覧いただくとして、本質的には、

守りをやめて、前向きに生きる。そうすればコンストラクトは自然に増える。

加藤諦三『人とモメない心理学 -トラブルの多い人、少ない人は何が違うか-』青春出版社(2013)P.187


とのこと。

私の経験で言えば、「自分はもっとできるばずだ」という守りをやめて、「とびぬけてできるほどではないらしい」と現実を受け入れたとき、初めて「じゃあ、ちょっとは努力してみよう」という気になりました(それまでかなり調子に乗っていたということになりますね……反省)。
そこでやっと、「努力しているかどうか」というコンストラクトが加わったわけです。

しばらくは「努力」という武器を手に入れたおかげで、人生が開けていく感じがありました。
しかし、今度は努力に頼りすぎたせいもあるでしょうか、いつしか、自分の中で「努力」のウェイトが肥大化し、次第に「努力=何かに耐える」といったような方向性のずれが生じていたようにも思います。

結果、自分の力量以上に頑張る(というか、耐える)ようになってしまい、心身を疲弊させてしまいました。
結局のところ、コンストラクトがまだまだ足りなかったのです。

そこで、これまで使用してきたコンストラクトの比重をかなり軽くし、ほかのコンストラクトを盛大に取り入れざるを得なくなりました。

中でも、幸せを感じるために大事だったのが、「楽しんでいるか、いないか」というもの。

それまでは「社会(他者)に認められてナンボ」「結果が出なければゼロと同じ」の世界に生きていました(親や親戚も完全にこの考えでした)。

ですから、趣味で音楽をやってはいましたが「プロになるわけでもないのに……くだらないよなぁ、意味ないよなぁ、自己満足だよなぁ、なんか恥ずかしいよなぁ」と、心のどこかで思っていました。
お恥ずかしながら、趣味全般を軽んじていた気がします。

けれども、自己満足だろうが何だろうが、自分が楽しいと思うことをするかどうかで、人生全体の楽しさが全然変わってくることを、今ひしひしと感じています。

「他者に認められることがすべて」だったのが「自分が楽しいのならよし」に変わりました。
コンストラクト的にいえば「他者に認められるか、認められないか」がメインだったのが「自分が自分を認められるか」にうつりました。

もちろん「他者に認められる」ことを否定しているのではありません。
多くの人が「よい」というもの(作品など)は、それだけ魅力があるということでもありますから。

ただ、「社会で認められないからゼロ」なのではなくて、「少なくとも自分はよいと思える」のであれば、それは自分にとってけっこう価値があることなのだ、と思っています。


おわりに

サクッと感想をまとめるつもりが、つい長々と書いてしまいました。

本記事をまとめると
・わかりにくいトラブルメーカーに注意
・自分にも「巻き込まれやすさ」がないか?
・巻き込まれやすさを改善するにはコンストラクトを増やすべし
でした。

本記事ではごく一部しか紹介できませんでしたが、本書では、トラブルメーカー、巻き込まれやすい人、ともに何パターンもの例を挙げて解説されています。
近くにいる困った人のことも、何かわかるかもしれません。

コンストラクト(解釈の仕方)を増やす、というのは私自身とても勉強になりました。
改めて自分の持っているコンストラクトを棚卸してみると、想像以上に少ないことに驚きました。
いろんな世界に触れて、増やしていきたいところです。

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