足かせは外すことにした

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

人といるとやけに疲れてしまう理由 - 否定的な評価をおそれている

人といると疲れて仕方がなかった

最近だいぶマシになりましたが、とりわけ20代の頃、誰かと一緒にいると、それだけで疲れて疲れて仕方がなかったです。

もちろん楽しい瞬間もあるのですが、ふと沈黙が訪れたりすると「なななななな、なんか話さねば!!」と焦っていました。

特に、口数の少ない人、反応が薄い人、無表情の人が相手だと、「うわ、(相手が)全然楽しくなさそう……どうしよう……なんとか挽回せねばならない」と空回りし、辛くてたまらなかったのです(仕事関係だと相手を選べませんからね)。

その疲労が積み重なるうち、相手のことを苦手に感じてしまい、どんどん人を遠ざけるようになってしまいました。

f:id:shishi-book:20201127203524p:plain

悪い評価を下されるのがこわかった

今ならなぜかわかります。
私は「ダメな奴」とみなされるのが怖かったんです。
周囲の人全員から「あの人(私)は素晴らしい」という評価を得なければならない、と考えていたんです。

人と接する時、その場を楽しく過ごそうとすることより、その人に自分が否定的に評価されないかと、その人の評価に対して身構えてしまう。相手にはこちらを評価したり判断したりする気持ちなどさらさらないのに、こちらの気持ちが、相手に対して身構える結果になる。

加藤諦三『自分にやさしく生きる心理学 やっとつかんだ私の人生』Kindle版 No.2019

 

「ありのままの私」では許されなかったから

なぜそこまで身構える必要があったのか、というと、やはり親子関係にたどり着きます。

小さい頃、恩着せがましい親に育てられ、自分にされる世話の一つ一つを恩に着つつ、自分は他人から何か世話をされるに値しない人間であるという感じ方を、自分のなかに育ててしまった。

加藤諦三『自分にやさしく生きる - やっとつかんだ私の人生』Kindle版 No.2051


私の母は、ことあるごとに「お母さんは髪振り乱してあんたを育ててやったんだからね」と言う人でした。

また、井戸端会議でよそのお宅のお子さんが称賛されたりすると、母はあからさまに機嫌が悪く、「なんであの子にできてアンタにできないのよ」と何時間もグチグチと文句を言われたりしました。

そのような母の言動を真に受けてしまった私は、
「ありのままの私は生存している価値がない」
というメッセージを受け取ってしまったんです。

ありのままでは価値がないので「何かしらの形で役に立たねばならない」となったわけなんですね。

全ての評価軸で満点をとろうとしていた

まあ、学生時代は「勉強(あるいはスポーツ、芸術)さえできればいい」でもなんとかなった気がします。

しかし、大人になると、いろんな評価軸が出てきますよね。

仕事はもちろん、人間としてどうか、大人としてどうか、女(男)としてどうか。

20代の私は、そのすべての軸で「完璧」を目指そうとしてしまったんですね。

・女性というだけで舐められるのだから、男性陣が一目置かざるを得ないような結果を出さねばならない。
・「これだから女は」と言われないよう、理論的な話し方をし、常に冷静でなければならない。
・それと同時に、求められる女性らしさにもこたえなければならない。愛想よく、細やかな気づかいなど。体型維持、身だしなみに気を配るのも必須。
・かといって、若さを武器にしてもいけない、年上の女性にも好かれなければならないから。
・そもそも人としても善良で親切な人間でありたい

……自分に課す「ねばならない」が大量にありました。

今思えば、「ありのままで価値がない」と思っていること、そのことこそが、私を不幸にしていた原因なのですが、不幸だったからこそ「もっと頑張らねば! 苦しいのは、まだ努力(特に他人のご機嫌取り)が足りないからだ!」という誤った方向に爆走してしまいました。

だからこそ、人といると、自分の一挙手一投足、全方向に常に気を配り続けねばならず、それだけでヘトヘトになってしまっていたんですね。

目の前の相手のことを見ているようで、実際のところは自分にばかり注目しているのでした。

ただ一点、「相手が私にどういう評価を下すのか」そのことばかりを気にしていました。


広告  

否定的評価をなくそうとすればするほど、否定的評価があらわになる

私のことを良く思ってくれている人と親交を深めれば平和なのに、そういう人に対しては「私のことを良く思うなんて、見る目ないんじゃないか」などと、とんでもないことを思っていました。

心の奥で、自分が自分に失望しているからなんですよね。

自分が自分に失望しているからこそ、悪い評価のほうを信じてしまうんですね。
むしろ、低評価を下してくる人こそ「見る目がある」とすら思ってしまうんですよ。

けれど、否定的評価をぶつけてくる人って、私がどんな行動をとろうとも、結局何かしらネガティブな評価をよこしてくるパターンが多かったです。

そもそもが批判体質だったりとか、「他者を認める」という文化自体を持っていない人、という場合も多いですし。
単に「俺(私)の思い通りになればほめてやる」というタイプもいますしね。

他人の評価で自己肯定感を満たそうとするのはムダだった

私の場合は、「私のことをなかなか認めてくれない母に認めてもらうべくあらゆる努力をする」という、生き方の「型」を幼少期に身につけてしまっていました。

その対象が、いつのまにか周囲の人にまで拡大してしまったんですね。
「周囲の人=評価者」なので、そりゃ生きるのが疲れるに決まっています。

まあ、母に認められない代わりに、周囲にいる母に似た人(批判体質の人)に認められることで、自己肯定感を満たそうとしていたんですね。

幼少期の体験を、ただただ繰り返していただけだったんです。
気づいたときはゾッとしました。

だって、相手を認めるという文化を持たない人に認められようとすることは、当たりの入っていないくじを引き続けているようなものですから。

それでも人の評価を気にしてしまう どうしたら……

周囲からの悪い評価をなくさなければ、幸せになれないと思い込んでいました。
完璧な私にならないと、幸せになれないと思ってました。

が、なんと!
周囲からの高評価も、完璧な自分も、どっちも要りませんでした!

今の私は、社会的肩書はありませんし、友達がたくさんいるわけでもありません。
でも、これまでの人生で、最も安定した心境です。

人の評価ばかり強迫的に気にしていた私が、どうして人の評価が気にならなくなったか。
長い時間かけて「自分が納得するかどうか」をメインの評価軸に変えたからだと考えています。

>>>「自分自身が納得できるかどうか」を基準に選択したら幸福度が上がった話


とはいっても、いきなり評価軸を変えるのは超難しいです。
でも、一旦、自分軸になれると、びっくりするくらい楽になれると思います。


広告  

参考文献