親の呪いを解いて自分の人生を生きる

アダルトチルドレン回復の記録

〈AC回顧録・小学生〉受ける予定もないのに中学受験用の塾に行くのが辛くて辛くて仕方なかった


過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。

学歴コンプレックスの強かった母に、中学受験用の塾に行かされたことがとてもつらかったという話です。

2年間も苦痛にまみれて通ったのに、結局私立中は、試験を受けることすらできず、地元の公立中に進学しました。
ただただ苦痛で、ひたすら自信を失っただけになりました。

この件は、本当にトラウマで、まだまだ恨みが強すぎて胸が苦しいです。
だからこそ書ききって、成仏に近づけたいと思います。

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とにかく塾に入れたがる母

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私の母は、私を使って「各方面を見返してやろう」という魂胆の持ち主でした。

特に勉学に関するコンプレックスがひどかったようです。

幼少の頃から、幼児教室、公文などをやらされていました(>>>ひらがなをひたすら書き続けることの虚しさ)が、小学校4年の終わりごろのある日、塾めぐりに連行されました。

実力テストも受けましたが、幸い、学校の勉強で特にわからないところはなかったので、先方からは「普通のコースだとやることないから、入塾するなら中学受験コースですね」と言われました。

先方もお商売ですから、母を調子に乗せるようなうまいことを言ったのでしょう。

気づけば私は、中学受験の予定もないのに、中学受験コースに2年間通うことになってしまいました。

この2年間は本当に辛い思い出ばかりでした。

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塾がつらくてたまらない

苦痛ポイント① ゴールが不明

母が「私立のお嬢様学校」に異常な憧れを持っている一方で、父は「勉強なんて本人がしたければ勝手にやるんだから無理にさせる必要ない、公立で十分」という考えの持ち主。

お互いに「そっちが間違っている」というスタンスなので、すり合わせる意志も皆無です。

母は、塾に通わせて既成事実を作ってしまえば、父が折れると思ったようです。「中学受験云々は伏せて、とりあえず通え」と言われました。

最後の最後まで「受けられるのか、受けられないのかわからない」という宙ぶらりんな状況のまま塾に通っていました。

苦痛ポイント② 塾に行きたくないのに行きたいフリをせねばならない

父にバレないように塾に通うとはいえ、お月謝は父に出してもらわねばなりません。
母は(たまにパートをすることはあれど)専業主婦でしたから。

「父に内緒にしつつ、お金だけ出してもらう」という完全なねじれ構造です。

「趣味の習い事」的な雰囲気でお願いせねばなりませんでした。
私が望んだことでもないのに。

本来なら父も許可しなかったと思うのですが、ちょうどタイミング的に単身赴任をしていたこともあり、しぶしぶOKしてくれました(そうしないと、父不在をいいことに母が私に八つ当たりすることを父は懸念していたのでしょう)。

許してくれたとはいえ、父は明らかに納得がいかない様子だったので、それも子どもながらに辛かったです。

「あーあ、お父さんを不快な気持ちにさせてしまった……」という罪悪感を覚えました。

一般的な家庭で育った方は、「イヤなら嫌って言えばいいのに」と思われるでしょう。

けれど、小さい頃から生存権を握られていると、「命を守る行為」が優先されてしまい、そのうち「母に背く」という選択肢自体がなくなってしまうのです。
(>>>母の機嫌を損ねると「あんたを置いて出ていくんだからね」

苦痛ポイント③ 全然わからない&先生もやる気がない

中学受験用のコースといったって、日能研や四谷大塚といった大手ではなく、あくまで個人経営の塾です。

本来、学校の授業をフォローするのがメインの塾ですから、ちゃんとしたカリキュラムもありません。
中学受験向けのテキストを取り寄せて、それを使うだけでした。

先生も、中学受験の経験がない大学生のバイトさんでした。
日々、ホワイトボードに解答を写すだけ。

それでも、本当に地頭がいい子ならなんとかなるのでしょう。
しかし残念ながら、その解答を読んだだけで内容を理解できるほどの学力は私にはありませんでした。

イヤイヤ通っている状態なので、やる気も出ません。

そんな環境で学力が伸びるわけがない。
模試のたびにひたすら自信を失っていくだけの、真なる苦行でした。

私は、ただただ解答を写経するために、2年間も、それなりのお金を払って、塾に通っていたのです。

父が一生懸命働いてくれたお金をドブに捨てていたのです。

もう、今思い出してもむなしくてむなしくてたまりません。

苦痛ポイント④ 他の子と気が合わなかった

本気で中学受験をする子は、それこそ日能研とかに通いますから、塾で一緒の子たちも私と似たような状況の、やる気のない子ばかりでした。

おそらく、みなそれぞれがストレスを抱えていたのでしょう。

何か言えばすぐにつっかかってくるような子ばかりで、なかなか会話が成り立たなかったのをよく覚えています。

勉強がつらいのだから、せめて仲良くしたいと私は思っていましたが、他の子は、「ストレスの発散先」を無意識に探していたのではないかと思います。

今振り返ると「彼ら・彼女らもキツかったんだろうな」と思えますが、当時の私も辛くてたまらなかったです。

何度「やめたい」と母に訴えたかわかりません。
けれど母は、塾に関しては絶対にやめさせてくれませんでした。

母は、塾長に頼みこんで、クラスを二つにセパレートさせるという荒業をくり出してまで、私に通塾を続けさせました。
(母は基本がクレーマ気質です>>>「うちの子は主役がやりたいんです」とすぐ幼稚園に乗り込んで行ってしまう

「〇〇ちゃんとはクラスが別になったから、もう大丈夫でしょ」と母から大変得意げに言われた時の、「そういうことじゃないんだよ……」感、あの無力感は忘れられません。

どれほど説明しても、私の気持ちは母に伝わりませんでした。

苦痛ポイント⑤ 塾に通っていることを周囲に知られてはならないという掟

母は、「勉強しなくてもできる(地頭がいい、IQが高い)」という状態を渇望していました。

「娘の頭がいい=親の自分も頭がいい」と思われたかったのでしょう。

なので、「塾に通っていることは絶対に内緒だからね!!」と私に何度も念を押しました(少し離れたエリアの塾だったので、同じ学校の子はいなかった)。

ですが、週4回くらい通っていたので、そりゃ何らかの形でバレますよね。

というか、放課後に友達と遊んでいても、塾の日は鬼の形相で母が迎えにきますから、友達だって察しないはずがないんですよ、もう小学校高学年なのだし。

なのに母は、塾に通っていることが知られると、ものすごく不機嫌になるのでした。

私にはどうにもできないことなのに、「あんたがうまくやらないせい」みたいに責任をなすりつけられるのが、本当に辛かったです。

苦痛ポイント⑥ 結局受験できず

2年間も塾に通ったのに、私立中学は受験せずに終わりました。

私立のお嬢様学校派の母と公立派の父、最後まで意見合わずでした。
それ以前に「受かったとしても、私立中の授業料が高いから通わせてあげられない」ということで、私立受験はなしになりました。

「どこも受けないのはさすがにかわいそう」と思ったらしい父が、国立の中学校を一つ受けさせてくれましたが、過去問すら解いたことがなく、面接があることも直前まで知らず、面接に着ていく服もなく。

そもそも国立大付属中学のレベルが当時の私には高すぎて、さらに自信を失う結果になってしまいました。

今になって思うこと

こうして振り返ると、そもそも「私立中に受かったとしても学費が出せない」ような家庭環境なのに、中学受験用の塾に通わせた母の見通しが甘すぎたとしか思えません。

ですが、当時の私は、「私がふがいない(=母の理想通りの子じゃない)のがいけないんだ」と思っていました。
いくら超難関でも、国立に受かればそれで済んだのですから。

でも、ですよ。
親を見てみましょうよ、と当時の私に伝えたい。

父はまだしも、あの母の血が入ってしまっているんです。
モラルゼロ、常に他人のせいにして何かしら怒っている人です。
頭の良し悪し以前に、冷静な思考能力が完全欠如している人です。

あの母から、そうそう完璧な子が生まれるわけがありません。
むしろ、あの母から生まれ、ひどい目に遭わされたわりには、私は良心をもち、だいぶ誠実に生きているはず。

もっと自分を肯定できていたらよかったのにな、と思います(あの母がいる以上無理でしたけど)。

やりたくないことをやっても、正直、あまり得られるものはないと思う

私を中学受験コースの塾に通わせたことを、母は肯定したがりました。

「あの塾があったから、高校で進学校に行けたのよ」と。

以前は私も「そんなもんかな」と思っていましたが、冷静に振り返ると、正直、何の意味もなかった、と思っています。

なんたって、解答を写していただけですから。
解答を写している時間で、本来なら他にできたことがたくさんあったはずです。

・友達と遊びたかった
・図書室で本を読みたかった
・興味のあることを調べてみたかった
・家でゆっくり過ごしたかった
・趣味をやりたかった

塾で得られたものはなく、遺ったのは恨みです。

「でも、忍耐強さは身につけたんじゃない?」そう言われるかもしれません。

しかし、私が身に着けたのは、忍耐強さというよりは、「心を殺して誰かの言う通りに動く」ということでした。
つまり、ロボットになることでした。

「心を殺す」この状態に慣れてしまうと、その後の人生においても、舵を他人に握られやすくなります。
ずるい人、支配的な人に預けてしまうことになります。

すると、ただでさえ苦労してきたのに、ますます人生がうまくいかなくなるんです。

自分の人生を生きるには、「自分の意志」これがいかに大事であるかということを、今実感しています。

母と絶縁して以来、自分の意志でものごとを選択できるようになり、「やっと私は私になれた」と思っています。

自分の意志で選べる、これほど尊いことはありません。

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