私は加藤諦三さんの本を読み、生き辛さの原因に気づかされました。
📘機能不全家庭出身の私が人生を変えるきっかけとなった一冊『大人になりきれない人の心理』加藤諦三
本記事で紹介するのは、この本👆よりも前の1985年に出版され、タイトルが秀逸すぎるこちら。
愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP文庫
- 作者: 加藤諦三
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2014/11/14
- メディア: Kindle版
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※当ブログの各記事の引用ページ数は、単行本のものであり、文庫版とは対応しておりませんが、内容自体は大きくは変わらないと思います。ご容赦ください。
苦しいとき、このタイトル「愛されなかった時~」が目に入って、その都度手にとらずにはおれませんでした。
何度か通しで読んだあと、詳しく読んで感想をまとめていったところ、かなりの記事数になってしまったので、まとめページです。
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どんな本?
「愛されなかった時どう生きるか」とは、言い換えると「愛されないことによって生じた心の不安や葛藤をどう処理するか」ということ。
なお、本書でいう「愛されない」とは、周囲にとって都合のよい子であった時のみ「よい子」として受け入れられてきた、ということを指しています。
さきに「どう生きていくか」の結論をいうと「ありのままの自分を認めて、自然体で生きていくしかない」ということ。
「いやいや、それができないから困っているんじゃい」と思われるかもしれません。
ですが、本書を最後までしっかり読みこむと、「まあ、そういう方針になるわな」と思うようになりました。
著者自身も不安や葛藤に苦しんでこられた方なので、一人きりじゃないような気がして励まされる本です。
愛されないで育つと、人間関係に苦労しがち
子ども時代、親の気に入るように振る舞わねばならなかった人は、成長するにつれ、いろいろと問題が生じます。
具体的にどんな問題が生じるかというと、「人生全般、とくに人間関係がうまくいかない」こと。
人生がうまくいかない
親に「借り」を作りたくない(作ればその何倍も要求される)ので、どうしても防衛的な生き方になりがち。
とにかく失敗を避けたいので、挑戦できず、人生が狭まっていきます。
不快に異常にとらわれてしまう一因→幼児期に不快を取り去ってくれる人がいなかった
人間関係がうまくいかない
そもそものスタートが「親に迎合する」なので、それ以外の人間関係の構築法を知らないわけです。
他者から少々軽んじられようとも、軽んじられること自体に慣れてしまっているので「まぁこんなもんか」と、受け入れてしまう
→いつの間にか支配的な人や、利用しようとするずるい人が集まってくる
→ますます嫌な思いをする
→さらに人間関係が苦手に
他人より優れていることにこだわるのは安全が確保されていないから
親切にしているつもりなのに好かれないのはなぜかー実は他人に関心をもっていない
諸悪の根源は、本来の自分でいられなかったこと
なぜこのような苦しい人間関係しか構築できないかというと、その発端は、親に愛されなかったことにより、本来の自分でいられなくなってしまったこと。
確かに、子どもの頃は親に迎合しないと生きることができませんでした。機嫌を損ねてごはんをもらえなかったら本当に死んでしまいますものね。
これに関しては複雑な気持ちでいっぱいですし、仕方なかったと割り切れるものでもありませんが……
ただ、今から過去に戻れるわけでもなく、その当時の親を変えられるわけでもないのですよね……
となると、現時点での問題は、大人になっても他人に迎合するスタイルが続いてしまっている、ということ。
✅毒親育ちの苦しみの本質的原因は「本当の自分を忘れてしまったこと」
じゃあ、どう生きていこう?
不当な要求を断る
まずは、これまでつい受け入れてしまっていた「不当な要求」をとにかく断っていくこと。親であれ、他人であれ。
ものすごく怖いと思いますが、この不当な要求に屈している限り、いつまで経っても毒の盛られたものを食べて体調を崩し続けているようなものであり、負のループから抜けることができません。
💥罪悪感に負けて不当な要求をのんでいると習慣になってしまう→犠牲を払ってでも断る必要がある
この、不当な要求を断るプロセスにおいて、毒親やずるい人たちは罠をかけてきますので、それに引っかからないように大注意!!!
🚫毒親と「話し合う」のが無意味な理由ー彼らにとっては「話し合い=命令」だから
「そうは言っても、罪悪感が大きすぎて身動きがとれないよ」というのも「あるある」です。
私自身もここまで、ほぼほぼ罪悪感との闘いでした。
ちょっと厳しいですが、罪悪感は良心から発出しているのではない、恐れや依存心が形を変えたもの、と著者はいいます。
(厳しめ)親に対する罪悪感の正体 ―― 良心ではなく「依存心のあらわれ」 - 親の呪いを解いて自分の人生を生きる
私自身も、(そんなつもりはなかったのですが)心のどこかで、まだ”誰か”に幸せにしてもらおうとしていることに気づき、反省しました。
自己受容型の人とつきあう
害となる人間関係から離れたらどうするか。
愛されなかった人は、自己受容している人とつきあうとよい、と著者はいいます。
なぜかというと、自己受容していないと、他者受容は難しいから。
未熟な親は、そもそも親自身が自己受容できておらず、その分を子で埋めようとするから、子に完璧を求めたわけです。
それで私たちは壊れてしまったわけです。
これ以上、壊れないようにするには、ありのままで生きていくしかない。
ありのままで生きていくには、完璧を求めずにいてくれる人とつき合う必要がある。
じゃあ、自己受容できている人って、どんな人だろう???
なんたって、親をはじめ、自己受容できている人の実例が周りになかったので、「どの人が自己受容している人なのか判断がつかない」のですよね。
本書で挙げられていた例はこちら。
✨愛情不足で育ったひとがつき合うべき「自己受容している人」の特徴3つ
だいぶ先の目標ですが、最終的には自分自身もこの「自己受容できている人」になりたいものですね。
ただし、「自己受容できている人」にすがってしまっては本当の回復とは言えないでしょう(すがる=依存心のあらわれ、なので)。
ですので、基本的には「自分で自分の安全基地をつくる」というのが、大事だと私は思っています。
(本書とは別の本になりますが、安全基地の作り方などはこちらの本も参考になります👇)
【本】3回読んだらとても腑に落ちた|『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』
ありのままの自分、自然体の自分で生きる
先にも書きましたが、機能不全家族で育つと「ありのままの自分」で生きることが許されなかったから、心が壊れてしまった。
これ以上、心を壊さないためには、ありのままで生き、人と関わっていくしかない。
でも、それがまた難しいのですよー!!
そんなときに心がけることができるのは、「目の前の人と親を同一視しない」ということ。親は子を通じて自身の恨みを晴らそうとしていたからこそ、子をコントロールしたくて必死だっただけ。
目の前の人はそもそも他人ですからそんなこと思いもしない可能性もおおいにあります(※)。
人間関係がうまくいかないのは「バカにされるまい」と身構えるから
(※ただし、周囲を下げて自分が安心したいタイプの人、つまりは毒親と同種の人もいます。親と同じようなことをしてきますので、そういう場合は離れる一択です)
ありのままで生きられれば「自分嫌い」からも抜け出せる
子にとって親は超重要人物なので、親から嫌われると自分も自分を嫌いになってしまいます。
親から疎ましがられていると同時に、子も親のことを嫌ってもいるのですが、そうすると子は生きていけないので、「嫌い」という感情自体を抑圧してしまいます。
本心を常に見て見ぬフリしているので、常に自分が自分と喧嘩しているような心持ち。
いちばんの味方であるはずの自分すら、敵になってしまっているのですよね。
そりゃあ、自分のこと嫌いになりますよね。
つまり、感情を抑圧しまくってきたからこそ、自分のことが嫌いでたまらない。
「あるべき自分」と「現実の自分」のギャップが自分嫌いを生むんですね。
ということは、この抑圧をとって、自然な状態をよしとして、そのままで生きていければ自分嫌いからも抜け出せるわけです。
自分嫌いから抜け出すには→感情の抑圧をやめて本来の自分で生きる
(本書のその他の感想)
毒親の心理分析
「わざわざ毒親の心理なんて知りたくない」と思われる方が多いかもしれませんし、そういう方はわざわざ読まなくて全然大丈夫な記事です。
一方で、「そういうカラクリだったのか」とわかるとちょっと楽になる場合もありますので、貼っておきます。
過保護・過干渉は「偽装された憎しみ」|『愛されなかった時どう生きるか』⑤
毒親が否定ばかりしてくるのはなぜかー否定は自己防衛の最終手段
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おわりに
【愛されなかったときどう生きればよいのか、総まとめ】
・現在の苦しみは、「本来の自分で生きてこられなかったこと」に起因すると理解する
↓
・誰にも人生を操作させない、と決意する
↓
・親でも他人でも、「不当な要求」を断る
※このとき、罪悪感トラップにかからないように注意
※罪悪感は良心から生じているのではなく恐れや依存心
↓
・ずるい人から離れたら、自己受容できている人とつきあうようとよい
※無理に人間関係を構築する必要はなく、自分で自分の安全基地をつくってもよい
↓
・ありのままの自分、自然体の自分で生きていくように心がける
※難しいけれども、ありのままで生きられなかったからこそ心を壊していることを思い出す
とはいっても、苦しみのさなかにあるときは、「人生を良くしたいのにできない!」と焦ってしまいがちですが、諸々の事情で本当にどうにもならないときもあると思います。
そんなときは「人生を変えられない自分はダメ」と思わず、「こんなに辛い思いをしながらもここまで良く生きてきたね」と自分に声をかけてあげるのが、一番の「急務」かなと思います。
機能不全家族から抜け出すために ほかの本のまとめ
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