自己肯定感を安定させたくて『「会社行きたくない」と泣いていた僕が無敵になった理由~人間関係のカギは自己肯定感にあった~』という本を読み始めました。
(本書の全体的な感想>>>自分を否定することは、自分自身も「敵」になってしまう|『「会社行きたくない」と泣いていた僕が無敵になった理由』)
気づかされることが多く、本書を読んで考えたことをすでに何記事かまとめています。
・ 自分を満たすために他人を使うのが「ワガママ」
・「絶対に謝らない人」も、実は劣等感が強すぎるのかもしれない
・「他人にOKを出す」とは? - その人と戦わないということ)。
(メイン内容は自分の頭で考えたことですが、本書を参考にしているので)あんまり書きすぎてもネタバレになっていけない、と思っていたのですが、書かざるを得ない気づきがあったので、記事にしています。
私は「人の感情の面倒をみていた」から人間関係が億劫で仕方がなかったという話です。
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人の機嫌をとることが人生の目的になっていた!!!
カウンセリングをしていると、「人の機嫌をとること」が人生の目的となってしまっている人によく出会います。
たとえば、それが母親だったとします。イライラしている母親を見て、いつもその感情の面倒を見ようとしてしまいます。
「お母さん、どうしたら怒らないでいてくれるかな……?」
「どうしたら機嫌がよくなるかな……?」
そして、そのまま大人になって、
「上司がイライラしてる、どうしたら怒らないでいてくれるかな……?」
『「会社行きたくない」と泣いていた僕が無敵になった理由~人間関係のカギは、自己肯定感にあった~』Kindle 版 位置No.1440
私のことじゃないか!!!
他の記事でも書いていますが、母の機嫌を取らないと、大変な目に遭う環境でした(>>>【毒母体験記】母の機嫌を損ねると「あんたを置いて出ていくんだからね」)。
命がかかっていた(と幼児だった私は感じた)ので、ご機嫌取り自体は(あの環境では)仕方がなかったとは思うんです。
問題は、この「ご機嫌取り」が大人になってもなお、対人関係における基本パターンとして身についてしまったこと。
不機嫌そうな同僚や、イライラしている先輩・上司に対して、「どうしよう、怒ってる、こわい、私がどう動いたら機嫌を直してくれるのだろうか」と思考をめぐらせていました。
職場に1人でも機嫌が悪い人がいると、ご機嫌取りのことで頭がいっぱいになり、目の前の仕事が手につかないのでした。
でも、そもそもの基本状態がムスッとしている人なんかは、こちらがどう動こうが、ムスッとしたままですよね。
だれに対しても不機嫌か、あるいは単純に表情が乏しいだけ、単なる不愛想という場合だってあります。
以前の私は、それを正確に把握できていなかったので、「こんなに気を遣ってるのに、まだ怒ってる!!!どうしよう!!!」と余計に慌てていました。
「気を遣っているのに、ムスッとしたまま」という状態は、私にとってはものすごく堪えたんですね。
無意識のうちに「母の機嫌が直らない=自分の死」という構図を引きずってしまっていたからだと思います。
冷静に考えれば、相手がどんなにムスッとしていようが、命を取りにくることなんてそうそうないのですけどね。
怒っているのは相手の都合による
相手は、相手の都合で勝手に怒っているのです。勝手に機嫌が悪いのです。
その怒り、きっとアナタのせいではありません。たまたまそこにアナタがいて、その矛先になっただけです。
そしてアナタは、アナタの都合で不安になっているのです。不安の多くは過去の投影であり、そのほとんどは自分の内面の問題です。
『「会社行きたくない」と泣いていた僕が無敵になった理由~人間関係のカギは、自己肯定感にあった~』Kindle 版 No.1540
そうなんですよ……。
子ども時代のことを考えると、そもそも母は被害者意識満載の人。
母自身の劣等感をはじめ、父や祖父母との不仲・揉め事、いろいろ事情が混ざっていたのだろうと思います。
でも、目の前にいて、一番当たりやすかったのが私なんです。
ちょっと脅せばすぐ動揺するから、八つ当たりのしがいもあったのでしょう。
いい「はけ口」だったに過ぎないんですよ。
実際私は、「はけ口」としてそれなりに機能したのでしょう。
その結果、「ご機嫌取り」がある種の成功体験になってしまったのかもしれません。
だから、大人になっても、うっかり続けてしまったのだろうと思います。
相手の怒りを除こうとしなくてよい
彼らには怒る権利も悲しむ権利もあるのです。だから、アナタがそれを取り除こうとしなくていい。
『「会社行きたくない」と泣いていた僕が無敵になった理由~人間関係のカギは、自己肯定感にあった~』Kindle 版 No.1550
そうなんですよね……。
これ、幼児のころに教えてもらいたかったです……(無理か)。
相手の怒りを取り除こうとするから、疲れるのですね。
だって、相手の感情は相手のもので、こちらには本来どうすることもできないものだから。
「怒り」とは「その人の正義」なので、「怒らないで……」「怒るな!」と、「怒り」を取り除こうとすることは、その人を「否定」することと同じです。だから、なんとかしようとするのはやめておいたほうがいい。
『「会社行きたくない」と泣いていた僕が無敵になった理由~人間関係のカギは、自己肯定感にあった~』Kindle 版 No.1550
これは私自身が反省すべきところでして。
不機嫌な人にご機嫌取りをするって、「あなたがムスッとしていると私が不安でたまらないから、やめて」ということですよね。
私が困るからやめて、ということ。
これはこれで、こちらの不安の解消を相手に押し付けてしまっていますよね。
そう考えると、だいぶ反省です……。
特に、素の表情が不愛想な人からすれば「ただ普通の顔をしているだけなのに、そんなに機嫌とられても……」という感じで戸惑ったでしょう。
私自身の不安を、自分で解消できていなかったんですね。
その代わりに、相手の感情をコントロールしようとしていた、と捉えることもできます……。
相手をコントロールするなんて、一番やりたくないことなのに。
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相手の感情の面倒を見ようとするから人間関係が億劫に
無意識のうちに、相手の感情の面倒をみようとしていた(=ある意味、コントロールしようとしていた)からこそ、人間関係が面倒・億劫に感じていたのだと気づきました。
相手の頭痛や腹痛を代わってあげることができないのと同じで、相手の感情もこちらには、本来どうにもできないものですからね。
どうにかしようとするほど、どうにもできないという徒労感に襲われるだけ。
そりゃあ、人間関係自体が億劫・面倒なものに感じますよね。
できることは相手の怒りへの「共感」だけ。
「あなたの立場なら、腹も立つよね」と。
(参考>>>「共感」はすれど、「同意」はしなくてもいい - 「あなたの立場なら、そう思うよね」)
とはいえ、私のご機嫌伺いクセは、ほぼ「反射」でやってしまうので、すぐにどうこうできるものでもない気がしています。
いやはや、まだまだ今後の課題があるなと思いました。
おわりに
・「親の顔色をうかがう→他人の機嫌をとる」パターンになっていないか
・相手には怒る権利も悲しむ権利もある
・「機嫌直して」は「私が困るからやめて」ということ
・自分の不安を自分で解消できていないからこそ、相手の感情をコントロールしようとしている
・相手の感情の面倒を見ようとするから人間関係が面倒になる
・怒っている相手に対して唯一できることは「共感」
参考文献
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