親の呪いから卒業するための読書メモ

アダルトチルドレン当事者が読んできた本の感想を紹介しています

自分の人生を生きるために…母からの無神経な要求を断る

 

親を大事にしたい人・できる人はすればいいとは思いますが、(無自覚かもしれないが)都合よく利用してきたような親を、自分よりも優先せねばならないのでしょうか?

親が未熟な人間であればあるほど、親はますます子に「奴隷化」することを望みます。
親の人生ばかり大切にしていたら、自分は「親に捧げるための人生」を歩むことになるわけです。

どうして親の人生のほうにばかり重きが置かれなければならないのでしょうか。
親の人生も、自分の人生も、同じ重みのはずです。

だからこそ私は、「自分の人生を生きてもよい」と思うのです。

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すごく勇気がいるけれど……「お断り」がキーポイント

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娘が娘自身の人生を生きるためには、「母の要求」を断る必要が出てきます。

無神経な侵略や支配は拒絶していい、というか、拒絶しなければいつまで経っても母の支配下に留まることになってしまいます。

ただし、揚げ足を取られないよう、丁寧な言葉遣いで!

ポイントは丁寧なことばづかいをすることだ。いたずらにぶっきらぼうで感情的になると、つけこまれることになる。「いやよ!」と叫べば、「どうしたの、最近不安定じゃないの」とするするっと入り込まれることになる。アイ・メッセージで伝えるのも一つだ。「私には今無理です」「私にはできません」とゆっくりはっきり伝える。
信田さよ子『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』P.181


この引用のように「お断り」ができれば良いですが、実際はとてもとてもとても難しいと思います。
断ると叫んだり泣いたりしますから、ついその調子につられてこちらも言い返してしまったり。そうなるとまたあちらのペースに巻き込まれてしまいます。

そもそも意志疎通できるような人ならば、こじれていませんからね。


私の場合は、話し合いという概念自体が存在しない母なので、絶縁という形をとることになりましたが、わずかでも対話の余地がある、というケースなら、「私はそれは嫌です、できません」と丁寧に根気強く伝えてみてもいいかもしれません。

その場合、回数を決めておくといいんじゃないかなと思います。
たとえば「100回伝えてダメなら距離を置こう」とか。

そうすれば「できる限りのことはやった」と自分で納得ができ、罪悪感も少なそうな気がします。

「世間」からの横槍にも注意

ただし、この「親を大事にすべき」は世間的にも言われてきたこと。

うっかり「母と疎遠」などと言ってしまうと、よく事情を知りもしない他人からの「指導」が入ることがあります。

「でも、暴力はそんなになかったんでしょ? だったら、そんなに怒るほどのこと? 親孝行したいときに親はいないよ」
「そうは言っても、あなたはまともに育ってるじゃない。それは親の育て方が良かったってことでしょ」

悪意のないパターン、こちらを励ましているつもりのパターンはきついですよね。

私が育った時代は「ひどい暴力がなければいい(=しつけなら多少の暴力は仕方ない)」という雰囲気があったので、精神的な虐待に関してはほぼ「なんでもアリ」という扱いでした。

そういった価値観にさらされていると「やっぱり私の我慢が足りなかったのかな……」などと、モヤモヤしてしまうんですよね。

刷り込まれた「罪悪感」、手放せたらこれほど楽なことはないのですが、現実的には本当に難しいです。

あなたたちは日常的に相反する認知・感情のあいだを激しく往還している。おまけにマスコミの媒体は罪悪感を増長する情報しか流さない。そんな状況で罪悪感をゼロにする、感じなくするという目標設定そのものが達成不可能に思える
信田さよ子『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』P.172


そうなんですよ。

でも最近は、芸能人の方が母とのわだかまりを告白したり、少しずつ、「毒親」も理解されるようになってきましたね。

インターネットでも「親と距離をとっていい」とあちこちで見かけるようになりました。「時代は進んでいるなあ」とホッとします。

なので、うるさそうな他人には「最近忙しくて帰省していなくてー」などと、やんわりごまかしておくのが無難かもしれません。

踏み込んでくる人もだいぶ減ったような気がしますので、大丈夫ですよ(10年前はめっちゃいたけど)。

 

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おわりに

・重い母からの無神経な侵略や支配は「お断り」してよい(自分の人生を生きるためには必須)


母が生きている限り、罪悪感は完全には無くならないでしょう。
母が亡くなってもなお、罪悪感との闘いかもしれません。

それでも私は、「母と距離をとってよかった」と感じています。
自分の人生を生きることに決めて、本当によかった。

あのまま「母に捧げるための人生」を歩んでいたら、私はもうとっくに、この世にはいなかったでしょう。

(2021年に執筆した記事ですが、ブログ再構築にともない、加筆修正の上再更新しています)

参考文献
母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き

母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き

 
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