自己効力感を得るために子供を利用する親
子供を支配・コントロールすることによって自分の不平不満や不安を解消しようとする毒親。
そもそも、毒親たち(の多く)は「自分自身に価値を感じられない」人々だと私は思います。
自分が自分に対して「これでいい」と思えないからこそ、「何かが足りない」という空虚感に苛まれる。
「何か足りない」と思うからこそ「何かを得たい」となるのですよね。
その矛先を向けられやすいのが、弱者である「子ども」。
子供を支配したり、コントロールすることで、「自分には力がある」と錯覚するのだろうと思います。
たとえ一瞬でも、スカッとするのだろうと思います。
足りないものが、埋まったような気になるんでしょうね。
ただし、厄介なのは、毒親本人が「自分の足りないものを埋めるために子供を利用している」ことに全く気付かないこと。
むしろ「愛しているがゆえ」と完全に思い込んでいます。
愛だと思い込んでいるので、子供が「いや、ぼく(わたし)はこっちがいい」と自律性を示した途端、「こんなにしてやってるのに! 親の気持ちをないがしろにするのか!」となるわけです。
いくら親子でも、趣味嗜好・考え方が完全一致するなんて、まずありえません。
それなのに、「親と完全一致」でないと狂ったように怒るんですよね。
おそらく「自分を否定された」ような気になるのでしょう。
そのとき、埋めたはずの「何か足りない」が露呈するので、不安すぎて激昂するんでしょうね。
毒親とうまくやる=精神的な死
毒親とうまくやっていく方法はただ一つ。
「自分を殺して、ひたすら親に迎合すること」
しかし、これが長期に渡ると、子は本格的に病むようになります。
だって、自分の心を殺しながら生きているのだもの。
「心」という表現が曖昧だと感じる方は「脳」と置き換えてもいいかと思います。
自分の考えや意志が自然と湧いてくるにも関わらず、その都度「脳よ、働くな!」と言わねばならないわけです。
しかも、「意志を司る部分は働くな! でも、他の部分は働け!」という高度なことをせねばならないわけです。
心臓に「右心室は働くな! 左心室だけ動かせ!」と言っても、無理ですよね。実現しようとするなら、死んでしまいます。
心も同じだと思います。
自然な動きを封じ込め続けると、精神的に死んでしまうんです(その結果、肉体の死を招いてしまうこともあり得るでしょう)。
しかも、精神的に病んだ途端、あれほどしがみついてきた毒親は「あいつはもうだめだ」と言って、放り出すんですね。
自分にとって、有用でなくなったら、ポイ、ですよ。
それまでさんざん搾取してきたというのに。
ほんとうに恐ろしい。
毒親は子離れできないので、自分から離れるしかない
毒親が子にしがみつくのは、「利用できる」からです。
子の存在によって、「自分(親)の心もとなさを解消している」からです。
安心材料なのだから、そりゃ手放したくないですよね。
だから、離れようとするとものすごい執念で追ってきたりします。
それでもこちらから徹底的に距離をとるしか解決法はない、と私は思っています。
(長くなるので具体的な逃げ方は別途記事にするなりしたいと思います)
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離れても、毒親の呪いは残っている
なんとか、毒親から逃れられたとしましょう。
その点に関してはほんとうに「よくやった」と自分をほめてあげてください。
でも、毒親にかけられた呪いは、じわりじわりと、何年も効力を発揮します。
呪いの内容はいろいろありますが、ここで挙げたいのが「親に似た人がやけに寄ってくる現象」。
毒親に似た人、つまり、「他人を使って、自己効力感を得ようとする人」ということです。
他の言い方をするなら
「他人を支配することで、不満を解消する人」
「他人を不快にさせることで、ストレス解消する人」
「他人を踏み台にすることで、自分の価値を高めたい人」
などでしょうか。
支配されてきた「におい」があるんでしょうね……。
ドラクエでモンスターをおびきよせる「においぶくろ」を思い出します。
(においぶくろイメージ こんなんでしたっけ?)
意識的に気をつけていないと「まあ、こんなものか」と、つい「慣れ」で支配系の人を受け入れてしまいます。
せっかく親の支配から逃れたのに、時間とともに「親のときと同じ構造で支配されている」ことになっていきます。
実例① 伯母との関係
私の場合、ここ数年でやっと気づいたのですが、「伯母(母の姉)に、母からされたのと同じ構造で支配されている」と気づきました。
伯母は母の親代わりでもあったので、その実非常にやり方が良く似ているのでした(むしろ母のルーツ)。
具体的には、「こちらが指示に従うまで電話口で怒鳴っている」「イエス以外は許さない」的な態度です。
気をつけていないと、どんどん言いなりになってしまい、「これでは母のときと同じになる」と思い、ある時から自分の意志を優先させることにしました(結果、伯母とも疎遠になりつつありますが……仕方ない)。
よく「毒親と縁を切るなら、親戚まるごと切れ」と言われますが、その言葉を実感しています。
実例➁ 父によく似た男性にやけにに好かれる
父は、私のことを「別人格」と扱ってくれたので毒親とまではいえないと思うのですが、父自身が家庭内暴力の家で育ったため、アダルトチルドレン要素満載の人です。
具体的にいうと「称賛してほしい」というのがモロバレの人です。
家庭内を円満にしたいがあまり、私は子供の頃からつい父の機嫌をとってきました。
しかるに、父と同じタイプの「称賛してくれ」系男性と接すると「あー、うちのお父さんと同じだわ。機嫌とっておけば平和かな」と思って、ほぼ無意識に機嫌をとってしまうクセがあったんですね。
結果、その手の男性からものすごく好かれるんです。
しかし、称賛してくれタイプの人というのは、本当に私のことが好きなのではなく、「私に認められることで自分の価値を証明したい」んですね。
別に私を好きなのではなくて、踏み台としてちょうどいいだけなんですね。
だから、ことあるごとに私にマウントをとってくるんです。
以前は、「好きな気持ちが焦りとなって迷走しているのかな?」なんてのんきなことを思っていたのですが、ここ数年でやっと、
「この人、私のこと本当に好きなのか? 本当に好きな人にわざわざマウンティングする?? しないよな……嫌われるリスクあるのに」
と強い違和感を感じるようになってきました。
そのような人と結婚でもしていたら、親との関係を繰り返すだけだったと思うので、ほんとうに危なかったです。
ちなみに「称賛してくれ」系の男性が、「そんなこともわからないのかよ」的にマウンティングしてきたとき、(えっ、なんでバカにされなきゃならないの? あなたにだって知らないことあるでしょ?)みたいなキョトン顔をしてみたら、それ以来一切連絡が来なくなりました。
やっぱりね、という感じです。
以前ならつい「いやー、勉強不足ですみません」なんて自分下げしていたと思うのですけどね。
自分下げしていると、モラハラ系の人に超好かれるんですね。
あー、危なかった。
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自分のためにも、誰かのためにも、人間関係は選んだほうがいい
このように「自分を肯定するために他人の人生を使う」相手には、毒親育ちの人は特に気をつけたほうがいいと思います。
なんたって、そもそもが搾取される文化の出身ですからね……。
意識的に気をつけないと、同じことを繰り返して、いつまでも抜け出せない。
繰り返すだけならまだいいんです、自分がツライだけだから。
いつしか、自分よりも弱い存在に、同じことをしてしまう可能性がある、これが一番こわい。
自分がされて、あれほど嫌だったことを、つい、他人にしてしまう可能性があるんですよ。
被害者の痛みをわかっているのに、加害者になってしまう……これほどつらいことはありません。
ストレス解消の矛先は、本来なら良い関係を築くはずのパートナーかもしれないし、子をもつ予定の人であれば、未来の自分の子供かもしれない。
だからこそ、友人であれパートナーであれ、つきあう人は選ばないといけないなと思います。
(詳しくはこちらの記事に書いています>>>自分を小馬鹿にしてくるような人とは離れたほうがいい理由)
他人にある役割を演じるように強制してくる人とは、つきあわないことである。
自分が教師「らしさ」を演じたいものだから、相手に学生の役を演じることを強制してくる人がいる。大物ぶりたい人がいる。彼は、そのように演じさせてやらないと不機嫌になる。
加藤諦三『自分にやさしく生きる心理学 やっとつかんだ私の人生』Kndle版 位置No.1543
無力感や無意味感から解放されるために、他人を必要としているのである。
加藤諦三『自分にやさしく生きる心理学 やっとつかんだ私の人生』Kndle版 位置No.1558
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おわりに
自己効力感を感じたいがために、こちらに小物役を演じることを求めてくる人とは、付き合わないほうがよい、という話でした。
特に毒親に育てられた人、機能不全家族出身者は、搾取されることに慣れてしまっていますので、気をつけたいですね(自戒を込めて)。
ただし、すぐに解決できるものでもないですし、何年もかけて少しずつよくなればいいので、焦らずにいきたいですね(これも自戒を込めて)。
参考文献
加藤諦三『自分にやさしく生きる心理学 やっとつかんだ私の人生』
(本記事は、上記の本の内容に沿ってはいますが、感想というよりは、私の実体験や考えを書いています。本を読んでいて、書きたくなったことを書いたという感じです)