ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

ブログ整備中につき、一時的に非表示にしている記事がございます。少しずつ再更新してまいりますので、またご訪問いただけますと幸いです

「親を許せない」と悩んでいる人へ

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周囲からの「親は大事に」系の言葉がつらかった

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過干渉・支配系の母と距離をとっています(詳しくは>>>【もくじ】私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったのか 【体験談】 )。

私は、母と距離をとる前、とった後も、「絶対にあいつのこと許せない」と思っていました。
「許せない」どころか、煮えたぎるような怒りでした。

ですが、多くの人は、親の話になると、こう言いました。

「その年になってまだ親とケンカしてんの笑?」
「親孝行したいときに親はいないんだからさ(大人になりなよ)」
「親だって完璧じゃないんだから」
「でもあなたはまともに育ってるじゃない。だったら教育としては間違ってなかったってことでしょ」
などなど。

これらの言葉、たしかに正しい面ももちろんあるんです。

ですが、ただでさえ「絶対あいつ許せない」と煮えたぎっているのに、「許してやれ」と言われると、「永遠に私ばかりが譲り続けなきゃならないの!?」と火に油を注がれるような気持ちでした。
ますます「絶対許せない」と思うようになりました。

「許さない」ことに決めた

「その年になってまだ親と喧嘩してんの笑?」と言われたとき。
死ぬほど悩んでいる人(私)に向かってそんなことを平気で言える人と、友人関係にあること自体を後悔しました。

もう、そういう人とは縁が切れてもかまわない。
冷静に見まわしたら、ちょっとバカにしてくる人が寄ってきていたのです(相手からしたらストレス解消しやすいから>>>自分を小馬鹿にしてくるような人とは離れたほうがいい理由 )。

もうそのような、人を踏み台にしがちな人や、寄り添う意志のない人(※)は、私とは相性が悪いので、関わらなくていいと思いました。
そもそも母が「娘の気持ちを想像する能力がない人」だったからこそ、私の人生が悪化した面もあるのですから。同じ轍は踏まない。
(※ その人にもそれぞれ事情がありますので、彼らを否定したいわけではなく、あくまでも私とは相性が悪いので積極的には関わらないようにしようということです)

だれかとの縁が切れることよりも、私は「親を許せない」という気持ちを大事にしたかった(怒りが強くてそうせざるを得なかった)。

そうして一旦、「母のことは許さない」と決めてしまいました。

わざわざ誰かに宣言する必要もありません(ごちゃごちゃ言う人が出てきますので)。
心の中で、決めたんです。

「許さない」と決めたらどうなったか

一旦「許さない」と決めると、「あー、あいつまじ許せない」と何度思おうが、自分を責めなくて済みます。

「許したほうがいいのかな……」という迷いなどがあると「あー、でも、許せない。親のことを許せないなんて、、、私って薄情な人間だよな」などと自分責めが始まってします。

そうすると余計に苦しいです。
特に、毒親に「おまえが悪い」と洗脳されてきた人は、すぐに自分を責めるクセがついています。

親と絶縁を考えなければならないこと、それ自体が相当ハードなことです。
そこに自分責めが加わると、エクストラハードモードになります。
だからせめて、自分責めはやめていいんです。

たとえばゲームだって、ハードモードをクリアしてからエクストラハードモードに挑戦しますよね。それと同じです。

仮に、自分責めがやめられなかったとしても、それはそれで「まだやめられないなあ」でOKです。

許せない気持ちの置きどころ(安定点)は見つかる

私の場合は、「どんなに短く見積もっても、母が死ぬまでは許せないだろう」と本気で思っていました。

もちろん、今も許せたわけではありません。
振り返るほど、「あれは親が子にする”いじめ”だったよな」と思うからです。

ですが、「許さない」と決めた上で、こうして過去を振り返っていると、「母は母で能力のなさと戦っていたのだ」というところに、どうしても着地してしまう。

何度考えても、本質的には「生まれつきちょっと困りごとのある人だったんだな(※社会制度で決められている何らかの障害とまではいえなくても)」というところに落ち着いてしまう。「一般的には困りごとを解決する努力をするけれど、その能力自体がないから、いびつな形で発散するしかなかったんだろうな」と。

すると、「しかたなかったんだな……」という思いがぽつりと浮かんでくるようになりました(とはいえ、ここに来るまで10年近くかかっていますけれども)。

唯一、芯を食っていたと思う言葉

「親は大事にしなきゃ」系のことを言ってくる人は、親子関係について真剣に考えたことがないんですね。

真剣に考えていないからこそ、軽く言えるんです。
あるいは「世間で言われていること(常識)」をそのまま言っているか。

私は、親のことで悩みまくった自負があるので、親のことで悩んでいる人に対して「親を大事に」なんて口が裂けても言えません。

だから、周囲が言ってくるアレコレは無視でOKです。
「親孝行できるといいですよね~」とか「できる人はしたらいいですよね~」くらいの流す感じで。

人からかけられた言葉(いや、どこかの本で読んだのか、すみません、ちょっと曖昧です)で、唯一、芯を食っていたな、と思うのは
「許したほうが、自分がラクになるよ」
という言葉。

これは合っていたな、と思います。
私自身、「あいつ(母)許せない」と怒りを煮えたぎらせていたころよりも「仕方なかったんだな……」と思える今のほうが、よっぽど心が平穏で楽なのです。

でも!
「許したほうが自分がラクになる」とわかっていても、正直、すぐにどうこうできるものではなかったです。
というか、簡単にできることなら、誰だってしていますよね。

だから、「許せない」と思っているうちは、許さなくていいと思っています。
(「許さなくていい=仕返しをしていい」ということではないですよ、念のため。自分の感情の扱い方の話です。)

親云々よりも、まず自分のことを考えていい

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親関連の本ではないのですが、ひすいこたろう氏の『あなたの人生がつまらないと思うならそれはあなた自身がつまらなくしているんだぜ』という本の中に、「親を許せない」人にピッタリの文書がありましたので紹介しておきます。

 ほんとは、許せないんじゃないんです。
 まだ、ゆるしたくないんです。
 だから、許さなくていいので、ひとまずあなたが幸せになってください。

ひすいこたろう『あなたの人生がつまらないと思うならそれはあなた自身がつまらなくしているんだぜ』Kindle版 No.1376


そう、「ゆるしたくない」んですよね!
やりたくないことはやらなくていいのです。
やりたくないことを無理してやっても、どこかにまた新たなひずみが生じますので。 

親を許すのは、あなたが幸せになったそのあとで十分です。

親を許せなくたって幸せになっていいんだよ。

ひすいこたろう『あなたの人生がつまらないと思うならそれはあなた自身がつまらなくしているんだぜ』Kindle版No,1381


これは、本当にその通りだと思います。
もし、親を許したいのならば、まずは自分が幸せになることだと思います。

心に余裕が出て初めて、「許す」という選択肢が出てくるものだと思います。

と、私もまだまだ途上なのですが……。

これまで大変な環境を乗り越えるための努力を必死にしてきたのだから、これからは、幸せになるための努力をしていきたいものですね(自戒を込めて)。

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おわりに

・「親を大事にしろ」系の言葉はスルーでOK
(言うほうも大して考えていない)
・「許せない」は「まだ許したくない」
・「許せない」なら「許さない」と決めてみる
・時間はかかるが、「許せない気持ち」の安定点はみつかる(と思う)
・親を許したい人こそ、自分が幸せになるのが先
・心に余裕ができて初めて、「親を許す」選択肢がでてくる(と思う)

参考文献

 親に関する本ではないですが、「つまらないことは捉え方を変えてみよう」というスタンスの本です。

 

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