足かせは外すことにした

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

成功を目前になぜかありえないミスをしてしまう理由|『自分にやさしく生きる心理学』より

加藤諦三さんの『自分にやさしく生きる心理学 やっとつかんだ私の人生』を読んでいます。

 機能不全家族で育った身としては、冒頭から共感の嵐です。

本書を参考にしながら、自分の経験を分析していきたいと思います。
(本書で学んだことがベースですが、詳細は私の体験談です)

 

能力的に問題ないはずなのに、なぜか最後の最後で失敗するという不思議現象

何の問題もないはずなのに、なぜか直前でうまくいかなくなる。

たとえば私の場合ですと……

「普段の成績のままいけば、推薦で第一志望もラクラク受かるだろうね」と言われていたのに、肝心の入試に使う内申点だけ、なぜかありえないような点数をとってしまう。

とある試験で、正解がわかっているのにも関わらず、なぜか間違っているほうの答えを書いてしまう(自分でも意味不明)。

面接で、普段は考えもつかないような摩訶不思議なことを言ったり、別人のようになってしまう。


この現象、「単にプレッシャーがかかっていたのだろう」と思っていたのですが、本書を読んでいて、それだけではなかったということをはっきり自覚しました。

 

実は成功や幸福を恐れていた

若い頃のことを思い出すと、「とにかく成果を出したい(その結果楽に生きられるようになりたい)」とか「家庭が不穏だったからこそ、自分は幸せになってやる!」みたいな気持ちでした。

成功や幸福を喉から手が出るほど欲していたつもりでした。
少なくとも、それらを恐れているという自覚なんて皆無でした。

けれど、当時の気持ちをよく思い出してみると、なぜかいつも「妬まれる」ことが不安でたまりませんでした。

周囲の人に妬まれるほどの容姿や才能があるわけでもないのに。

誰かに何かいいことがあるとそれを妬むような人びとの集まっているところで成長すれば、成功することを恐れる人が出てきても不思議ではない。ことにそれが親である場合は、成功すると見捨てられる、憎まれると感じて、無意識に成功を避けてしまうということがあろう。

『自分にやさしく生きる心理学 やっとつかんだ私の人生』Kindle版 位置No.451


そう、私は「成功したら、幸せになったら、母に妬まれるだろう」ということをものすごく恐れていたのです。

「幸せになるのが怖い」はいかにして形成されたか

私の母は学歴と容姿に対するコンプレックスが尋常ではありませんでした。

学歴に関しては、私に勉強をさせ、成果を出させることによって「優秀な子を育てた母は偉い」と思うことで劣等感を晴らしていました。

「あなたの教育がよかったのよ」とさえ言われれば母は大満足なので、「他人に自慢できればできるほどよい」という仕組みです。

比較的シンプルでわかりやすかったように思います(これはこれで超辛かったですが)。


一方、「容姿」については、

・世間から「おたくの娘さん、素敵ね」と言われるようにしろ(世間体)
・しかし、美しくなってはいけない(妬み)

の矛盾した二つの要求を同時に突きつけられていました。


母自身がかなり太っていたこともあり、また(25歳でも行き遅れと言われた時代において)なかなか結婚できなかったこともあり、母は容姿に関する劣等感をかなりこじらせていたように思います。

その劣等感からか、母はしばしば、美形の人たち(身近な人から芸能人まで)に対して批判的でした。

性格的に合わないところもあったのでしょうが、美形の親戚のことを「ブス〇〇」と陰で呼ぶ(私にもそう呼べと強制してくる)など、どうやら「美形であること自体が気に入らない」ような印象でした。

また、近所に若いお嫁さんが嫁いできた、というだけでやたらめったら不機嫌になっていたこともあります。

また、私自身は父に似て太らない体質なので、ことあるごとに「あんたはいいね。お母さんがあんたのスタイルだったら男を手玉にとりまくるのにね。こんなにスタイルよく(←ただ痩せているだけ)生んでやったお母さんに感謝しなさい」などと愚痴っぽく言うのでした。

容姿そのものよりも、「十分に愛されなかったこと」に対しての怨恨だったのだろうと思います。


そんな母の姿を目にしているうちに、私の中には「きれいになったら母から憎まれるのではないか」という不安が生じました。

子供の頃はそこまで気にしていなかったのですが、思春期に入ると、「女性として成長していく」ことが怖くてたまりませんでした。

だから高校生の頃は、おしゃれしたくてたまらないのに、なるべく少年っぽい格好をしていました。

母は「またそんな男みたいな格好して!」とは言うものの、いざ私がおしゃれすると、そっちのほうがよほど気に入らないのです。
「色気づいて気持ちが悪い」などと言うのです。


で、この「きれいになるのが怖い」問題が、冒頭で紹介したような「大事な場面でなぜか失敗する」にどう結び付くかといいますと……。

一見別の事柄に見えるのですが、根っこは同じなんです。

結局のところ、「幸せになるのが怖い」んです。

きれいになったら、より多くの男性から声を掛けられるかもしれない。
すると、幸せになる確率が上がるかもしれない。

有名な学校に進学したら、より世界が開けるかもしれない。
何らかの才能が開花するかもしれない。
すると、幸せになる可能性が高くなるかもしれない。

幸せになってしまったら、母は私を妬むだろう。
そして機嫌を損ねるだろう。
母の機嫌を損ねれば、私はまた傷つけられるだろう。
その結果、私は今よりももっと不幸になるだろう。


私の場合は結局、「成功することによって、(母の妬みにより)最終的には今より不幸になること」が怖かったんですよね。

傷つけられるといえど、こちらももう大人ですから、たかが知れているはずなのに。
子供時代の「母の機嫌を損ねるとひどい目に遭う」というルールのままで生きていたのです。

それほどまでに、子供からすると、「親の機嫌を損ねる」ということは怖いことなんですね。

まあ、下手したら死につながりますものね。
生命を維持するための反応なんでしょう。

 

私の心の中には、「自分が何か楽しい経験をすると周囲の人に受け入れられない」というメッセージが日々送り込まれていた。私にとって、楽しい経験は脅威となった。
『自分にやさしく生きる心理学 やっとつかんだ私の人生』Kindle版 位置No.416

 


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ストッパーの存在に気づいただけでとりあえず「よし」と思う

あれほど「幸せになりたい」と思いまくってきたのに、心の奥底では「幸せになるのがこわい」だったなんて。

途中までは「幸せになりたい」が機能していていうまくいくけれど、本当に手に入りそうになると「こわい」から最後の最後でありえないような失敗をしてしまう、ってことだったのですね。

改めて文章にすると「何やってたんだ、私」という感じですが……。

生育環境は選べないので仕方ないですが、せめてもうちょっと早い段階でこのカラクリに気づいていたらなあ、と思ってしまいます。

気づいたからといって、今後、幸せになれるかはまた別の問題ですが……
ストッパーは驚くほど強固ですからね。

でも、少なくとも「ストッパーがある」ことを認識できたのは良かったのかな。


つづく

本記事では私の体験を書きましたが、本書では、著者の体験が書かれています。
壮絶な父子関係に胸がヒリヒリしつつ、共感できるところも多々ありました。

長くなってしまったので、次の記事につづきます(予定)。