AC回復のきろく

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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〈AC回顧録・20代後半〉実家を出ても……不仲の両親が揉め事を起こさないか心配【機能不全家族】

母への嫌悪感に気づいてから絶縁に至るまでの出来事を見つめなおしています。>>>記事一覧)。

就職のために実家を出ることになったとき、当時の私は、ホッとする気持ちよりも、「あの人たち(親)は私がいなくなったら何か事件でも起こすのではなかろうか」という恐怖感でいっぱいでした。

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常に両親不仲問題

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物心ついたときからすでに両親不仲激しい夫婦喧嘩は子にとっては身を切られるような思い、どんどん悪化していき両親の不仲がつらい - 母が描いた藁人形的な落書きにゾッとした、家庭内別居の状態でした。

完全な家庭内別居ならまだマシで、廊下などで遭遇すればもめごとが起こるような有様。

なぜ離婚しないかというと、母にしてみれば「離婚=恥」的な思い込みが強かったのだろうと思います。
子どものころから「あんたのために離婚しないであげたんだから」と何千回も聞かされましたが、まあ、母自身のためというのが第一だろうと思います。
常にセルフネグレクト気味で生活能力がないお風呂は2~3か月に一回入れればいいほう(シャワーもなし)ため、経済的な自立など完全に困難な人ですし。

逆に父のほうは、離婚すれば母の重さが私に完全にのしかかることをわかっていて、耐え続けてくれた面は大いにあると思います(父は恩着せがましいようなことは言わなかったのでので余計にそう感じる)。

はからずも就職で実家を出ることに

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「いくら仕事のためとはいえ、あの不仲の両親を置いて自分だけ出るわけにはいかない」と思っていました。

必要な会話すら、私を通して行われるのですから不仲な両親の連絡役で貧乏くじ)。
そもそもの日常生活が成り立つとは思えませんでした。

なので、はじめは実家から通える範囲の会社を受けていました。

しかし、就職するのが嫌で嫌でたまらないとグダグダしているのが先方にも伝わったのでしょう、受かる気配が一向にありませんでした。

しだいに追い込まれ、「もう選べる状況じゃないぞ」となり。
なんとかたどり着いたのがこの試験(→就職試験の真っ最中に「母のことが絶対的に嫌い」と気づいてしまったでした。

内定が出たはいいものの、勤務地が全国各地(海外もありえる)なので、社員寮に入ることになりました。

そう、はからずも、実家を出ることになったのです。

本来ならば実家を出ることは母が許さなかったでしょう。
なんだかんだとわめき散らして阻止しようとしたはずです。

しかし、①実家から通える会社には受からず、②もう就活の期限がなく、③入社する会社が有名だった、この3条件が揃い、さすがに母も反対しませんでした(娘がフリーターになることのほうがよほど耐えられない人)。

まあ母は、世間に自慢できるかどうかがすべてなので、おそらく有名な会社かどうかだけが重要だったんですよね、今思うと。

有名な会社であれば「うちの娘、〇〇で働いてるのよ」と周囲に自慢できるのでそれで満足なんですよ。

何か事件が起こるのでは、と不安だった

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実家を出ることになったからといって、ホッとするような気持ちは当時の私にはありませんでした。

「こうして私が仕事をしている現在、また両親が何かもめているのでは?」
という懸念事項が常に頭にありました。

揉める程度なら放っておけばいいのですが……「何か事件に発展したりしたらどうしよう」という恐怖感がありました。

私が子どものころから、激しい夫婦喧嘩すさまじく、父はなんとか手が出ないように耐えていたのがわかる有様でしたので……
「私がいないことで、父の手が出てしまうのではないか」
あるいは
「父のほうが参って自ら……なんてことがあるのではないか」
と心配でたまりませんでした(母には反省という概念自体がないので、自ら云々はまずない)。

どんなに忙しくても「次の休日は実家に帰って様子をみなければ」と思いました。
平日は仕事、休日は親の機嫌取り。
忙しいばかりで楽しいことが一つもなく、相変わらず見えない足かせをつけていました。

せっかく実家を出られたのに、この段階では、心の距離はまったくとれていなかったのです。

今思うこと

親の問題を自分の問題だと考えてしまっていた

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何か気に入らないことがあるたびに「あんたのせいでこうなった」と母に言われてきました。

母からすれば単なる八つ当たりというか……ガス抜きだったのだろうと思います(他社の気持ちがわからない&空気が読めないので、「どうして今それ言うかな」を言ってしまう人)。

しかし、私は素直な「いい子」でしたので、母の言葉を真に受けてしまいました。

両親の不仲は「なぜかわからないけどわたしのせい」と思い続けていました。

「私が完璧な人間であれば、お母さんもこんなにこんなに不満ばかりでなくてもっと幸せだったかもしれない。お母さんが幸せそうならお父さんも機嫌を悪くしなかったかもしれない」と。

「私が誰もが認めるほど有能なら、お母さんもわざわざ近所の人にマウンティングしなくても済んだかもしれないのに」と。

実家を出てもなお、そう思っていました。

でも、今ならわかるんです、「親の問題は親の問題」と。

基本的に、父も母も、悪いところにばかり目がいく人々でしたから、そもそもが不機嫌&不満なんですよね。

さらに、夫婦間でコミュニケーションが全くとれないこと、それ自体が問題の本質であり、私は何も悪くないんですよ。

ただ、母からすれば私に八つ当たりしやすかった。
子どものせいにしておけば、「自分(母)は悪くない」と思えるので都合がよかったのでしょうね。

いいように「はけ口」として利用されているということ、それに気づいていれば、「私のせいで親がもめる」なんて思わずに済んだのにな、と。

「あの人たち自身の問題」としっかり境界線を引けたのにな、と。

まあ、子どものころから母に干渉され続けたことが大いに影響しているので、私は私で精いっぱいの結果だったのですが……。

きちんと境界線をひく

親子関係に限らず、人との境界線があいまいだと、巻き込まれやすいですよね。

相手の気持ちを考えることは大事ですが、それと同じ重みで自分の気持ちも考えることを忘れてはいけないのだと改めて思っています。

毒親育ちだと、自分の気持ちに目を向けること自体「わがまま」と言われてきているので結構難しいのですが。

でもね、「わがまま」って指摘してくる人って、その人のほうがわがままだったりするケースも多いのですよ(関連>>>自分を満たすために他人を使うのが「ワガママ」)。

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