ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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〈AC回顧録・小学生〉お風呂は2~3か月に一回あればいいほう(シャワーもなし)→「私は汚い」という自己評価が大人になっても抜けない


過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。

私の母はセルフネグレクトの傾向があり、母自身がめったに風呂に入らず、子どもである私も入れてもらえませんでした。
そこから「私は汚い」という観念を強めてしまった、という話です。


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セルフネグレクトぎみで風呂にもあまり入らない母

私の母は、家事全般が苦手で、汚部屋の住人でした。

身だしなみに関してもセルフネグレクトの傾向にあり、お風呂にほとんど入らない人でした(ただし人の目につきやすい服だけは洗濯していた)。

肥満体型の母からはいつも汗の発酵したような、酸っぱい臭いがしていました。

母自身があまりお風呂に入らないのですから、子である私もお風呂に入る頻度は当然低くなります。

祖父母と同居していた時期はあるものの、基本的に接触を禁じられていましたから、祖母と一緒に入るという選択肢もありません。

父の帰宅も夜中でしたし、幼少期の私にとっては恐ろしい存在(>>>たとえしつけでも、叩かれた記憶はいまも心に影を落としている)でもあったので、父とお風呂に入るという選択肢も現実的にありませんでした。

お風呂に入れない私は汚い

私が通っていた幼稚園では、当時は珍しかった温水プールがあり、冬場でも水泳の授業が週2~3回ありました。

授業前後でシャワーを浴びたり消毒液に浸かっていたおかげで、「くさい」などと言われることもなく、幼稚園は無事に過ごせたのですが……
小学生になると、汚さをごまかせなくなり始めました。

さらに時同じくして、祖父母との同居を解消したため、母のセルフネグレクト傾向はますます加速。

引越し先は築年数の古い平屋でしたから(>>>汚部屋がつらい)、ボタン一つでお湯が沸くわけでもありません。

ガスの元栓を開いて、タネ火にして……と操作が複雑だったのと、一応火元のことなので、子どもが沸かすのは難しかったのです(シャワーもなかった)。

操作自体の難しさよりも、私がお風呂に入りたがると、母の機嫌を損ねる(ダラダラしているのを責められると思うらしい)ということが一番のストッパーになっていました。

しかし、しばらくお風呂に入れずにいれば、当然、身体が垢にまみれていきます。

もちろん自分でも「私、汚いよな……」と気づいていたのですけど、母に訴えたところで嫌な顔をされたり機嫌を損ねるだけなので、「まあ、他人からは気づかれないだろう(ことを祈る)」と現実から目を背けていました。

みんな、知らん顔してくれていたのだと思う

いやでも、大人が見たら絶対わかりますよね。

その証拠に、同級生のお宅に遊びに行ったときに、そこのお母さんがお風呂に入れてくれたことが何度かありましたから(今思うと感謝しかないです……)。

そのときに着ていた下着を同級生のお母さんが洗ってくれたこともありました。
同級生のお母さんがやんわりと母に伝えてくれたようですが、母は反省するでもなくむしろ
「あんた汚い下着履いてたんでしょう!! ああっ恥ずかしい!」
と私に言い放ちました。

あれは恥ずかしくて悲しかったですね……。
私だって汚いのは嫌ですよ……。
みんなみたいに毎日お風呂に入りたいですよ……。
髪からシャンプーのにおい、漂わせたかったですよ……。

でも、お風呂に入りたいと言うと、イヤそうな顔をするのは母なのに……。

たとえ小学校低学年でも、健全な子どもなら、自分でなんとか改善しようと行動できるのかもしれません。

しかし私の場合は、「母の機嫌を損ねない」ことが第一優先事項になってしまっており、自分の意志とか考える力とか行動力とか、そういうものを全て削がれていました。

いろんな場面で「私は汚い」と思う

こうして学校生活を送っていると、ふと「私は汚いんだ……」と思わずにはいられない場面が出てきます。

クラスメイトの髪からいい匂いがするとき。
靴が臭いと言われたとき。
フケがすごいよと指摘されたとき。
鏡に映る自分の膝が垢まみれだと気づいたとき。
足の裏が発狂しそうなほどかゆいとき。

一瞬の、でも、深い深い絶望でした。
「私が汚いのは、私が一番わかってる、でもどうにもできないの……うちはお風呂に入れないシステムだから……」という気持ちでした。

楽しい時間があっても、いいことがあっても、「でも私は汚い」が打ち消すのでした。

色白なのでパッと見には目立たなかったのか、あるいは単にクラスメイトが見て見ぬフリしてくれていたのか、いじめに遭うことはなかったので、それは本当に運が良かったと思います。

私自身が最も私を「汚い……」と思っていたような気がします。

大人になっても「私は汚い」が抜けない

この「私は汚い」という気持ち、大人になってきちんと毎日シャワーを浴びるようになってもなお、私から離れませんでした。

たとえば男性から好意を持ってもらったとしても、「この人、私が汚いってこと知っているのかな?」などと思ってしまうのです(もう物理的には汚くないのに)。

「こんな汚い私を良いと思うだなんて、何か裏があるのかな」とまで疑ってしまい、好意を素直に受け取ることができませんでした。

他の要因も多々ありますが、お風呂にあまり入れなかったことによって、私の自己肯定感はかなり下がってしまったのだと思います。

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親を反面教師に

誰も見ていなくても、身だしなみには気をつけようと思う

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セルフネグレクト気味の母と長年同室で過ごしたことで、基準がおかしくなってしまっていました。

セルフネグレクト状態が普通になってしまっているので、そこを基準にすると、普通の「身だしなみを整える」ですら、けっこう頑張っていることになるからです。

「普段手を抜いていても、人と会うときだけ頑張ればいいや」と思ってしまいがちですが、普段手を抜いていると、いざというときに頑張れないのですよね。
筋肉がないのにいきなり激しい運動をしようとしてもうまくできないのと同じで。

これ以上「私は汚い」という悲しさに襲われなくて済むよう、年齢を言い訳にせず、身だしなみには気をつけたいと思います(重荷にならない範囲で)。

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