親の呪いを解いて自分の人生を生きる

アダルトチルドレン回復の記録

〈AC回顧録・幼少期〉母の機嫌を損ねると「あんたを置いて出ていくんだからね」


過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。



子ども時代の私は、何ひとつ、選ぶことができない環境でした。

だから大人になった今ですら、よそのお子さんが、「きょうはあんぱんまん着る~!!」などと声を大にして主張している姿を見て、驚いてしまいます。

子どもって、こんなふうに親に主張できるものなんだ、、、と、とてもとてもビックリするのです。

私ももっと「こうしたい」って言って良かったんだ、主張する権利はあったんだ、と愕然とするとともに、「でも現実的に無理だったよな」とも強く思うのです。

なぜかというと、私の母は、気に入らないと一日中怒り続けたり、無視する人だったから。

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母の機嫌によって生命が脅かされる日々

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私が子どもの頃、母はほとんど常に怒っていました。
父方の祖父母と同居でしたので、ストレスもあったのでしょう。

それに関しては同情しますが、母の怒りの発散先は私でした。

ちょっとでも私の言動が母の気に障ろうものなら、

「あんた、今、〇〇って言ったね!? 
あー知らない、もうあんたのことなんて知らないっ。
お母さん、あんたを置いてここを出て行くんだからね。
あんた、ここで一人で生きていくんだね?
お父さんも爺やも婆や(※)も、あんたになんか何もしてくれないよっ!?
それでいいんだね?」

(※ 「爺や・婆や」は、一般に召使いのことを指す言葉のようですが、母がそう呼んでいたのでそのまま記載しました)

と、ものすごい剣幕でまくし立てるのです。

今の私なら「どうぞどうぞ出て行ってください」と言えますが、当時はまだ幼稚園にも入っていない子どもでしたので、「イヤだ! 出て行かないで!」と泣きながら答えるので精いっぱいでした。

父は仕事で日中いませんでしたし、祖父母に対しては接触禁止令を出されていたので、実質的に、私にとっては「母がいなくなる=自分の死」だったわけです。

なお、「あんたを置いて出ていく」の時点でご機嫌取りに失敗すると、「無視」に移行します。
無視といっても、不機嫌をまき散らすタイプの無視です。
ねばねばした目でこちらをにらみつけ、目が合うと「ふんっ」とそっぽを向くやつです。
そっとしておくと余計に怒られるやつです。

「おかあさーん、、、どうしたのおーーー」と目に涙を溜めながら媚びねばなりません。
それはそれで「あんたのせいでこうなってるんでしょうっ!!」「自分の胸に手を当てて聞いてみなさいっ!」とやられるんですが……本当にげんなりしました。


脅しや無視は、単に母が私をコントロールしたくてやっていただけのことなんですよ。
母は家出するような勇気も行動力もない人ですから。

けれども、子どもだった私には「あんたを置いて出ていく」という脅しや、長時間にわたる不機嫌・無視は、とてもとてもとてもとてもとても、堪えました。
心理的虐待に相当するものだった、と感じています。

暴力を伴わない精神的・心理的虐待は、いまだに理解されづらかったりしますよね。
私の母もきっと「そんなつもりで言ったんじゃない、売り言葉に買い言葉みたいなもの」と言うでしょう。

でも、当時の私が、命の危険を感じていたことは事実なのです。

あのまま母の機嫌を損ね続ければ、死ぬ可能性があったのですから。

死にたくなければ、母の機嫌をうかがうしかなかった

この「あんたを置いて出ていく」が出ないよう、私は細心の注意を払っていました。

家庭内の揉め事自体は避けられないので、せめて最悪の事態を免れなければなりませんでした。そのためには、私が我慢するしかないのです。

だから基本的に、「〇〇したい」などの自分の願望を母に伝えること自体、ハードルが高いことでした。
洋服やら靴の好みとか、遊びたいとか、そんなことよりもまずは「安全」「命」だったのです。

もちろん、母の機嫌が良さそうなときに「〇〇したい」と言ってみたことはあります。
でも、しつこく食い下がったりしてはいけません、機嫌を損ねるから。

こうして、私は、どんどんコントロールされやすい子に育っていきました。

見知らぬ大人たちからは「聞き分けのよい子」として、随分褒められました。

聞き分けが良かったんじゃないんですよ、単に命がかかっていただけ。

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【親を反面教師に】不機嫌で人をコントロールしない

今振り返ると、不機嫌な態度で人(しかも幼児)を動かすって、本当に卑怯なやり方だなと思います。

直接「こうしてほしい」とも言わずに、「察して&動いてくれ」ということですものね。

なぜ直接言えないかというと、言うことで悪者になりたくないからですよね。
あるいは「私の機嫌とってくれ!」と主張することがわがままだと、実はわかっているからですよね。

そのわりに、不機嫌って結構有効なんですよ。
ほぼ何もせずに、少ない労力で人を動かせる。
これはやっぱりストレス解消の面があるのでしょうね。

しかし、自分のストレスを人に解消させる、これって、おおげさにいえば、いじめの構造とあんまり変わらないのでは、という気がします。

こうして書いている私も、さんざん母にやられてきた影響で、やり方をわかってしまっています(どういう人が不機嫌で動かされるか見極めがついてしまう)。

中学生のころなど、ほぼ無意識のうちにやってしまったことがあると思います(反省すぎる……)。

今は気を付けているつもりですが、それでも何かすごくストレスの溜まっているときなどに、うっかりやってしまう可能性もあるので、ますます気を付けたいと思いました。

ちなみに、不機嫌で人を動かそうとする人に対する対策は「動かない」こと。
攻撃性は出さず、あえてキョトンとしてみたり、あえて丁寧な口調で核心をつくような質問をしてみたり、「操作されないぞ」という意思を前面に出すことだと思います。

(具体例>>>穏やかで優しいまま、周囲に巻き込まれずに飄々と生きていくには

【記事作成日2021年5月5日】

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