どう考えても謝る場面なのに
どう考えてもミスしているのに、謝らない人って、いますよね。
具体的に私が遭遇したケースを挙げますと、「ドタキャンするも謝罪ゼロの人」(以降、Aさんとします)。
約束の時間を過ぎても集合場所に現れなかったので、電話してみたときのこと。
私「もう駅にいるんだけど、今どこにいる?」
A「(猛烈に不機嫌な様子で)…………今起きた」
私「えっ? 今起きた? ええと、、、じゃあどうしよ(これから行くから待っててパータンなのか? それとも今日はキャンセルなのか?)」
A「……」
私「(な、なんで無言? ここ、謝るところでは?)じゃ、じゃあ、今日はもう来られないってことなのかな?(なんで私のほうが気を遣っているんだ?)」
A「埋め合わせするから」
私「は、はぁ(埋め合わせ云々のまえに「ごめん」はないのだろうか?)」
A「じゃ」
終了。
若かったせいもあるのですが、当時の私は、「こちらが被害者のはずなのに、謝罪もなしにむしろ冷たくされた」と感じてしまい、激しくショックを受けました。
寝過ごしたこと自体は仕方ないにしても、せめて「ごめん」はないのか?と。
「ご・め・ん」って三文字だよ。言うのに1秒もかからないよ、と。
本心では悪かったと思っていなくてもいいから、表面的に「ごめん」くらい言ってもいいのでは?と。じゃないとこちらも溜飲を下げられない。
寝ぼけていたのだとしても、「埋め合わせする」より「ごめん」のほうが先ではないのか?と。
誘ってきたのはAさんのほうだったので、「本当は私と会うのが嫌だったけど約束してしまった」という事情ではないはずです。
となると、Aさんにとっては、ドタキャンって、別に悪いことでも、謝るほどのことではないのかな……と思っていました。
罪悪感とかを感じにくい人なのかな、と。
その可能性もゼロではないのですが、下記の本を読んでいて、「実は劣等感が強くて謝れない人」だった可能性もあると、気づきました。
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「負けてはいけない」教
子どもの頃、親や周囲の大人たちから日常的に否定されたり、ひどい目に遭った経験があると、「自分は愛されていない」「自分には価値がない」「自分は嫌われている」というような感じ方をするようになりますよね。
すると、これらの感じ方は
・〇〇してはいけない(禁止・抑圧)
・〇〇ができない(劣等感)
・もっと頑張らねば(完璧主義)
に派生していく、と本書には書かれています。
私自身もすべて覚えがあって、
・親の機嫌を損ねそうな選択肢は選んではいけない(禁止・抑圧)
・(上記理由により)おしゃれができなかったのでダサくて恥ずかしい(劣等感)
・親の機嫌を損ねないように、もっと頑張らねば(完璧主義)
などなど、フル装備でした。
そうは言っても、さすがにドタキャンなんかしたら必死に謝ると思うので、謝らない人の精神構造は理解不能でした。
そうして本書を読み進めていると、「~してはいけない」にも、いろんな種類があるのだということがわかってきました。
特に、「謝れない人」に関係しそうかも、と思ったのはこちら。
●「負けてはいけない」「逃げてはいけない」「弱音を吐いてはいけない」
「弱さ」に不寛容で、勝ち負けを異常に重視します。「ありがとう」と感謝することも「負け」にカウントすることがあります。
加藤孝之「「会社行きたくない」と泣いていた僕が無敵になった理由」 小学館eBOOKs(2019)Kindle版 No.794
私が驚いたのは、「ありがとう」も「負け」にカウントする、というところです。
「ありがとう」を「負け」にカウントするのであれば、「ごめん」など「負け」の最たるものではないでしょうか。
「絶対に負けてはいけない」というルールをもっていると、負けに相当する「ありがとう」も「ごめん」も言えない、ということなんですね。
ドタキャンで謝罪できなかったAさんにも、何か事情があったのかもしれません。
あからさまに「勝ちたい」タイプの人ではありませんでしたが、斜に構えているような、安全地帯から誰かを揶揄するようなところはあったので、それも実は劣等感がなせる態度だったのかもしれません。
そういえば、私の母も「謝れない人」だったことを思い出しました。
>>>【毒母のトラブル招来体質】劣等感が強すぎて謝ることができない
やっぱり、(全員ではないにせよ)謝れない人の心理には劣等感が関わっていそうです。
おわりに
明らかに相手のミスなのに謝れない人は、もしかすると劣等感が強いのかも、という話でした。
価値感が独特で「本当にまったく悪いと思っていないから謝らない人」も存在しますが、彼らは、本当に、全く悪いと思っていないので、指摘しても「キョトン」としているんですよね。「?」があちこちに浮かんでいるというか。
一方で、劣等感から謝れない人は、ちょっと口ごもったり、あえて反抗的な態度をとったりと、何かしらの「反応」があるような気がします。
心の奥底ではきっと、わかっているのでしょうね。
同じ「謝れない人」でも、劣等感が原因なのか、価値観が独特なのかを見極めるには、何らかの反応(気まずそう、逆に反抗的など)があるかどうかかかな、と思いました。
謝れない人にも事情があるとはいえ、実際に遭遇するとイラっとしてしまいますけどね。
でも、「謝らなかったこと」は形を変えて、その人自身のところに戻っていく(周囲の人が去っていくなど)ので、あまり腹を立てる必要もなさそうです。
自分は「謝れない人」にならないように、気をつけようと思います。
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