ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

ブログ整備中につき、一時的に非表示にしている記事がございます。少しずつ再更新してまいりますので、またご訪問いただけますと幸いです

「親ガチャ」について思うこと - 肯定派と否定派の違いは悩んだ時間の差ではないか

表現が適切かは置いておいて、「親ガチャ」はあると思う

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ここのところ、「親ガチャ」という言葉が議論になっていますね。

「ガチャ」という表現が適切かどうかは置いておいて、「親や、生まれた家の環境に人生が大きく左右されやすい」という現象自体は、私はあると思っています。

まあ、どんな容姿で生まれるか、健康で体力があるか、などなど、その他諸々のことも同様に「ガチャ」なのですけどね。

ただし、いろんな「ガチャ」のなかで、親の影響はやっぱりとんでもなく大きいと思うのです。

なぜかというと、子どものうちは、実質的に親に従うしかないから。

親自身が精神的に未成熟だったり、間違った生き方をしていたとしても、子どもはまず最初にそれをインストールせざるを得ないわけです、ほかにお手本がないので。

具体的にいうと、私の場合、親からインストールしてしまったもので、いまだに足を引っ張っていると感じるのが「否定的な考え・言葉が浮かびやすい」ことです。

親からしてみれば「教育」「ちゃんとさせなきゃ」くらいのつもりだったのかもしれませんが、あまりにも日常的に「あれがダメ」「ここがダメ」「アンタが悪い」と言われ続けていると、いつの間にか、否定の言葉ばかりが浮かんでくるようになります。

自分に対しても他人に対しても、常にダメ出しをしているような感じ。
息をするかのように、です。

自分のことも、他人のことも、イヤなところばかりが目につくので、自分のことも嫌いだし、他人のことも嫌いになりがち。
もちろん心を許せる友達もできにくいです。

このように、人生がうまくいかないような、力を発揮しづらいようなやり方がベースになるわけなので、人生の最初のほうからハードモードだったりします。

少なくとも「アンタはダメ」の言葉を浴びて、自己肯定感が低いことは事実です。

その後、成長とともに「あれ? うちの親おかしい?」と気づいて修正していければいいですが、それを未成年のうちにやるのはかなり大変だと感じます。

少なくとも高校生くらいまでは経済的に完全に自立するのは難しいですし、未成年のうちは何かと親の承認が法的にも必要なので、結局親の思い通りにされてしまうんです。

「気に入らないなら出ていけ」と言われてしまえば終わりですからね。
出て行っても、未成年ということですぐに連れ戻されるでしょうし。

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いじめをする人が全面的に悪いはずなのに、なぜ相手が親だったら許さねばならないのか?

私が子どもの頃はまだ、「いじめられるほうにも問題がある」という意見がけっこう存在していました。

最近は、少なくとも表面的には「いじめをするほうが全面的に悪い」と言われるようになって、いい時代になったなあ、と思います(実質的にはまだまだでしょうけども)。

この「いじめられるほうにも問題がある」論、乱暴に言い換えると
「オレ(私)に合わせられないオマエが悪い」
「オレ(私)の思い通りに動かないオマエが悪い」
「オレ(私)を不快にした(劣等感を刺激した)お前が悪い」
などということですよね。

これを親子関係にあてはめてみるとどうでしょうか。

私が幾千回も聞かされたワードだと
「お母さんの言うことを聞かないアンタが悪い!」になります。

これだと一見、問題が子のほうにあるように聞こえますが、ちょっと言葉を変えるとどうでしょう。

お母さんの思い通りにならないアンタが悪い」

実質的には「自分(母)が困る・不快」だから子に当たっているんですよね。

もちろん、子どもが悪さをして、本気で怒らねばならないこともあるでしょう。
うまくいかないことの繰り返しで、声を荒らげてしまうこともあるでしょう。

でも、毎日何時間もやっていたら、それはしつけの域を越えているのではないでしょうか。
エスカレートすれば、ある意味「いじめ」の域に入ってしまいます。

私はこの歳になって気づきました。

私は、母から、心理的ないじめを受けていたのだな、と。

冷静に、振り返れば振り返るほど、「あれはどう考えてもいじめだったよな」と思うんです。

だって、もし他人からやられていたら、「いじめ」に該当するのですから。

現在の価値観でいえば、「いじめるほうが全面的に悪い」のですよね?

なのに、相手が親になったとたん、「育ててもらっておいてガチャとはなんだ」と怒られるわけです。

たしかに、ここまで生き延びているわけなので、必要最低限の生命維持はしてもらっています。

でも。
極端な例ですけど、暴力をふるうベビーシッターに遭遇した人に「3時間は面倒見てもらったんだからさ。ちょっと殴られたくらい大目に見なよ」とは言いませんよね? すぐ逮捕ですよね?

パワハラ上司に悩んでいる人に対して「でもさ、一応部下として面倒見てもらったんでしょ? 2時間怒鳴られるくらいでパワハラとか言っちゃダメだよ」とは言いませんよね、今の時代。

なのに、相手が親になった途端、「親ガチャはけしからん」と。

個人的には「親は大事にすべき」で思考停止している人がまだ多いのだろうなと思います。

まあ、過去の私自身も「親は大事にすべき」に囚われて、親との間に線を引けませんでしたから、全然人のことは言えないのですが……。

今だって、知識が少ない分野のことや、あまり興味がないことに関して、おそらく無理解のうちに「~すべき」と勝手に思ってしまうこともあるかもなあ、気をつけないとなあ、と思います。

つまり、「親ガチャとはけしからん」と怒る人は、「親との関係について、大して考えたことがない」ということに尽きるのだろうと思います。

親のことで死ぬほど悩んできた人は、そうやすやすと「親ガチャとはけしからん!」とは言えませんものね。

「親を大事にしろ」系の価値観を押し付けてくる人に遭遇したら、「この人は親のことに関してはあんまり悩んでこなかったんだなー」くらいに捉えて、あまり言葉を真に受けなくていいのだと思います。

「親のことでたいして悩まずに済んだ、それはある意味幸福なことだよなー、この人が幸福で良かった」くらいに思えるようになれば、怖いものなしですね。

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手持ちのカードをうまく使うしかない

冒頭で書いたように、私は「親ガチャ」あると思う派です。

親のことで悩んでいる人は、一定期間、「完全に親のせいにするフェーズ」も必要だと思っています。

自分の気持ちを抑圧するタイプの人は、「親のせい」期間を経ないと、次に進めないことが多々あるからです。

ただし、ある程度気が済んだら、「持つことができなかったもの」に執着することからは卒業したほうが幸せになれるのだろうなと思っています(自戒を込めまくっています、私もまだまだ戦っています)。

親以外のことでも、人生って、かなりの部分にガチャ要素あるんですよね。
容姿、才能、人間関係、性格……その他もろもろ。

だから、手持ちのカードを、進化させたり交換しながらうまく使っていくしかないのですよね。
「あのカード、ゼッタイ欲しかったのに!」と言っているだけでは(ほんと辛いですけど)何も変わらないのですよね。

私は、家庭運に恵まれず、その影響で家庭に良いイメージがなく、おそらく自分の家庭を持つことはないでしょう。

若いころはそれがとてもつらかったです。
「家庭に恵まれなかったからこそ自分はいい家庭を」と焦るのだけれども、結局自分自身が未熟で人を信用できず、ほんとうに辛かったです。

でも今は、「親ハズレカード」はこうして文章を書くのに使っています。

ブログに書いているだけなので、「自己満」といえばそれまでなのですが、「一つのことを徹底的に考え抜いた」ということは、ほんの少しだけ自信になっています。

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