足かせは外すことにした

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

自分の正しさを証明せずにはいられない理由

必死で正しさを主張する人

私の父には「自分が正しいということを証明したい」ようなところがあります。

別にこちらは疑ってなどいないのに、必死で、目を見開いて、「自分は正しいのだ」という内容のことを主張してくるんです。
何かの議論中に論破してくる(攻撃)、というよりは「自分が正しいということをわかってほしい」といった感じなんですね。

子どもの頃は「わたし、べつに疑っていないのに、お父さんはなぜこんなに必死なのだろう?」と疑問に思ってきました。

疑問に思いつつも、「しかしここで口を挟んだら余計に話が長くなるぞ」と思って「ふんふん」と聞いてきたのですが。

本を読んでいたら、父が必死で「自分の正しさ」を主張する理由を思いがけず発見しました。

猜疑心の強い親に育てられた人は、大人になっても他人は自分を常に疑っていると感じてしまう。そこで、絶えず他人に向かって自分の正しさを証明しようとする強迫を感じる。他人は自分を信じているのだから、何も言う必要がないのに、必死で弁解する。

加藤諦三『自分にやさしく生きる やっとつかんだ私の人生』Kindle版 位置No.1769


なるほど、父は絶えず「自分は疑われている」と感じているんですね。

実際、父が本当に心からの善意でやったことが、なぜか「悪意のもと」と誤解されて、むしろ状況が悪化する、というようなケースはいくつか見てきました。

たしかに父は一見、好き勝手やっているように見えるんですね(私もずっと「父はそういう人だ」と思っていた)。
でも実は、父なりに「自分がどう動いたら全体が最適化するか」みたいなことを考えているようなんですよ(実の娘である私も最近になってやっと気づいた)。
意外と滅私の人だったんですよ。

父の場合は、「このように考えて、これが全体としてはベストだと思うから」と穏やかに説明(※)すればいいのに、その説明を完全省略した上、いきなり「自分は正しい」と高圧で主張するから、誤解されるのだろうな、と考えていますが。

(※ 「説明」と「言い訳」を混同してしまっている模様。父は「言い訳」をやけに嫌悪している)

父の育った家庭では、父だけが病弱な頭脳派で、祖父などは武闘派の人間でしたから、何か説明しようとするたびに「言い訳だ!」と叱責されてきたのかもしれません。


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自分が価値ある者だと証明したかった

私自身のことを振り返ると、「正しさを証明したい」よりも「自分が有用な人間であることを証明せねばならない」のほうでしたね(似てるけど)。

そして、「自分は価値なき者とみなされている」と思っているときほど、「自分が!自分が!」と焦ってしまっていました。

あからさまな「自慢」まではいかずとも、「私はこんなことができるんだよ~」的な内容をあえて会話に滲ませたりしていましたね。

価値なき者とみなされていると感じるからこそ、「挽回しなくちゃ」「私の有用性を知ってもらわなくちゃ」という感じだったんですよね。
じゃないと、「この世界からはじき飛ばされる」と思っていたから。

冷静に考えれば、現代日本においては「おまえ無用だからどっか行って」という権利を行使できる人はいないのにね。

子供時代の「親に気に入られなかったら捨てられる」が変形して「有用な人間でなければこの世界からはじき飛ばされる」になっただけのことでした。

結局、「親に認めてもらえない」→「自分でも自分を認められない」→「周りに認められることで安心したい」ということなんですよね。

たとえ周りに認められたとしても、それは一時は満足できるかもしれませんが、本質的には自分と向き合うしかないのでしょうね。


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おわりに

親に認められなかったことは残念ですが、親にそういう能力がなかった以上、(気分的には仕方なくないですが)仕方ないのですね。
自分で自分に(認めるのは無理でもせめて)納得するというか、「まあ、これはこれでアリ」くらいになると楽になるのかな、と思います。
自分と仲直りするというか。

参考文献

加藤諦三『自分にやさしく生きる心理学 やっとつかんだ私の人生』Kindle版