当ブログの他記事ですでに書きましたが、私は加藤諦三さんの本を読み、生き辛さの原因に気づきました。
以来、自分の人生を取り戻したいと、もがきつつ自分と向き合うこと十年近く。
おかげで生き辛さは軽減し、生き方に関する本を渇望することもなくなってきましたが、最初に加藤さんの本を読んだときの衝撃が忘れられず、いまだに書店や古書店で見かけると買ってしまいます。
(書店では見かけないような古い本のみ、古書店で買うようにしています。)
本記事で紹介するのも、30年以上前、1985年に出版された本。
加藤諦三『愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学』PHP出版(1985)
アマゾンで調べたところ、単行本は見当たらなかったのですが、PHP文庫のKindle版は現在も入手できるようです。
※なお、私の手元にあるのは古い単行本のほうですので、当ブログに記載のページ番号は、文庫版とは対応しておりません。

愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP文庫
- 作者: 加藤諦三
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2014/11/14
- メディア: Kindle版
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どんな本?
「愛されなかった時どう生きるか」とは、言い換えると「愛されないことによって生じた心の不安や葛藤をどう処理するか」ということ。
なお、本書でいう「愛されない」とは、周囲にとって都合のよい子であった時のみ「よい子」として受け入れられてきた、ということを指しています。
つまり、親の機嫌をとったり、親が喜ぶようなことをしたときのみ、存在を認められた、ありのままの子供の状態で生きることを許されなかった、この状態を「愛されない」としています。
そういった、子ども時代を苦しんだ人々が、どうしたら幸せになれるか、を考える内容です。
著者ご自身が「愛されない」ことによって生じた不安や葛藤に苦しんでこられただけあって、言葉や考え方一つ一つが心に沁み入り、全てのページにふせんを貼ってしまいそうな勢いでした。
当ブログですでに紹介した『大人になりきれない人の心理』や『人生を後悔することになる人・ならない人』よりもだいぶ前の著作ですが、その分、著者の経験談も多めに語られている印象を受けました。
「この方も、とても辛い思いをされてこられたんだな……でもそれを乗り越えられたのだな」と実感すると、一人きりじゃないような気がしてきて、励まされます。
なお、本質的に大切な考え方は、加藤諦三さんのどの著作にも書かれていますので、お気に入りの一冊を繰り返し読むというスタイルでも、もちろん良いと思います。
それでは、本書を読んで、改めて考えたことを記していきます。
愛されないで育つと、人間関係に苦労しがち
子ども時代、親の気に入るように振る舞わねばならなかった人は、成長するにつれ、いろいろと問題が生じます。
具体的にどんな問題が生じるか、なぜそうなってしまうのか、は本書をご覧いただくとして(解説が秀逸すぎて私はメモを18枚もとってしまいました)、「問題」をざっくりまとめると「人間関係がうまくいかない」ことでしょうか。
やけに防衛的になってしまったり、他人の不当な要求に「ノー」と言えないとか、いいように扱われているのに関係を断てないとか。
ひどくなると自ら「奴隷的」に振る舞ってしまう人もいますよね。
このような被害者的な面がある一方で、自分より弱い者に対しては支配的になったり、要求が多かったり、という自己中心性が出る場合も。
被害者的な面が強く出るか、加害者的な面が強く出るかは、もとの気質やその時々の環境によって異なると思いますが、私はどちらの立場も経験したことがあります。
自分より強そうな人(気が強い、語気が強い、言葉がきつい、力でねじ伏せてくる、権力のある、何かしらの結果を出している、人気がある、など)には、異常に気を遣ってきました。
とにかく相手の褒められるところを血眼になって探したり、お世辞を言ったり(お世辞とバレるとそれはそれでやっかいなので、いかに本当っぽくするか、ということに頭を悩ませたものです)、相手の好きそうな話題を率先してふってみたり…。
もちろん、高圧的な態度で何か頼まれたら、嫌われるのが怖くて「ノー」なんてとても言えない。
明るい人物を装っていながら、内心ではとてもビクビクしていました。
一方で、自分より気が弱そうというか、ちょっと辛く当たっても言い返してこなさそうな人に対しては、上から目線でものを言ったり、口には出さないまでも心の中で「あの人、もう少し努力したらいいのに」などと要らぬ批判をしたりしていました(大反省)。
その当時はほぼ無意識でやっていましたが、今改めてあの時の気持ちを分析してみると「普段蹂躙されているのだから、私だってどこかでストレス発散したっていいじゃない」というような開き直るような気持ちが、どこかにあったと思います(大大大反省)。
ただ、開き直ると同時に、「蹂躙される側の気持ちがわかっているのに、他者に冷たくあたってしまうなんて私最低…」というような嫌悪感もあり、自分がイヤでイヤで仕方なかったです。
でもどうしたらいいか、わからなかったのです…。
私の場合は被害者的ポジション(強いものにヘコヘコ)が多かったですし、攻撃的な気質でもないので、端から見れば、人間関係に苦労しているようには見えなかったかもしれません。
が、その実、心が苦しくて苦しくて、仕方がありませんでした。
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諸悪の根源は、本来の自分でいられなかったこと
なぜこのような苦しい人間関係しか構築できないかというと、その発端は、親に「愛されない」ことにより、本来の自分でいられなくなってしまったこと。
健全な心をもった人であれば、ひたすら相手の顔色を伺ったり、機嫌をとるような関係はおかしい、と気付き、距離を置くなり、何か主張するなりできるのだそうです。
しかし、愛されずに育った人は、そもそものスタートが「親に迎合する」なので、それ以外の人間関係の構築法を知りません。
他者から少々軽んじられようとも、軽んじられること自体に慣れてしまっているので「まぁこんなもんか」と、自ら軽んじられることを受け入れてしまう
→いつの間にか支配的な人や、利用しようとするずるい人が集まってくる
→ますます嫌な思いをする
→辛くて仕方がない、人生がうまくいかない
という節があります(私もそうでした)。
また、愛されずに育ったからこそ、温かい心の交流というものを心の底から渇望しており、不当な関係にもしがみついてしまう、という面もあります。
私の場合は、「嫌いな人にも好かれたい」というか「自分を認めてくれていない人にこそ好かれなければならない」と脅迫的に思っていた時期がありました。
私を否定批判したり、バカにしてくるような人の機嫌をわざわざ取ったり、顔色を伺ったりしていたのです、すごく不快なのに。
この行動の元を辿ると「自分をなかなか認めてくれない親にこそ、好かれなければ生きていけない」という幼児期の体験に行き当たります。
親に認められたくて、自分を抑圧する。
それと同じことを、相手を他人に変えて、繰り返しているだけなのでした。
別の言い方をすると、他人(とりわけ私のことを低く見てくる人)に親の代わりを求めているようなものでした。
心の奥底では「親の代わりにあなたが私のことを認めてくれ」という心理だったのではないか、と思います。
冷たい人の中に、親の面影をみていたわけです。
そして、親への複雑な思いを、その冷たい人を使って晴らそうとしていたのだと思います。
こうして書き出してみると、実におかしなことをしていたな、と思いますが、当時はそんなカラクリに気づくこともなく、ただ「誰からも本当の私を受け入れてもらえない、とにかく苦しい」でした。
そりゃそうです、もともと私のことが嫌いだったり、否定的な人にばかり焦点を当てていたのですから。
愛されないと精神的に孤独なので、このように他人の承認を求めるようになってしまいます。
そして、他人に評価されたいばかりに迎合して、我を失ってしまう。
これが誤りだと著者はいいます。
確かに、子どもの頃は親に迎合しないと生きることができませんでした。
それはまぁ、仕方ない(気持ちとしては仕方なくないですが、複雑な気持ちでいっぱいですが)、運が悪かったと思い、受け止めるしかないようです。
それよりも現時点での問題は、大人になっても他人に迎合するスタイルが続いている、ということ。
幼い日、親から愛されなかった人は孤独である。その孤独の苦しみをやわらげようとして他人の承認や愛を激しく求める。そしてそれを得ようとして真の自分を偽っていく。
しかしこの苦痛をやわらげようとして、他人の承認や愛を求めることは、間違っている。
大人になってからの心の苦しみの主要な原因は、本当の自分を忘れてしまったことによる方が大きい。本当の自分を忘れてしまったから苦しいのである。
加藤諦三『愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学』PHP出版(1985)P.176-177
他人に迎合する生き方をやめて、本当の自分に戻ることが、幸せになるためには必須ということですね。
しかし、本当の自分に戻るといっても、そうすぐすぐできるものではないと思います。
そもそも、自分の気持ちを抑圧して生きてきたのだから、自分の気持ち自体がよくわからなくなっていたりもしますよね。
それでも、魔法のような解法があるわけではないのが現実の厳しいところなのですが。
結局のところ、わからないなりに、自分で自分の気持ちにしっかりと向き合うしかないのです。
ただ、完全に一人ぼっちで頑張らねばならないかというと、そうでもありません。
この、自分に戻る過程で、助けとなってくれる可能性があるのが、「自己実現している人(自己受容している人)」です。
愛されなかった人は、自己受容型の人とつきあうとよい
愛されなかった人こそ、神経症的な人間関係から離れ、自己受容している人とつきあう必要がある、と著者はいいます。
なぜかというと、自己受容していないと、他者受容は難しいから。
愛されなかった人の多くは、基本的に自己受容できていません(そもそも親自身が自己受容できていないわけですから)。
私が全く自己受容できていなかった頃を思い出してみても、自分にも他人にもとても厳しかったと思います。
良い意味での厳しさではなくて、とにかくただ文句をつけたいというような、否定的・批判的姿勢で生きていました。
自己受容できていない人が、同じような、自己受容できていない人と一緒にいると、お互いが批判し合って、ますます負のループに入り込んでいく気がします。
口に出さずとも、心の中で思っていると、なんとなく伝わるものです。
「また批判されるのでは?」と怖くなって防衛的になり、自由を失っていくと、経験上思います。
一方、自己実現・自己受容している人というのは、他人を攻撃したり批判することがありません。
自己実現した人は、たとえあなたが不安におびえるような弱い人間であっても、あなたを責めないし、固有の人格として尊重し好意を示してくれる。
そして、あなたが自然にいつかもっと強くなれる日を待ってくれる。
加藤諦三『愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学』PHP出版(1985)P.138
たまに、びっくりするくらい優しい人がいます。
ここでいう「優しい」は、表面的なものや、何か下心があっての優しさではなく、「ありのままの他人を受け止めることができる」という意味です。
こういった自己受容できている人は、愛されずに育った人にとって、親が与えてくれなかったものを与えてくれる、と著者はいいます。
「ありのままでもいいんだ!」と思わせてくれることは、ありのままで生きられなかった者にとっては、世界が一気に拡張されるような体験でしょう。
しかし、ここで問題が。
愛されなかった人にかぎって、つきあう人を間違えてしまいがちなのです。
なぜかというと、愛されなかった人は抑圧(望まない感情などと向き合わずに追い払う)を抱え込んでいるのですが、だからこそ、他人の抑圧に気づきません。
結果、同じく抑圧している人と、一見、気が合ってしまうのです。
気が合うといっても、憎しみを共有しているだけで、心のふれあいはないのです。
他者を否定することによって、自尊心を回復しようとするスタイルが同じだけ。
これもまた、私も身に覚えがあります。
ちょっと批判的な態度をとってくる人に対しては「なんかイヤだな」と思いつつも、批判的な人間に慣れていたので、どこか安心してしまうところがありました。
一方、自己受容している優しい人と仲良くなると、妙に気がひけてしまうのでした。
「こんな良い人がどうして私なんかと友達でいてくれるのだろう」みたいな気持ちです(良い人だからこそ友達でいてくれている、のですが)。
また、「こんなに素敵な人は、私の未熟さに気づいたら、去っていってしまうのではないか。彼女と友達になりたい人はゴマンといるのだし」と不安にもなりました。
素敵な人だからこそ、去られたときのダメージを想像すると居ても立ってもいられなくなり、その見捨てら不安から、なんとなく自分から距離を置いてしまったこともありました(すごく後悔しています)。
つまり、愛されなかった人こそ、「慣れているからなんとなく安心する」人を選ぶのではなくて、「自分のことも他人のことも受け止めることができる」人を選ぶことが大事なわけです(友人であれ、恋人であれ)。
本書には、「自己実現」している人の見極め方も本書に記載されているのですが、簡単に特徴をまとめると
・自分の自由(願い)も、相手の自由(願い)も大切にする
・相手の弱点に苛立たない
あたりでしょうか。
そんな観点で、周囲をぜひ見回してみてください。
(間違えることもあるでしょうが、それも必要なプロセスではないかと思います)
とはいえ、自己実現している人と遭遇し、親しい関係を作れるかというと、それぞれの事情や環境や運もありますし、必ずしも思うようにいくとは限らないと思います。
ですので、あまり「自分を助けてくれる何か」に期待しすぎることなく、基本的には「自分で自分に寄り添う」というのが、大事だと私は思っています。
自分で自分を取り戻す過程で、もし自己受容している人を見かけ、しかも先方も友達になることを望んでくれている様子であれば、いろいろ学ばせてもらおう、くらいの気持ちでいるのがいいのでしょうね。
おわりに
愛されなかったときどう生きればよいのか、について私なりに理解したことをまとめると
・まずは、自分が、軽んじられたり、ないがしろにされてきたことを自覚する。
・(仕方ない部分はあるけれども)支配されることを受け入れてきてしまった自分のことを反省する。
・そして、誰にも自分の人生を操作させないとかたく決意する。
・支配的な人間から離れる。
(※本書では、この支配的な人から離れる際の葛藤についての考え方とか、話し合い自体が無駄であることとか、本当に役に立つことが書かれていますので、「離れたいのに離れられない」と悩んでいる方はぜひ)
・自己受容している人とつき合うようにする。
・等身大の自分ときちんと向き合う。
ということかなと思います。
苦しみのさなかにあるときは、「人生を良くしたいのにできない!」と焦ってしまいがちですが、諸々の事情で本当にどうにもならないときもあると思います。
そんなときは「人生を変えられない自分はダメ」と思わず、「こんなに辛い思いをしながらもここまで良く生きてきたね」と自分に声をかけてあげるのが、一番の「急務」かなと思います。
長々と綴りましたが、本記事はあくまで私というフィルターを通したものであり、本書の魅力を全て網羅できてはおりません。
他にも引用したいところがありすぎてもどかしいです。
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